EP 8
死蟲将軍の強襲と、反撃のロジック
空が、ドス黒い絶望に塗り潰されていく。
夕暮れのポポロ村の上空を覆い尽くしたのは、何百万、いや何千万という未知の寄生虫の『群れ(スウォーム)』だった。
ブォォォォォォォォォォォォォンッ!!
何千万枚もの羽が擦れ合う、おぞましくも狂気的な羽音が、村中の空気をビリビリと震わせる。
黒い霧のようにうねる群れは、村の周囲に張られていたかすかな防衛結界(魔力)に群がり、文字通り「バリバリ」と音を立てて喰い破り始めた。
「ひぃぃぃぃぃっ!! 結界が、魔法の結界が虫に食べられていますわーっ!!」
村長宅の前庭で、リーザが芋ジャージのフードを深く被り、頭を抱えて悲鳴を上げる。
「うぅ……気持ち悪いですわ……! あんな小さな虫に魔法を撃っても、キリがありませんし……!」
ルナも世界樹の杖を震える手で握りしめ、青ざめた顔で空を見上げていた。
「来るぞ! 構えろ!!」
前衛に立つ竜人族のイグニスが両手斧を構え、月兎族のキャルルが紫電の闘気を全身から立ち昇らせて迎撃の態勢をとる。
その時だった。
空を覆う黒い群れが、まるでモーセの十戒のように真っ二つに割れた。
そして、その群れの中心から、凄まじい質量を持った『何か』が、隕石のような速度でポポロ村の広場へと落下してきたのだ。
ズドゴォォォォォォォォォォンッ!!!
広場の石畳が粉々に砕け散り、猛烈な土煙が舞い上がる。
「ゲホッ……! な、なんだ!?」
イグニスが斧で風を切り裂き、土煙を払う。
そこに姿を現したのは――悪夢そのものだった。
体長は三メートルを優に超える。カブトムシのように強固な漆黒の外骨格、カマキリのように鋭く巨大な両腕の鎌、そして背中には蛾のような不気味な模様の入った巨大な羽が生えている。
何より異様なのは、その巨大な羽から、周囲の空間を歪ませるほどの『紫色の鱗粉』が絶え間なく撒き散らされていることだった。
『――チィィィィ……。我ガ群レノ、新タナ餌場……。上質ナ魔力ノ匂イガ、充満シテイル……』
昆虫の顎をすり合わせるような不快な摩擦音と共に、その怪物の意思が、直接脳内に響き渡った。
「喋った……!? てめぇが、このキモい虫どもの親玉か!」
イグニスが牙を剥く。
『――我ハ、死蟲将軍。全テノ魔力ヲ喰ラウ、絶望ノ王……』
死蟲将軍が、巨大な鎌をゆっくりと持ち上げた。
『――愚カナル人間ドモヨ。抵抗ハ無意味ダ。大人シク、我ガ愛シキ子供タチノ苗床トナレ』
「ふざけんな! 俺様の村を、虫カゴにするつもりか!!」
イグニスの怒声と共に、先陣を切ったのはキャルルだった。
「ポポロ村の平和は、私が守ります! 【月影流・紫電崩拳】!!」
タローマン製の特注安全靴で地面を爆砕し、音速を超えたキャルルの拳が、死蟲将軍の胸の装甲へと突き刺さる。
岩盤すら粉砕する、紫電を纏った必殺の一撃。
ガキィィィィィィンッ!!!
「なっ……!?」
キャルルの目が驚愕に見開かれた。
死蟲将軍の漆黒の外骨格にヒビ一つ入らないどころか、キャルルの拳から溢れ出ていた紫電の魔力が、将軍の周囲を舞う『紫の鱗粉』にジュワッと吸い込まれ、完全に無効化されてしまったのだ。
『――貧弱。ソノ程度ノ魔力デハ、腹ノ足シニモナラヌ』
死蟲将軍の巨大な鎌が、無防備なキャルルを薙ぎ払おうと迫る。
「キャルル! 下がれ!! 【大火炎ブレス】!!」
すかさずイグニスが横から割り込み、極太の青白い火炎のブレスを放射した。
数千度の炎が死蟲将軍を包み込む――が。
「チィィィィィッ!!」
将軍が奇声を発した瞬間、上空を覆っていた数万匹の黒い虫が、将軍を庇うように文字通り『生きた盾』となって殺到した。
前衛の虫たちが炎で焼け焦げながらも、次々と後続の虫たちが群がり、さらに将軍の撒き散らす鱗粉が炎の『魔力』そのものを喰い尽くしていく。
「嘘だろ!? 俺様の炎が、押し返されちまう!」
イグニスのブレスが掻き消され、逆に無数の虫の群れが、イグニスとキャルルを取り囲むように殺到してきた。
「きゃぁぁっ! 虫が、虫が纏わりついてきます!」
「クソッ! 叩き落としてもキリがねぇ!」
前衛の二人が、圧倒的な『数』の暴力と、魔力を無効化する将軍の能力の前に、完全に分断され、身動きが取れなくなっていく。
「イグニス様! キャルル様!」
後方で見ていたルナが、たまらず前に出ようとする。
「下がれ、ルナ! お前が魔法を使えば、奴らの極上の餌になるだけだ!」
優太がワスプ薙刀でルナを庇いながら、鋭く制止した。
「ル、ルナ様! 私の歌で、皆様を強化しますわ!」
リーザが芋ジャージのポケットから魔導マイクを取り出し、決死の覚悟で歌い出そうとした。
しかし、死蟲将軍はそれすらも許さなかった。
将軍が背中の巨大な羽を、特殊なリズムで激しく擦り合わせる。
ギギギギギギギギィィィィィィィィッ!!!!
黒板を爪で何万回も引っ掻いたような、超高周波の摩擦音が戦場を支配した。
「あぁぁぁぁっ! 耳が、耳が痛いですわーっ!」
リーザがマイクを落とし、両手で耳を塞いでうずくまる。
強欲アイドルの歌声は、虫の群れが共鳴して発する絶望のノイズによって、完全に掻き消されてしまった。
『――ククク。無駄ダ。我ガ群レハ完全ニ統率サレテイル。貴様ラノ浅知恵ナド、我ガフェロモンノ前ニハ無力……』
死蟲将軍は、触角を揺らしながら嘲笑った。
前衛の二人は虫の群れに分断され、後衛のバフは封じられ、魔法は全て敵の養分となる。
盤面は、完全に詰んでいた。
誰の目から見ても、ポポロ村の滅亡は時間の問題だと思われた。
ただ一人。
ガスマスクの奥で、恐ろしいほど冷静にG-SHOCKの盤面を見つめ続ける、黒いマウンテンパーカーの男を除いて。
(……観察は完了した)
中村優太は、絶望的な状況下においてすら、心拍数を一切乱すことなく、冷徹な医官のロジックで敵を解剖し終えていた。
(奴の外骨格は物理的にも魔法的にも強固だ。周囲に撒く鱗粉は、魔法のエネルギーを分解して吸収する『対魔法特化』の防壁。だから、キャルルの魔力を纏った打撃も、イグニスの魔法の炎も通じない)
優太の視線が、死蟲将軍の頭部に生えた二本の『長い触角』と、巨大な腹部の側面に並ぶ『無数の小さな穴』へと向けられた。
(だが、相手はあくまで『昆虫』だ。哺乳類のような肺呼吸ではなく、腹部の側面にある【気門】から直接酸素を取り込んでいる。どんなに硬い装甲で覆っていようと、呼吸をするための『穴』は開いたままだ)
さらに優太は、将軍の動きと、群れの動きの連動性を分析する。
(群れが将軍の盾になる速度が異常に早い。音波での命令だけじゃない。あの長い【触角】から特殊な通信用フェロモンを分泌し、群れを一つの生き物のように統率しているんだ。……だが、裏を返せば)
優太は、タクティカルリュックのサイドポケットから、一つの『赤い巨大なボンベ』と、『音響閃光弾』を静かに取り出した。
(裏を返せば、そのフェロモン通信を妨害し、呼吸器官(気門)に直接物理的・化学的なダメージを叩き込めば、あの鉄壁の要塞は崩れ去る)
魔法の通じない怪物。
だが、ここは地球の医学と化学の前では、ただの『図体のデカい害虫』に過ぎない。
「おい、デカいゴキブリ」
静寂。
けたたましい虫の羽音とノイズの中にあって、優太のその低く、氷のように冷たい声は、なぜか不思議なほどはっきりと戦場に響き渡った。
『……人間。貴様、我ニ向カッテ口ヲ利イタカ?』
死蟲将軍が、巨大な複眼を優太へと向ける。
優太はゆっくりと前へ歩み出た。
右手にはワスプ薙刀、左手には赤いボンベ。その背中は、分断されて絶望しかけていたイグニスやキャルルにとって、信じられないほど大きく、頼もしく見えた。
「魔法を喰うから無敵だとでも思っているのか。お前はただの虫だ。生態系のバグは、俺のロジックが駆除してやる」
優太はガスマスクのフィルターをカチャリと弾き、自警団の仲間たち全員に向けて、絶対的な指揮官としての号令を飛ばした。
「解剖学的弱点は把握した。勝機は見えたぞ」
優太の瞳が、狩る者の鋭い光を放つ。
「これより、ポポロ村自警団による、死蟲将軍への反撃オペを開始する! 全員、俺の指示通りに動け!!」
絶望の淵に立たされたポポロ村。
だが、最強のロジスティクスを握る医官が、そのタクトを振り下ろした瞬間。
盤面は、反撃のカタルシスへと向けて劇的に動き始めるのだった。
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