EP 6
サウナの整いタイムと、異世界の社畜哀歌
ポポロ山の山頂に完成した『魔導雪山サウナ』。
男女交代制のルールの下、第一陣として灼熱のテントサウナ内部で極限まで交感神経を刺激されたスアイとキャルルは、テントを飛び出し、氷魔法で一桁台まで冷やされた『天然樽水風呂』へとダイブした。
「ひぃぃぃっ! ち、冷たいぃぃっ!」
「耐えなさい、村長さん! この急激な冷却による血管の収縮こそが、後の極上の緩和を生むんですのよ!」
キャルルが悲鳴を上げるが、スアイはガタガタと震えながらも気合で数十秒を耐え抜いた。
そして水風呂から上がり、しっかりと身体の水分をタオルで拭き取った二人は、雪原の上に設置された木製のインフィニティチェア(無重力椅子)へと深く身体を沈めた。
直後、二人の身体に強烈な変化が訪れた。
「あぁぁ……」
「ふぇぇぇ……」
収縮していた血管が解放され、脳内をエンドルフィンが駆け巡る。冷たい冬の空気が肌を撫でるのに、身体の芯からはポカポカとした熱が湧き上がり、まるで大自然と身体が溶け合っていくような浮遊感。
これが、軍医・中村優太の言う究極の自律神経の意図的操作――『整い』であった。
「優太君と、混浴、できなかったけどぉ……これはこれで、最高だよぉ……」
ヤンデレの野望すらもどうでもよくなるほどの多幸感に包まれ、キャルルはウサギの耳をだらんと垂らして完全に脱力していた。
二人が女性用の外気浴スペースで深いため息をついていると、丸太で作られた目隠しの衝立の向こう側――男性用外気浴スペースから、ザバーッという水風呂の音と、重々しい足音が聞こえてきた。
第二陣としてテントサウナに入っていた、優太とイグニスである。
「……ふぅ」
衝立越しに、インフィニティチェアがギシッと軋む音と、優太がアメリカンスピリットに火を点ける小さな音が聞こえてきた。
サウナ室内での『黙浴』ルールは絶対だが、外気浴スペースでの静かな会話までは禁じられていない。
真っ青な冬の空を見上げながら、スアイはポツリと、衝立の向こうにいる優太たちに向かって口を開いた。
「はぁ……。こうして静かな大自然の中で整っておりますと、アバロン魔皇国での日々が、いかに異常な労働環境(ブラック企業)だったかが身に染みて分かりますわ」
「……異常な労働環境、か」
衝立の向こうで、優太が煙を吐き出しながら静かに相槌を打つ。
「ええ、そうですわ」
スアイは深く息を吐き出し、元社畜特有の暗い怨念を口にし始めた。
「そもそも、あの魔王軍は『労基』の概念が完全に欠如しておりましたの。私、氷魔将軍という役職に就いておりましたけれど、手当はスズメの涙。そのくせ、休日に趣味のDIYキャンプを楽しもうとしていると、魔王ラスティア様やルチアナ様から急な業務連絡が飛んでくるんですのよ」
『G-TUBEの視聴率(PV)が落ちてるから、今すぐ勇者の村を一つ焼き討ちしてきなさい!』
スアイは当時の上司の理不尽な命令を真似て、ギリッと歯ぎしりした。
「残業代も休日出勤手当も出ないのに、急に村を焼かされる身にもなってほしいですわ! おまけに『配信映え』を理由に、極寒の雪山防衛任務において、布面積の極端に少ないセクシーなビキニアーマーを強制支給されましたの。氷の魔族だから寒さに耐えられるとはいえ、あれは明確なセクハラおよび労働災害(労災)事案ですわよ!」
スアイの悲痛な叫び。
異世界ファンタジーにおける『女幹部のセクシーな衣装』と『勇者への嫌がらせ』というお約束設定が、現場の当事者にとっていかに理不尽なパワハラであったかが暴露されていく。
「……痛いほど分かるぞ、スアイ」
その愚痴に対し、衝立の向こうから、極寒の軍医の重々しい共感の声が返ってきた。
「優太師匠?」
「現場の実態を無視した、上層部の理不尽な要求と過剰な演出強要。それは地球の軍事組織においても万国共通の病巣だ」
優太は吸いかけのアメスピを携帯灰皿に落とし、自らの過去――軍隊時代のブラックなエピソードを語り始めた。
「前線の兵士が求めているのは、使い慣れた実用的な装備と、十分な休息だ。だというのに、上の連中は予算の都合だの、政治家へのアピール(PV)だのと言って、役に立たない新型兵器のテストを押し付けてくる。実戦の訓練よりも、査察官の機嫌を取るための『無意味な書類作業』や『草むしり』に割かれるリソースの方が遥かに大きかった」
「分かります! 分かりますわ優太師匠! 魔王軍でも、召喚獣の餌代の経費精算書のフォーマットが毎月変わって、そのたびに突き返されましたの!」
スアイがインフィニティチェアの上で激しく頷く。
「軍のシステムは減点方式だ。成果を上げても褒められないが、コンプライアンスの書類のハンコが少し斜めに押されているだけで、徹底的に詰められる。……結果として、優秀な現場の人間から心を病んで辞めていく。軍隊とは、巨大なブラック企業そのものだからな」
優太の冷徹な声には、実体験に裏打ちされた深い哀愁が漂っていた。
異世界ファンタジーの山奥、究極の癒やし空間であるサウナの整いタイムにおいて、なぜか『現代の社畜・労基トーク』が熱を帯びていく。
「おいおい、労働の苦しみなら俺様だって負けちゃいねえぞ!」
たまらず、男湯側からイグニスが参戦してきた。
「俺様は故郷の村を飛び出して、都会の冒険者ギルドで一旗揚げようとしたんだ。だが、いざ登録しようとしたら『身分証のコピーはありますか?』『魔導通信石の契約書は?』『銀行口座はお持ちですか?』って、事務の手続きでたらい回しにされやがったんだ!」
イグニスが恨み言を連発する。
「やっとの思いで面接(パーティー加入試験)を受けても、俺様の実力が凄すぎて獲物を粉砕しちまったら、『君の戦闘スタイルは我が社のビジョンとマッチしない。今回はご縁がなかったということで』って、お祈りメール(不採用通知)の連続だぜ!? なんだよご縁って! 俺様の両手斧の火力をちゃんと評価しろってんだ!」
「イグニス。それはお前が素材(商品の価値)を壊すからであって、ギルドのコンプライアンス(身元確認)と適性検査は極めて妥当な判断だぞ」
優太が正論の刃でイグニスの愚痴を半分切り捨てるが、イグニスは「それでもあの『お祈り』の文面は心が折れるんだよぉっ!」と咽び泣いた。
「私も、王宮の近衛騎士訓練は結構ブラックだったよ……」
キャルルも、脱力したままポツリとこぼす。
「満月の夜は、月兎族の血が騒いでハイになっちゃうんだけど、だからって徹夜で『月光回復の薬』を何百個も作らされたり、『ハイになってる時こそ限界突破のチャンスだ!』って、お父様(王様)から夜通しの千本ノックを命じられたり……。私、籠の鳥みたいに扱われるのも嫌だったけど、普通に『週休二日制』が欲しかったんだよね」
沈黙。
ポポロ山の山頂に、冷たい冬の風が吹き抜ける。
魔王軍の元将軍、元グリーンベレーの軍医、元ホームレスの竜人、元王族の姫君。
出自も種族もバラバラな四人の大人が、インフィニティチェアの上で空を見上げながら、それぞれがかつて所属していた組織の『理不尽』と『労働の闇』に思いを馳せていた。
「……だからこそ」
スアイが、ふっと穏やかな微笑みを浮かべた。
「だからこそ、今のこのポポロ村の生活は、本当に最高ですわ。DIYのロマンに没頭しても、誰からも怒られない。労働の成果が、そのまま自分の血肉(キャンプの充実)として返ってくる。理不尽な命令も、セクハラアーマーもありませんの」
スアイは目を閉じ、深く息を吸い込んだ。
「そして、自分の手で流した汗の後に、この優太師匠がもたらしてくれた『サウナ』という究極の報酬がある。……労働とは本来、こうあるべきですわね」
「ああ、その通りだ」
優太が静かに応える。
「不条理な組織に搾取されるための労働ではない。己の生活を豊かにし、隣人を守るための正当な労働。……その後の『整い』は、何物にも代えがたいな」
サウナの熱波と、水風呂の冷たさ、そして大自然の外気。
全ての理不尽を汗と共に洗い流し、大人たちは異世界の山頂で、これ以上ないほどに深く、深く整っていくのだった。
彼らの頭の中には、どこからともなく『月曜日の社畜』のメロディが、哀愁を伴うBGMとして流れているかのようであった。
【善行を確認しました】
【対象:労働者(元社畜)に対する深い共感と、メンタルケア(整い)の完遂】
【ポイントを加算します:+500P】
優太の脳内に響くシステム音すらも、今の彼には心地よい子守唄に感じられた。
だが、この至福の『整い』の施設が、さらなる欲望と経済の渦をポポロ村に巻き起こすキッカケとなることを、彼らはまだ気づいていなかったのである。
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