EP 10
月下のクレープパーティーと、広くなった陣地
ポポロ村の夜風が、少しずつ冬の冷たさを帯び始めていた。
しかし、広場に漂う甘いクレープの香りと、村人たちの賑やかな笑い声が、その寒さを優しく和らげている。
「優太さーん」
ふわりと、陽薬草の穏やかな香りが鼻腔をくすぐった。
広場の隅にあるベンチでコーヒーを啜っていた優太の隣に、月兎族の少女がちょこんと腰を下ろした。
キャルル・ムーンハート。彼女の手には、丁寧に巻き上げられた特製のクレープが握られている。
「お疲れ様です、優太さん。ずっとクレープメーカーの前に立って、皆に振る舞ってばかりだったじゃないですか。ロジスティクスを管理する人間が先に倒れたら、元も子もありませんよ?」
キャルルは、かつて優太が彼女に言ったセリフを少し得意げに真似しながら、そのクレープをスッと差し出した。
「ほら、私の特製です。疲れた脳には糖分が必要なんでしょう?」
「……お前、俺の言葉をよく覚えてるな」
優太は苦笑しながら、キャルルの手元を見た。
生地の中にはたっぷりのホイップクリーム。そして、その上にトッピングされているイチゴは……なぜか全て、包丁で精巧な『人参の形』にカットされていた。
「イチゴまで人参にする執念はさすがだな」
「むっ、いいじゃないですか! 人参は完全無欠の栄養食であり、私の魂の形なんです! イチゴ人参だって、絶対に美味しいはずです!」
キャルルがウサギの耳をピンと立てて主張する。
優太は小さく笑い、クレープを受け取ろうと手を伸ばした。
だが、キャルルはその手をサッと躱し、自分の胸元にクレープを引き寄せた。
「……ん?」
「あの、ですね。優太さん」
キャルルは月明かりの下で、少しだけ恥ずかしそうに目を伏せた。
彼女の白い頬が、ほんのりと、イチゴと同じくらい赤く染まっている。
「昨日の……世界樹のドームの時。優太さん、言いましたよね。ルナちゃんのことを信じて、『お前は執刀医だ』って。……私、あの時の優太さん、すっごくカッコいいなと思ったんです」
「……」
「今までの優太さんは、全部一人で計算して、一人で責任を背負って、危険なものは自分の手の届かないところに隔離しようとしていました。でも、昨日の優太さんは……ルナちゃんを、私たちを信じて、自分の背中(陣地)を預けてくれた」
キャルルは、優太の顔を真っ直ぐに見上げた。
その瞳には、彼に対する絶対的な信頼と、隠しきれない淡い熱情が揺れている。
「それが、すごく嬉しかったんです。優太さんが、私たちを本当の『仲間』として受け入れてくれたみたいで」
「……大袈裟だな。俺は単に、適材適所の人材配置をしただけだ。医官のロジックとして、俺が執刀するよりルナの魔法に任せた方が生存確率が高かった。それだけのことだ」
優太は照れ隠しのように、少しだけそっけなく答えた。
だが、キャルルには分かっている。
月兎族の鋭敏な聴覚が捉える優太の心音は、どこまでも優しく、そして不器用なほどに温かいことを。
「ふふっ。優太さんは素直じゃないですね。……だから、これは私からの、優太さんへの『ご褒美』です」
キャルルは、両手で持ったクレープを優太の口元へとゆっくり近づけた。
「はい、優太さん。……あーん、です」
「…………は?」
優太の動きが、完全にフリーズした。
歴戦の医官であり、どんな修羅場でも冷静さを失わない彼が、かつてないほどの予測不能な事態(ヒロインの不意打ち)に直面していた。
「な、何をしてるんだお前は。自分で食うから貸せ」
「ダメです! これは私の手作りなんですから、私が食べさせます! ほら、早くしないとクリームが溶けちゃいますよ?」
キャルルは絶対に引かないという強い意志と共に、ウサギの耳を揺らしてクレープを押し付けてくる。
並の男なら、ここで動揺してデレるか、恥ずかしがって逃げるかの二択だろう。
だが、中村優太は『打算なき男』である。
相手の純粋な好意(と少々の暴走)に対して、無下に扱うようなことはしない。
「…………」
優太は小さくため息をつき、逃げ場のないことを悟ると、観念したように口を開いた。
キャルルが嬉しそうに微笑み、クレープの端を優太の口へと運ぶ。
パクリ、と。優太はイチゴ人参とクリームを一緒に噛みちぎった。
もっちりとした生地に、濃厚な甘さのクリームと、イチゴの酸味が口の中に広がる。地球のクレープミックスと異世界のフルーツが織りなす、完璧な糖分の暴力だった。
「……どうですか?」
キャルルが上目遣いで、期待に満ちた表情で尋ねる。
優太はゆっくりと咀嚼し、飲み込んでから、普段の彼からは想像もつかないほど、柔らかく、優しい笑みを浮かべた。
「……甘すぎるな。だが、疲れた体には悪くない。美味いよ」
「〜〜〜〜ッ!!」
優太のその真っ直ぐな言葉と笑顔に、キャルルの顔が一瞬にして沸騰したように真っ赤になった。
(や、やばいです! 自分でやっておいて、優太さんの破壊力が高すぎます……! 私の心音の方が、今すっごくうるさくなってる……!)
キャルルは両手で顔を覆い、ウサギの耳をパタパタと激しく揺らして恥ずかしさに悶えた。
「ちょっと! そこのお二人!!」
その時、ベンチの裏から、空気を一切読まない元気な声が飛び出してきた。
「アイドルのマネージャーたるもの、広場の隅でイチャイチャするのはコンプライアンス違反ですわよ!」
臙脂色の芋ジャージを着たリーザが、口の周りをチョコレートだらけにしながらズイズイと割り込んでくる。
「もーっ! リーザちゃん! 邪魔しないでくださいよ!」
キャルルが顔を赤くしたまま抗議する。
「あら、抜け駆けは許しませんわ! ドクター・ユウタ! 私のクレープも食べてくださいませ!」
その後ろから、純白のドレス姿のルナ・シンフォニアも、トコトコと嬉しそうに駆け寄ってきた。
彼女の手には、異常なまでにエメラルドグリーンの光を放っているクレープが握られている。
「ル、ルナ。なんだその光るクレープは」
優太が若干引き気味に尋ねる。
「はい! 優太様の疲労を回復させるために、クレープの生地に私の自然魔法(回復力)を1%だけ練り込んでみましたの! これを食べれば、三日三晩は不眠不休で働けますわ!」
「それはもはや劇薬だろ。兵站食じゃなくてドーピング(違法薬物)じゃないか」
優太がツッコミを入れる横で、リーザが「な、なんですって!?」と食いついた。
「三日三晩働けるクレープ!? ルナ様、それですわ! それを大量生産して、ルナミス帝国のブラック企業の社長たちに売りつければ、金貨が山のように……! Love & Moneyィィッ!!」
「却下だ。市場の倫理観が崩壊する」
優太がリーザの頭にチョップを落として即座に制圧する。
「あいたっ! もう、優太さんはいつも私のビジネスチャンスを潰しますのね!」
リーザが涙目で頭を押さえる。
「ドクター・ユウタ! ドーピングではありませんわ、純度100%の愛ですの! さぁ、あーんしてくださいませ!」
ルナが輝くクレープを押し付けてくる。
「だから、ルナちゃん! 優太さんは私が作ったクレープを食べるんです! ルナちゃんはイグニスにでも食べさせてあげてください!」
「むっ、キャルル様には負けませんわ!」
ヒロイン三人が、優太を巡ってワチャワチャと騒ぎ始める。
広場の隅では、限界までクレープを平らげたイグニスが、「ぐごォォォ……ルナちゃんの魔法、すげぇ……」と幸せそうに大の字になって爆睡していた。
騒がしくも、温かい夜。
ヤンデレ世界樹の脅威も、経済崩壊の危機も過ぎ去ったポポロ村に、ようやく本当の「平和な日常」が戻ってきていた。
「……まったく。どいつもこいつも、手のかかる連中だ」
優太は、三人娘の口論をBGMにしながら、ポケットからアメスピを取り出し、軍用マッチで火をつけた。
細く吐き出した紫煙が、冬の澄んだ夜空へと吸い込まれていく。
空には、ルナミス大陸の美しい満月が、煌々(こうこう)と輝いていた。
かつての優太なら、この騒がしい状況を「規律違反」として一蹴し、静かな自分だけの場所へと退避していただろう。
誰かを信じることは、自分の中に他者という『リスク』を抱え込むことだ。
だが、今の彼は、そのリスクこそが、生きていく上で何よりも得難い『財産』であることを知っていた。
(……悪くない。これが、俺の新しい陣地か)
『――ピロリン♪』
優太の脳内に、どこまでも澄み切った、最高に美しいシステム音が鳴り響いた。
『打算なき信頼と、他者を受容する心の成長を確認しました。完全なる共同体の絆(月下の宴)の構築により、善行ポイント【+1000 P】を獲得! カルマ(運命力)が、あなたと仲間たちの未来を祝福しています!』
「……お節介なシステムだ」
優太は内心で苦笑しながら、タバコの煙と共に短く息を吐いた。
「優太さん! 早くこっちのクレープも食べてください!」
「優太様! 私の光るクレープを!」
「私には五円玉を恵んでくださいませーっ!」
「分かった、順番に食うから騒ぐな。リーザ、お前には一円もやらん」
神々が視聴率に狂奔し、勇者たちが私欲で暴れ回るアナスタシア世界。
その片隅にある小さな村で、一人の打算なき医官は、最強で最高に面倒くさい仲間たちと共に、今日も静かに、そして騒がしく地獄を綺麗にしていく。
冷徹なロジックの中に、確かな温もりを宿しながら。
読んでいただきありがとうございます。
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