EP 5
免疫暴走と、歩く大災害の涙
ポポロ村は、巨大な『緑の揺り籠』の中に完全に閉じ込められていた。
上空を覆い尽くす巨大なツル(茨)のドームは、外の冷たい冬の空気を完全に遮断し、内部を春のようなポカポカとした適温に保っている。
ツルの隙間からは淡いエメラルドグリーンの光が降り注ぎ、空気中にはリラックス効果のある甘い花の香りが漂っていた。
「……信じられません。私の全力の連続蹴りが、全部マシュマロに吸い込まれるみたいに無効化されるなんて」
ドームの壁際で、キャルルが肩で息をしながら膝に手をついていた。
彼女の足元には、数え切れないほどの蹴りを叩き込んだ痕跡があるが、ツルの壁はゴムのように凹んではボヨォンと元に戻るだけで、傷一つついていない。
「クソッ! 斧で叩き割ろうにも、この甘ったるい樹液が接着剤みたいに刃にまとわりついて抜けなくなっちまったぞ!」
竜人族のイグニスが、ツルに食い込んだ両手斧を力任せに引っ張っているが、ビクともしない。
「あぁぁ……もうおしまいですわ。このままじゃ明日の特売日どころか、一生この野菜室の中で暮らす羽目になりますの! アイドルのステージがキャベツの箱になってしまいますわーっ!」
リーザが芋ジャージの頭を抱え、地面に転がってジタバタと暴れている。
「騒ぐな、酸素の無駄遣いだ」
優太は携帯灰皿をポケットにしまい、G-SHOCKの盤面を見つめた。
「ドーム内の空気は、植物の光合成によって新鮮な酸素が供給されている。窒息の危険はない。だが、この異常なまでの『安全性』こそが厄介だ。外からの物理的・魔法的な破壊に対して、徹底的な衝撃吸収と耐性コーティングが施されている」
『――愛シキ娘ヨ。外界ノ悪意ハ、全テ防ギマシタ。ドウカ安心シテ、眠リニツイテクダサイ……』
脳内に直接響く、ヤンデレ世界樹の子守唄。
それは、ポポロ村を滅ぼそうとする殺意など微塵もない、ただひたすらに純粋で重すぎる『愛と過保護』の結晶だった。
「……私の、せいですわ」
ツルの壁の前に、純白のドレスを着たルナ・シンフォニアが進み出た。
彼女の目は赤く潤み、手にした『世界樹の杖』を強く、白くなるほど握りしめている。
「私が転んで、かすり傷なんか作ったせいで……お母様(世界樹)の防衛システムを誤作動させてしまった。優太様たちが大切にしているこの村を、鳥籠に変えてしまった……!」
「ルナ、自分を責めるな。お前が意図したことじゃない」
優太が声をかけるが、ルナは首を横に振った。
「いいえ! これは私の責任です! お母様の魔法は、次期女王である私の魔法で必ず相殺できるはずです! 皆様、下がっていてくださいませ!」
ルナは涙を拭い、杖を高く天へと掲げた。
その瞬間、ドーム内の大気が震え、ルナの足元から虹色の魔力の奔流が竜巻のように立ち昇った。
「おい、ルナ! 待て、出力を上げるな!」
優太が制止の声を飛ばすが、責任感と焦りに駆られたルナには届かない。
「私だって……皆さんの役に立ちたい! 壊してみせます! 【精霊の大極光】!!」
ルナの杖の先端から、全属性の自然魔力を極限まで圧縮した、目も眩むような極彩色の光のレーザーが放たれた。
それは、山をも一撃で消し飛ばすほどの、エルフの王女による最大火力の殲滅魔法。
極太のレーザーが、ドームを形成するツルの壁に真っ直ぐに直撃する。
カッ!! とドーム内が真っ白な光に包まれた。
「や、やったか!?」
イグニスが腕で目を覆いながら叫ぶ。
光が収まり、キャルルやリーザが恐る恐る目を開けた。
そこに広がっていたのは――破壊された壁ではなく、絶望的な光景だった。
『――魔力ノ供給、アリガトウゴザイマス。防壁ヲ、サラニ強化シマス』
「な……ッ!?」
ルナが絶句し、杖を持ったまま硬直した。
ルナの放った極大の魔法は、ツルの壁に傷一つ(・・・・)つけることなく、全て吸い込まれていた。
いや、それどころか。
膨大な魔力を「栄養」として吸収したツルは、喜ぶようにブクブクと太く膨れ上がり、ドームの壁の厚さを1メートルから3メートルへと一気に増強してしまったのだ。
さらに、ツルのあちこちから、ルナの魔力に反応して色鮮やかな『美しい巨大な花』が次々と咲き乱れ始めた。
ドーム内の空間が狭くなり、花から放出される甘い香りがさらに濃くなる。
「ま、魔法が……効かないどころか、吸収されて壁が分厚くなりましたわ!?」
リーザが後ずさり、キャルルも信じられないものを見る目で壁を見つめた。
「……最悪のパターンだな」
優太は舌打ちをし、その現象を冷徹な医学的ロジックで分析した。
「優太さん、どういうことですか!? なぜルナの魔法が吸収されたんです!」
「ルナの魔力は、元を正せば世界樹と同じ波長だ。つまり、世界樹の防衛システムにとって、ルナの魔法は『外敵からの攻撃』ではなく、『宿主からの栄養供給(エネルギー補給)』と認識されたんだよ」
優太は、咲き乱れる花と分厚くなったツルを指差した。
「これは物理的な防壁じゃない。人体で言うところの『マクロファージ(貪食細胞)』だ。ルナの傷をトリガーにして、世界樹の免疫システムが過剰に反応し、村ごと包み込んで隔離しようとしている」
「めんえき……? どういう意味だ、優太?」イグニスが首を傾げる。
「『アナフィラキシーショック』だ。本来は体を守るための免疫システムが、無害なものにまで過剰反応を起こし、自分自身や周囲を傷つけてしまう暴走状態だ。力任せに攻撃すればするほど、システムは『まだ危険が去っていない』と判断し、さらに壁を分厚く強固にしていく」
優太の言葉に、場が静まり返った。
外からの物理攻撃は無効。
中からの魔法攻撃は、全て栄養として吸収され、事態を悪化させる。
完全なる手詰まり。
究極の過保護による、絶対に破れない鳥籠の完成だった。
カラン……。
硬い音が響いた。
ルナの手から『世界樹の杖』が滑り落ち、地面に転がった音だった。
純白のドレスを着たエルフの少女は、自分の両手を見つめ、ガタガタと震えていた。
「また……やってしまいましたわ……」
ルナの瞳から、大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちた。
「小さい頃も……私が虫歯で泣いただけで、お母様が暴走して、世界中の森が人間を襲い始めました……。今も、私が転んだせいで、村の皆さんが閉じ込められて、私の魔法が……さらに壁を厚くしてしまった……」
ルナは膝から崩れ落ち、地面の草を握りしめて咽び泣いた。
「私……次期女王になんて、なれません。誰かを助けたいのに、いつも力を持て余して、壊して、迷惑ばかりかけて……」
『環境ハザード』。
優太が最初に自分をそう呼んだ言葉が、ルナの胸を鋭くえぐっていた。
「優太様の言う通りですわ……。私は、悪意がなくても周りを傷つけるだけの……『歩く災害』です……。ごめんなさい……ごめんなさい……っ!」
広場に、ルナの痛ましい泣き声だけが響き渡った。
キャルルはウサギの耳を悲しげに垂らし、イグニスもかける言葉を見つけられずに俯いている。
リーザでさえ、特売日のことを忘れて、心配そうにルナを見つめていた。
誰もが、圧倒的な自然の力とシステムの前に無力感を感じていた。
――ただ一人。
中村優太だけを除いて。
「……」
優太は、泣き崩れるルナの姿を静かに見つめていた。
(こいつは、災害なんかじゃない)
優太の脳裏に、パチンコ店で無邪気に笑っていた姿や、村の子供たちのために火を出そうとした姿、そして農家の手伝いを一生懸命にこなしていた姿がフラッシュバックする。
出力の調整を知らないだけで、その根底にあるのは、誰かのために自分の力を使いたいという、打算なき『純度100%の善意』だ。
医官としての優太のロジックが、一つの『決断』を下した。
それは、危険分子を隔離・管理するという戦術的マニュアルを破り捨て、不完全な他者を「仲間」として信頼するという、彼自身の大きな成長の証でもあった。
ザクッ、ザクッ。
優太がスニーカーで草を踏む音が、静寂のドーム内に響いた。
「ゆ、優太さん……?」
キャルルが驚いて顔を上げる。
優太は、咲き乱れる巨大な花々を掻き分け、泣き崩れるルナの目の前まで歩み寄った。
そして、ゆっくりと片膝をつく。
「優太、様……」
ルナが涙で濡れた顔を上げる。その瞳には、恐怖と罪悪感が渦巻いていた。
「私に……近づかないでくださいませ……。また、私が何かして、優太様まで傷つけてしまったら……」
「馬鹿なことを言うな」
優太の低く、冷徹で、しかし絶対的な安心感を持った声が響いた。
優太は、泥に汚れたルナの震える両手を、自分の大きな手でしっかりと包み込んだ。
「泣くな、ルナ。お前の魔法は、人を傷つけるだけの爆弾じゃない」
優太は、ルナの真っ直ぐな瞳を、ただ静かに、力強く見据えた。
「お前のその規格外の魔力は、使い方次第で誰かの命を救う、世界で最も鋭く美しい『メス』になる」
医官・中村優太による、過剰防衛システム(アナフィラキシー)への『緊急切開手術』。
その執刀医としてルナを指名した、絶対的な信頼の言葉だった。
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