EP 6
アイドルの肌荒れと、沈黙の森
ユケムリ渓谷での慰安旅行からポポロ村へ帰還した翌朝。
村長宅のリビングに、世の終わりかのような絶望的な悲鳴が響き渡った。
「ああああああっ!! お肌が! 私の命よりも大切な、プラチナム・アイドル・スキンがぁぁっ!!」
洗面所の鏡の前で、臙脂色の芋ジャージを着たリーザが、自分の頬を押さえて発狂していた。
「どうしたんですか朝から、うるさいですよリーザちゃん」
「ルナちゃんと私は、温泉効果でツルツルすべすべですわよ? ほら」
キャルルとルナが、輝くような美肌を指差して不思議そうに首を傾げる。
「違うんですの! 見てください、この頬! そして腕の鱗! カサカサのボロボロですわ! まるで三日放置された干物みたいになってますのーっ!」
リーザが涙目で訴える通り、彼女の肌や、所々に見える人魚特有の鱗は、潤いを失って白く粉を吹いていた。
「……当然の帰結だな」
ダイニングテーブルでコーヒーを啜っていた中村優太が、G-SHOCKの盤面から視線を上げることなく冷徹に言い放った。
「ユケムリ渓谷の温泉は、強い『硫黄泉』だ。角質を柔らかくし、皮脂を溶かす殺菌効果がある。哺乳類ベースのキャルルやエルフのルナには美肌効果として働くが……元々水中生物(人魚)であり、保湿用の粘液と皮脂で鱗を守っているお前が長湯すれば、必要な防御膜まで溶かされて深刻な乾燥を引き起こすに決まっているだろう」
「そんなぁっ!? 誰もそんなこと教えてくれませんでしたわ! このままじゃ、ファンの皆に『干からびたシシャモ』って呼ばれてしまいます! 引退ですわ! アイドル生命の終わりですのーっ!」
リーザが床を転げ回ってジタバタと暴れる。
「うるさい。朝から耳障りだ」
優太は深いため息をつき、脳内で【地球ショッピング】のシステムを開いた。
慰安旅行の防衛で稼いだポイントを少し消費し、虚空から一本のガラス瓶を取り出す。
「ほら、これを使え」
優太がテーブルの上に置いたのは、地球の高級コスメブランドが誇る『超高濃度セラミド&ヒアルロン酸配合・極潤保湿ローション』だった。
「……? なんですの、このトロッとしたお水は」
「地球の科学力と化学成分の結晶(最高級化粧水)だ。失われた皮脂膜の代わりに、角質層の奥深くまで水分を閉じ込める。お前のシシャモ肌も、一瞬で真鯛のように潤うはずだ」
「ま、真鯛……! 高級魚ですわね! 使いますわーっ!」
リーザがひったくるようにボトルを取り、手のひらにローションを出して頬と鱗にペチペチと叩き込んだ。
その瞬間。
「……っ!? な、なんですのこの浸透力! 砂漠にオアシスが生まれたような、圧倒的な潤い……! 鱗が、鱗が光り輝いていますわ!」
リーザの肌と鱗が、文字通りゆで卵のようにツルンと輝きを取り戻した。
「すごい! 魔法の媚薬みたいです!」
「さすがドクター・ユウタ! 美容の知識まで完璧なんですのね!」
キャルルとルナが拍手喝采する。
「おぉぉぉっ! Love & Beautyィィッ!! 優太さん、一生ついていきますわーっ!」
リーザが感涙しながら優太にすがりつこうとするが、優太はスッと身をかわして避けた。
「俺は部隊の士気低下を防ぐために支給しただけだ。大切に使え」
優太は携帯灰皿をポケットにしまい、立ち上がった。
「さて、俺とイグニスは今日、村の北側の森へ定例パトロールに行ってくる。お前たちは村の警備と備蓄の確認をしておいてくれ」
「はいっ! お気をつけて、優太さん!」
ヒロインたちに見送られながら、優太はイグニスと共に冬の森へと向かった。
***
ポポロ村の北側に広がる深い森。
先日、イグニスと共に薪拾いに訪れ、謎の寄生虫に侵された『装甲イノシシ』と遭遇したあの場所だ。
「おい、優太」
森に入って数十分。両手斧を肩に担いで先頭を歩いていたイグニスが、ふと足を止めた。
竜人族の鋭い瞳が、周囲の木々を警戒するように見回している。
「どうした。敵か?」
優太がタクティカルリュックからワスプ薙刀の柄に手をかけ、低い声で問う。
「……いや。逆だ」
イグニスは鼻の頭にシワを寄せ、赤銅色の尻尾を床に打ち付けた。
「……変じゃねぇか? 今日はやけに、森が『静かすぎる』」
言われてみれば、その通りだった。
冬とはいえ、普段なら落ち葉をカサカサと踏む小動物の足音や、遠くで鳴く野鳥の声、風に揺れる木々のざわめきが聞こえるはずだ。
しかし今、彼らを包んでいるのは、耳鳴りがしそうなほどの『完全な無音(沈黙)』だった。
「鳥の鳴き声が全くしねぇ。虫の音もだ。……まるで、森全体が『死んでる』みてぇだぜ」
イグニスが本能的な悪寒を感じたように呟く。
「……」
優太は薙刀から手を離し、ガスマスクを顎まで引き上げた。
冷徹な医官の目が、足元の落ち葉や、木の根元を舐め回すように観察していく。
「……イグニス。そこを退け」
優太はイグニスの足元の近く、少し不自然に盛り上がった落ち葉の山を指差した。
優太は医療用のニトリル手袋を素早く装着し、ピンセットを取り出して落ち葉を慎重に避けた。
そこにあったのは――。
「うおっ……なんだこりゃ。ウサギか?」
イグニスが顔をしかめる。
落ち葉の下から現れたのは、角ウサギと呼ばれる森の小動物の『死骸』だった。
だが、その死に様が異様極まりなかった。
外傷は一切ない。大型の獣に襲われたり、毒を受けたような痕跡もない。ただ、水分と筋肉を完全に抜き取られたように、ミイラのように干からびていたのだ。
「……捕食の痕がない。だが、体内から何かが『食い破って』出ていった痕跡がある」
優太はピンセットで、ミイラ化した角ウサギの皮下組織をそっと開いた。
その瞬間。
優太とイグニスの目に、黒い粉のようなものが舞い散るのが見えた。
「なんだ、この黒い砂みたいなのは……」
「砂じゃない」
優太の声が、氷のように冷え切った。
「……『羽虫の抜け殻(死骸)』だ」
優太はピンセットでつまみ上げた極小の抜け殻を、太陽の光に透かして見た。
間違いない。先日、装甲イノシシの岩肌の隙間にびっしりと寄生していた、あの魔力を吸う未知の虫と同じ形状だ。
それが、一匹の角ウサギの死骸の中に、数百という単位で産み付けられ、孵化し、養分を吸い尽くして飛び立った痕跡だった。
「優太……まさか」
「ああ」
優太は立ち上がり、G-SHOCKの盤面に視線を落とした。
彼の脳内で、これまでに散らばっていた不自然な『点』が、恐るべき一本の『線』として結びついていく。
第一の点。
数日前のこの森で遭遇した、異常に凶暴化し、羽虫に寄生されていた『装甲イノシシ』。
第二の点。
ルナが隣街・マッカで買ってきた、中身の魔力を虫に吸い尽くされたというスカスカの『太陽芋』。
そして第三の点。
今、目の前にある、ミイラ化した小動物の死骸と、森から完全に消え去った生命の気配(沈黙)。
「……こいつは、ただの自然発生的な害虫の大量発生なんかじゃない」
優太はニトリル手袋を外し、アメスピを取り出して火をつけた。
紫煙が、無音の森に静かに立ち昇る。
「ある一定の法則を持って、生態系の魔力を吸い尽くしながら進軍している『群れ(スウォーム)』だ。森の動物を苗床にして増殖し、隣街の農作物を食い荒らし……そして今、その群れの『本隊』が、このポポロ村のすぐ側まで迫ってきている」
「なんだと!? じゃあ、この静けさは……」
「嵐の前の静けさだ。虫どもが森の魔力を食い尽くし、次の餌場をロックオンした証拠だ」
優太は携帯灰皿にタバコを捨て、イグニスを振り返った。
その眼光は、平時の気怠げな医官のものではなく、戦場を支配する軍の指揮官のそれに切り替わっていた。
「帰還するぞ、イグニス。村に非常警戒態勢を敷く」
「お、おう!」
「温泉旅行でふやけてる場合じゃなくなったな。……未知の感染症と、最悪の侵略戦争が始まるぞ」
優太とイグニスは、死の静寂に包まれた森を後にし、足早にポポロ村へと帰還した。
平和な日常の裏側で着実に進行していた『絶望』が、ついにその黒い牙を剥こうとしていた。
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