EP 10
勝利の宴と、胃薬の処方箋
ポポロ村の夜空に、パチパチと薪が爆ぜる心地よい音と、暴力的なまでに食欲をそそる肉の焼ける匂いが立ち込めていた。
「さぁ皆! 今夜はポポロ村自警団の完全勝利を祝して、無礼講の特大バーベキューだ! 遠慮せずに食え!」
広場の中央で、竜人族のイグニスが豪快に笑いながら、巨大な鉄板の上で分厚いライオン肉のステーキを次々と焼き上げている。
中村優太が【地球ショッピング】のスキルで大量に取り寄せた、地球のアウトドアブランドが誇る最高級の大型BBQグリルと、特製の甘辛い焼肉のタレが、村人たちの胃袋を完全に鷲掴みにしていた。
「うおおおっ! このタレ、美味すぎるドス!」
「死蟲将軍の恐怖なんて、この肉の旨味の前には吹っ飛んじまうぜ!」
村人たちが、ジョッキに注がれた芋の蒸留酒を片手に、どんちゃん騒ぎを繰り広げている。
「……優太先生。この度は、命を救っていただき、本当にありがとうございました」
喧騒から少し離れた広場の隅。
折りたたみ式のベンチでコーヒーを啜っていた優太のもとに、初老の農夫ダストンが深々と頭を下げにやってきた。
数時間前まで未知の寄生虫に侵され、生死の境を彷徨っていた男だ。顔色はすっかり良くなり、首筋の切開跡には優太が貼ったハイドロコロイド絆創膏がしっかりと密着している。
「礼には及ばん。俺は医官として、感染症の初期症状を隔離・切除しただけだ。だが、体力が戻るまではアルコールは控えて、肉より野菜を中心に摂れ」
「へいっ! 先生の言いつけ通りにしますだ!」
ダストンは満面の笑顔で、もう一度頭を下げて宴の輪へと戻っていった。
(……バイタルも安定している。寄生虫の後遺症もなさそうだな。兵站と健康状態の回復は完璧だ)
優太はG-SHOCKの盤面を確認し、ようやくガスマスクを首元から外し、タクティカル・マウンテンパーカーのジッパーを少し下げた。
死蟲将軍との激闘、そして村の防衛という極限の緊張感から解放され、冷徹なロジックの鬼である彼も、今日ばかりは深い疲労感を感じていた。
「……少し、休むか」
優太がポケットからアメスピを取り出そうとした、まさにその時だった。
「優太さーん!!」
ふわりと、陽薬草の優しい香りと共に、月兎族の少女が猛スピードで突撃してきた。
「お疲れ様です、優太さん! ずっと指揮を出してばかりで、まだ何も食べていないじゃないですか!」
キャルル・ムーンハートである。
彼女の両手には、これでもかとばかりに山盛りにされた焼肉と、なぜか綺麗にウサギの形にカットされた大量のニンジンが乗ったお皿が握られていた。
「ほら、優太さん! 私が愛情を込めて、一番美味しいお肉を焼いてきました! さぁ、私のお肉食べて!」
キャルルがウサギの耳をパタパタと揺らしながら、優太の隣にピタリと密着して座り込む。彼女の柔らかい肩が、優太の腕にギュッと押し付けられた。
「おい、キャルル。近い。それに肉の量が異常だ、タンパク質の過剰摂取は内臓に負担を……」
「ダメですわキャルル様! ドクター・ユウタにそんな脂っこいお肉ばかり食べさせたら、健康に悪いですわ!」
優太が抗議する間もなく、今度は反対側から純白のドレスが舞い込んできた。
ルナ・シンフォニアである。
「優太様! 激務で疲れたお体には、やはりビタミンと魔力の補給が必要ですわ! さぁ、私の世界樹の果実を……って、間違えました、純金のインゴットでしたわ!」
「なんでBBQの席に純金を持ってくるんだ! 経済が崩壊するから早くしまえ!」
「はわわっ、すみません! こっちですわ! さぁ、あーんしてくださいませ!」
ルナは黄金に輝く伝説の霊薬を片手に、優太の反対側の腕にガシッと抱きついた。エルフの王女の豊満な胸の感触が、優太の左腕に容赦なく押し付けられる。
「ルナ、お前まで……! 両腕を塞がれると防御態勢が取れない。離れろ」
「ちょっとお二人とも!! 抜け駆けは許しませんわよ!!」
さらに前方から、臙脂色の芋ジャージを着た人魚が、口の周りを焼肉のタレだらけにしながらズイズイと割り込んできた。
リーザである。
「今日のMVPはこの私ですわ! 私の歌がなければ全滅していましたのよ!? その対価として、私へのスパチャ(投げ銭)代わりに優太さんの隣の席に座らせますわーっ!! どきなさいキャルル様、ルナ様!」
リーザは無理やり優太の正面に回り込み、彼の膝の上を陣取ろうとジタバタと暴れ始めた。
「きゃっ! リーザちゃん、邪魔しないでください! 私は優太さんにニンジンを食べさせるんです!」
「むっ! リーザ様、後から来て横入りはマナー違反ですわ! ドクターの隣は私の特等席ですの!」
「アイドルに一般常識は通用しませんわ! Love & Money!!」
「……お前らなぁ……っ!」
右腕にはニンジンと焼肉を押し付けてくる月兎の村長。
左腕には世界樹の果実(と純金)を押し付けてくるエルフの次期女王。
正面には膝の上を奪おうと暴れる強欲な人魚姫。
三人のヒロインから同時に放たれる、規格外の好意とイチャイチャ(物理的な圧力)。
死蟲将軍の圧倒的な暴力すら冷徹に躱してのけた医官・中村優太であったが、この好意度100%の「包囲網」からは逃れる術がなかった。
「離れろ! お前ら、熱いし重いんだよ! 俺のパーソナルスペース(陣地)に土足で踏み込むな!!」
優太の怒声も虚しく、ヒロインたちは「もー、優太さんは照れ屋さんですね!」「ええい、私の口づけ付きリンゴを食らえですわ!」「スパチャ! スパチャ!!」と、ますますワチャワチャと彼に絡みついていく。
完璧なロジックで戦場を支配した男が、三人の少女に揉みくちゃにされ、髪をボサボサにしながらげっそりと白目を剥いていた。
***
「ガハハハハハッ!!」
そんな地獄絵図(?)から少し離れた場所。
BBQグリルの横で、ジョッキになみなみと注がれたイモッカ(芋焼酎)を飲み干しながら、イグニスが腹を抱えて大爆笑していた。
「いやぁ、傑作だぜ! どんなデカい魔物相手でも顔色一つ変えねぇ優太が、女どもに完全に制圧されてやがる! ガハハッ!」
イグニスは赤銅色の尻尾を揺らしながら、最高の酒の肴だと言わんばかりにその惨状を眺めていた。
数分後。
なんとか自力で三人の包囲網から抜け出し(物理的に振り払い)、ボロボロになった優太が、肩で息をしながらイグニスの隣へと逃げ込んできた。
「……ハァ、ハァ……。あいつら、群れた虫より厄介だぞ……」
優太は疲れ切った様子で、ベンチにドサリと腰を下ろした。
無傷でボスを倒したというのに、なぜか今の方が遥かにダメージを負っているように見える。
「ガハハ! 大変だな優太。モテる男は辛いねぇ!」
イグニスがニヤニヤと笑いながら、優太の背中をバンバンと叩く。
「……笑い事じゃない。あいつらの好意は出力調整がおかしいんだ。俺は医官であって、保育士でも猛獣使いでもないんだぞ」
優太は深く、本当に深くため息をついた。
イグニスはジョッキを置き、自分のポーチからゴソゴソと何かを取り出した。
「まぁ、なんだ。お前が一人で貧乏くじ引いて、村のために頭回してくれてんのは皆分かってるからよ。……ほれ」
イグニスが差し出したのは、地球ショッピングで取り寄せた見覚えのある小瓶――胃の粘膜を保護し、消化を助ける『地球の胃薬』だった。
「優太の悪知恵のおかげで今日も村は平和だが、お前の胃袋には相当ダメージが来てるみたいだからな。……胃薬、飲むか?」
イグニスが、にかっと竜の牙を剥き出しにして笑う。
「……」
優太は、イグニスの差し出した胃薬と、少し離れた場所で「優太さんどこに行きました!?」「優太様ーっ!」「私のATMーっ!」と騒ぎながら自分を探している三人娘を交互に見比べた。
まったく、どいつもこいつも手のかかる、最高に面倒くさい連中だ。
冷徹なロジックなど欠片も通じない、打算と計算の外側にいる規格外のバカたち。
だが。
「優太の悪知恵と俺様の炎があれば無敵だ」と言って笑う相棒がいて。
自分の指示を信じて命を預けてくれる、騒がしくも温かい仲間たちがいる。
(……この胃の痛くなるような騒がしさが、俺の守るべき『陣地』か)
優太は、タクティカル・マウンテンパーカーのポケットからアメスピの箱を取り出し、ふっ、と自嘲するように笑った。
「……貰おうかな」
優太は胃薬を受け取り、水で一気に飲み下した。
そして、アメスピを口に咥え、軍用マッチでシュッと火をつける。
細く吐き出された紫煙が、冬の澄み切った夜空へと、どこまでも穏やかに吸い込まれていった。
「優太さーん! 見つけましたよ! さぁ、あーんの続きです!」
「ドクター・ユウタ! 逃げないでくださいませ!」
「お財布さーん!」
再び突撃してくるヒロインたちの喧騒。
イグニスの豪快な笑い声。
ポポロ村の夜空の下、打算なき医官の胃痛と、最強の仲間たちのワチャワチャとした宴は、夜更けまで終わる気配を見せなかった。
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