EP 2
竜と医官の薪拾い、煙に巻くロジスティクス
ポポロ村に隣接する、広大な冬の森。
葉を落とした木々の間を抜ける冷たい風が、吐く息を白く染め上げる中、森の奥深くでリズミカルな破砕音が響き渡っていた。
ドカァァァンッ!!
「おらよっと! これで十本目だぜ!」
竜人族のイグニスが、愛用の両手斧を軽く一振りする。
それだけで、大人が三人掛かりで切り倒すような太い枯れ木が、あっという間に綺麗な薪のサイズへと等分に割れていく。
赤銅色の鱗を持つ彼の強靭な肉体にとっては、冬の薪割りなど準備体操にも満たない重労働だった。
「見事な出力だ。お前のその規格外のフィジカルは、最高に燃費の良い重機だな」
少し離れた場所で、中村優太がタクティカル・マウンテンパーカーのポケットに手を突っ込みながら、感心したように頷いた。
「ガハハ! だろ? 都会の工事現場じゃ『お前が動くと建材が全部ぶっ壊れるから帰れ』ってクビにされたが、この村じゃ俺様のパワーは大歓迎だからな!」
イグニスは割った薪を軽々と抱え上げ、優太が用意したソリの上にドサリと積み上げた。
今日は、ポポロ村の冬の兵站を支えるための、男二人による薪拾いの任務日である。
「しかし、いいのか? もうすぐ年末だが、竜人の里(実家)に帰らなくて」
優太が、G-SHOCKの盤面で時刻を確認しながら尋ねる。
「……帰れねぇよ」
イグニスは鼻の頭をこすり、少しだけ遠い目をして笑った。
「前にも言っただろ? 都会で一旗揚げるって家を飛び出した手前、底辺生活してたなんて口が裂けても言えねぇ。親父とお袋には、『俺様の純金の像が建ったぜ!』って、お前が作ってくれた合成写真を送っちまったしな」
「見栄っ張りな馬鹿トカゲめ」
優太は呆れたように息を吐き、アメスピを取り出して軍用マッチで火をつけた。
「だが、まぁ……お前がいないと、この村の防衛力(火力)がガタ落ちするのは事実だ。しばらくは、その見栄に付き合ってやるよ。親父さんには、俺から『立派に自警団の主力として働いている』と手紙を書いておいてやる」
「マジか!? お前、村の医者でドロップアウトしたエルフの保護者なんだろ!? インテリの言うことなら、親父たちもコロッと騙されるぜ! ありがとな、優太!」
イグニスが嬉しそうに、優太の肩をバンバンと叩く。
「痛い、加減しろ馬鹿。骨が折れる」
男同士の、飾らないバディの時間が流れる。
面倒なヒロインたち(失礼)がいないこの静かな森の空気は、優太にとっても心地の良いものだった。
だが、その静寂は、突如として破られた。
ガサガサガサッ!!
「……ん?」
イグニスが斧を肩に担いだまま、耳をピクッと動かした。
優太も即座にアメスピを携帯灰皿に捨て、タクティカルリュックから折りたたみ式の『ワスプ薙刀』をシャキィンと展開する。
森の奥の茂みをなぎ倒し、姿を現したのは、体長二メートルを超える巨大な魔物だった。
全身を硬固な岩の鎧で覆われた『装甲イノシシ(アーマード・ボア)』である。
「なんだ、ただのイノシシか。今日の晩飯はジビエの牡丹鍋だな!」
イグニスがニヤリと笑い、一歩前に出ようとした。
「待て、イグニス。止まれ」
優太の鋭く、冷徹な声がそれを制止した。
「あん? なんだよ、あんなの俺様の斧なら一撃だぜ?」
「よく見ろ。正常な個体じゃない」
優太は薙刀を構えたまま、鋭い医官の目で装甲イノシシを観察した。
本来、装甲イノシシは縄張り意識が強いものの、こちらから手を出さなければ襲ってくることは少ない。
しかし、目の前の個体は異常だった。
口からはカニのように白い泡を吹き、目は充血して真っ赤に染まっている。さらに、木に何度も体を打ち付けたのか、自慢の岩の装甲のあちこちがひび割れていた。
そして――優太の視力が、決定的な『異常』を捉えた。
「……虫、だ」
「虫ぃ?」
「ひび割れた装甲の隙間に、奇妙な『黒い羽虫』がびっしりと寄生している。あいつの異常な興奮状態(ゾンビ化)は、あの寄生虫による神経系の乗っ取りか、激痛による狂乱だ」
優太の脳裏に、かつて学んだ狂犬病や寄生虫の症例がフラッシュバックする。
「接近戦は却下する。もし返り血やあの虫を浴びて、未知の感染症を引き起こしたら、村が全滅するぞ」
「ゲッ……マジかよ。じゃあどうすんだ? 遠距離から俺様の炎で丸焼きにするか?」
「それじゃあ森が火事になるし、肉も炭になっちまう」
装甲イノシシが、優太たちに気づき、ブルルルルッ!!と狂ったような鳴き声を上げて前傾姿勢をとった。突進の構えだ。
「俺の悪知恵と、お前のコントロールで仕留める」
優太はリュックから、地球ショッピングで取り寄せた赤い缶を取り出した。
地球の軍隊や警察が暴徒鎮圧に使用する、『業務用・超強力催涙スプレー(カプサイシン・ガス弾)』である。
「イグニス。俺がこれを奴の顔面に投げつける。お前は俺の合図で、極小の『熱波』を当てろ」
「熱波? 燃やすんじゃねぇのか?」
「液体ガスを熱で一気に気化・膨張させて、奴の呼吸器(鼻と口)に強制的に叩き込むんだ。いいな?」
「ガハハ! なるほど、エグい戦法だぜ! 任せな!」
ルナの暴走魔法すら手懐けたイグニスの炎のコントロールがあれば、造作もないことだ。
ドゴォォォォンッ!!
狂乱した装甲イノシシが、地響きを立てて猛突進を開始した。
巨岩のような質量が、時速60キロで迫り来る。
「今だ!」
優太が催涙スプレーのピンを抜き、正確無比な投擲でイノシシの鼻先へと投げつけた。
同時に、イグニスが大きく息を吸い込む。
「【極小熱波】!!」
イグニスの口から放たれたのは、炎ではなく、陽炎のように揺らめく超高温の熱の塊だった。
熱波が空中のスプレー缶に直撃した瞬間。
ボフゥゥゥゥッ!!
破裂した缶から飛び散った高濃度のカプサイシン液体が、熱によって一瞬で気化し、強烈な刺激臭を放つ『真っ赤なガスのドーム』となって、突進してくるイノシシの顔面をすっぽりと包み込んだ。
「ブギィィィィィィィッ!!?」
装甲イノシシは、肺の奥深くまで超高濃度の催涙ガスを吸い込んだ。
目、鼻、喉、すべての粘膜を唐辛子の原液で焼かれるような絶大なる苦痛(非致死性ダメージ)。
強固な装甲も、呼吸器からの直接攻撃には何の意味も持たない。
イノシシは白目を剥き、激しく咳き込みながら足をもつれさせ、優太たちの数メートル手前でズザーッ!と泥を跳ね上げて完全に気絶した。
指一本触れることなく、圧倒的な質量の脅威を無力化したのである。
「ガハハハハッ! 一撃だぜ! いやぁ、相変わらず優太の考える悪知恵は容赦がねぇな!」
イグニスが腹を抱えて笑い、優太の背中をバンバンと叩く。
「物理的な装甲が厚いなら、内側(粘膜)から攻めるのが医療の基本だ」
優太はガスマスクを装着し、ワスプ薙刀でガスの残滓を払いながら、倒れたイノシシへと近づいた。
「よし、お前はここで待機してろ。俺が解体する」
優太はイノシシの首筋に麻酔を打ち込み、完全に安楽死させた後、医療用のピンセットを取り出した。
彼の目的は肉ではない。イノシシの装甲の隙間にびっしりと寄生していた『黒い羽虫』だ。
催涙ガスを浴びたためか、虫のほとんどは死滅しているか、痙攣して動けなくなっていた。
優太はピンセットで一匹の虫を摘み上げ、試験管の中に密封した。
「……どうした優太? ただのダニか何かだろ?」
イグニスが不思議そうに尋ねる。
「……いや。妙だな」
優太はガスマスクの奥で、鋭く目を細めた。
試験管の中の虫は、硬い外骨格を持ち、かすかにだが『魔力』の残滓を帯びていたのだ。
「この森の生態系に、動物の神経を狂わせるほど強力な寄生虫なんて存在しなかったはずだ。しかも、こいつは……宿主の血肉じゃなく、『魔力』を吸って肥大化している痕跡がある」
優太の医官としての直感が、微かな、しかし確かな『警鐘』を鳴らしていた。
これは自然発生したバグ(異常)ではない。
何者かによって統率された、意図的な『侵略の兆候(パンデミックの前兆)』かもしれない。
「優太? どうした、怖い顔して」
「……いや。ただの取り越し苦労ならいいんだがな」
優太は試験管をタクティカルリュックの奥にしまい込み、振り返ってイグニスに向かって親指を立てた。
「任務完了だ。肉をソリに積んで帰るぞ。今日の晩飯は、寄生虫のいない安全な部位だけを使って、俺が特製の焼肉にしてやる」
「うおおおっ! マジか! 久しぶりの優太の飯だぜェッ!」
イグニスが歓声を上げ、イノシシの巨体を軽々と担ぎ上げる。
「優太の悪知恵と、俺様の炎があれば、どんな敵が来ても無敵だな!」
「……バカ言え。俺一人じゃ、ただの医者だ。お前たちの出力があってこそのロジックだ」
男二人の、バカ話と頼もしい足音が、冬の森に響いていく。
この時の彼らはまだ、知る由もなかった。
この小さな黒い羽虫が、やがてポポロ村の日常を脅かす、未曾有の『死の群れ(スウォーム)』のほんの斥候に過ぎないということを。
読んでいただきありがとうございます。
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