EP 6
医官のトリアージと、命を救う『出力3%』
「お前のその規格外の魔力は、使い方次第で誰かの命を救う、世界で最も鋭く美しい『メス』になる」
巨大なツルのドームに閉じ込められたポポロ村の広場。
中村優太の低く、しかし絶対的な信頼を帯びた声が、静寂の中に響き渡った。
「メス……? 私の、魔法が……?」
泥に汚れた膝をつき、涙を流していたルナ・シンフォニアが、震える声で聞き返す。
彼女の両手は、優太の大きく温かい手によって、しっかりと包み込まれていた。
「そうだ」
優太はルナの瞳を真っ直ぐに見据えたまま、静かに頷いた。
これまで優太は、ルナという存在を『歩く災害(環境ハザード)』として扱い、その行動をガチガチの許可制で縛り付け、管理し、隔離しようとしていた。
それは軍医として、あるいは指揮官としての正しい防衛ロジックだ。予測不能な要素は戦場において命取りになる。危険なものは封じ込めるのがセオリーだ。
だが、優太は今、そのロジックを自ら破り捨てた。
(……こいつは兵器じゃない。暴発するだけの爆弾でもない。ただ、自分の力の『出力』を知らないだけの、不器用で心優しい女の子だ)
優太は、ルナの右手首にそっと指を当てた。
「ゆ、優太様……?」
「静かに。動脈の拍動を診る」
優太は左手首のG-SHOCKの秒針を見つめながら、ルナの脈拍をカウントし始めた。
「……心拍数120。明らかな頻脈状態だ。魔力の波長も心音に合わせて乱高下している。これじゃあ、出力調整なんてできるわけがない」
優太はルナの手首から指を離し、今度は彼女の背中に手を添えた。
「俺の呼吸に合わせろ。吸って……二、三。吐いて……二、三」
「すぅぅ……はぁぁ……」
「そうだ、上手いぞ。もう一度。吸って……二、三。吐いて……二、三」
優太の落ち着いた、メトロノームのように正確なバリトンボイスに導かれ、ルナの浅く震えていた呼吸が、少しずつ深く、規則正しいものへと変わっていく。
それと同時に、彼女の周囲で暴走気味に渦巻いていた虹色の魔力が、湖面のようにスッと凪いでいった。
「……落ち着きましたわ」
ルナの瞳から涙が引き、本来の澄み切ったエメラルドグリーンの輝きが戻る。
「よし。バイタル安定だ」
優太は立ち上がり、ルナに手を差し伸べた。ルナはその手を取り、純白のドレスの裾を払って立ち上がる。
「いいか、ルナ。よく聞け」
優太は周囲を囲む分厚いツルの壁と、そこに咲き乱れる巨大な花々を見渡した。
「さっきも言ったが、これは世界樹の『アナフィラキシーショック(免疫暴走)』だ。お前の魔力を敵対行動と誤認しているわけじゃない。むしろ逆だ。お前の強大な魔力を『娘からのSOSと栄養』だと認識して、防衛システムを過剰に働かせている」
「それなら、どうすれば……! 攻撃すればするほど、壁が分厚くなってしまいますわ!」
「医療の基本だ。暴走した免疫システムを力で殴りつければ、体はさらに反発する。必要なのは破壊じゃない……『鎮静』だ」
優太はタクティカルリュックのサイドポケットから、一本の注射器を取り出して見せた。
「人体がアナフィラキシーを起こした時、俺たち医官はアドレナリンやステロイドを局所的に『注射』して、免疫系に『もう攻撃しなくていい、安全だ』という信号を強制的に送る」
優太は注射器をしまい、ルナの持っている世界樹の杖を指差した。
「このドームのどこかに、ツルを統括している『魔力結節点』があるはずだ。そこへ、お前の自然魔法を撃ち込む。ただし、さっきみたいな大爆発じゃない」
優太の目が、鋭く細められた。
「出力を『3%』にまで絞れ」
「さ、3%……!?」
ルナだけでなく、後ろで聞いていたキャルルたちも驚きの声を上げた。
「そんな微弱な魔力で、この分厚い壁のコアに届くんですか!?」とキャルルが問う。
「届かせるんだよ。3%にまで絞り込み、極限まで圧縮して、針のように細く鋭い『魔法のレーザー(メス)』を作るんだ」
優太はルナの肩に手を置いた。
「世界樹のシステムは、強大な魔力(脅威やSOS)には反応して壁を厚くする。だが、極小にまで圧縮された『3%の魔力』なら、システムの閾値をすり抜けられる。針のように細い魔力でコアの中枢をピンポイントで突き刺し、そこに『私は無事だ、もう安全だ』というお前の意志(鎮静剤)を流し込むんだ」
ロジックは完璧だった。
しかし、それは同時に、ルナに「今まで一度も成功したことのない、超精密な魔力コントロール」を要求するものでもあった。
「……私に、できるでしょうか」
ルナは自分の杖を胸に抱きしめ、不安そうに目を伏せた。
「出力3%だなんて……今まで、全力で放出して全てを吹き飛ばすことしかしてこなかったのに。もし失敗して、また暴発させてしまったら……」
「失敗しない」
優太は即答した。一切の迷いも、疑いもない声だった。
「優太、様……?」
「俺が『できる』と診断したんだ。俺のロジック(見立て)を疑うのか?」
優太はアメスピの箱を取り出し、指で弄びながらニヤリと笑った。
「お前はもう、ただの歩く災害じゃない。ポポロ村自警団の立派な一員だ。俺がお前を、このオペ(強制切開手術)の『執刀医』に指名した。医官である俺が、お前の背中を完全に保証してやる」
優太のその言葉には、ルナを隔離対象から『信頼する仲間』へと引き上げた、確かな熱がこもっていた。
「…………っ!」
ルナの胸の奥で、何かが熱く弾けた。
今まで、誰も彼女に「力を制御できる」と期待してくれなかった。世界樹は過保護に彼女を包み込み、周囲のエルフたちは彼女の力に怯え、腫れ物のように扱ってきた。
だが、目の前のこの男だけは違う。
自分の不完全さを知った上で、それでもなお「お前の力が必要だ」と、真っ直ぐに信頼を預けてくれているのだ。
「……はいっ!!」
ルナは涙を完全に拭い去り、世界樹の杖を両手でしっかりと構え直した。
その瞳には、もう迷いはなかった。次期女王としての誇りと、仲間を救うための執刀医としての覚悟が、エメラルドグリーンの瞳に美しく燃え上がっていた。
「お任せくださいませ、ドクター・ユウタ。私の全神経を集中させて、出力3%の極細のメスを、寸分の狂いもなくコアに届けてみせますわ!」
「上出来だ。バイタルもメンタルも完璧だ」
優太は満足げに頷き、ついにアメスピを口に咥えて火をつけた。
紫煙を細く吐き出し、振り返って自警団の面々を見渡す。
「さて、執刀医の準備は整った。次は俺たちの仕事だ」
優太の鋭い視線が、イグニス、キャルル、そしてリーザを捉えた。
「執刀医のメスがコアに届くには、この分厚いツルの壁を一時的に『切開』して、コアへの射線を確保する必要がある。だが、ただ破壊しても一瞬で再生(回復)されて塞がれるだけだ」
優太はG-SHOCKのストップウォッチ機能を起動した。
「ルナのメスがコアに到達するまでの所要時間は、約三秒。つまり、お前たちには、この壁をこじ開け、再生を『三秒間』だけ遅らせる風穴(経路)を作ってもらう。できるか?」
「ガハハハッ! 当たり前だぜ!」
イグニスが両手斧を肩に担ぎ、竜の牙を剥き出しにして笑った。
「三秒もありゃ、俺様の炎で十分すぎる風穴を空けてやるよ! 仲間の執刀医サマのために、極上のオペ室を作ってやろうじゃねぇか!」
「優太さんのロジックと、ルナの覚悟……無駄にはしません!」
キャルルが特注の安全靴を地面に打ち鳴らし、ダブルトンファーをクルリと回して構えた。彼女の全身から、限界突破の紫電がバチバチと弾け飛ぶ。
「私の月影流で、ツルの再生細胞ごとぶち抜いてやります!」
「ふふふ……やっぱり、アイドルの出番ですわね!」
広場の隅から、みかん箱を抱えたリーザが進み出てきた。
彼女はすでに芋ジャージを脱ぎ捨て、色褪せた鱗ドレス姿へと変身していた。手にはドワーフ鋼製の魔導マイクが握られている。
「ルナ様が主役のステージ。この私が、最高のバックグラウンド・コーラス(特大バフ)で盛り上げて差し上げますわ! イグニス、キャルル様! 私の歌でステータスを限界まで引き上げますのよ!」
ルナの暴走という絶望的な状況から一転。
ポポロ村自警団の士気は、優太の『トリアージ(状況判断)』と『信頼』によって、最高潮に達していた。
「よし。オペを開始する」
優太がタバコを携帯灰皿に捨て、ワスプ薙刀をシャキィンと展開して号令をかけた。
究極の過保護システムに対する、前代未聞の切開手術。
ルナの『出力3%』の奇跡のメスを届けるため、竜と兎、そして地下アイドルの、完璧なチームワークによる反撃が今、始まろうとしていた。
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