EP 9
『医療および経済倫理協定』と、魔皇国からの黒い手紙
ポポロ村の村長宅の離れ、ドリンクバー空間『ポポロキン』。
ふかふかのソファの上で、エルフの次期女王ルナ・シンフォニアは、ゆっくりと重い瞼を開けた。
「……あら、私……?」
首筋に微かなチクリとした違和感を覚え、そっと手を伸ばす。そこには、四角い小さな絆創膏が丁寧に貼られていた。
身を起こすと、テーブルの向かい側で、優太が腕を組み、冷徹な視線で彼女を見下ろしていた。その傍らには、ネギオと、特注の安全靴を履いたキャルル、そしてロックバイソンの缶詰をスプーンで貪っているリーザが並んでいる。
「おはよう、歩くコンプライアンス違反。よく眠れたか」
「ゆ、優太様……。私、確か国境警備隊の方々を温めて差し上げようと……」
「お前の『温める』は、広域殲滅魔法(戦術兵器)と同義だ。危うく村の防壁ごと南門の生態系がガラス化するところだったぞ」
優太は深く溜め息を吐き、テーブルの上に「ドンッ」と分厚い羊皮紙の束を置いた。
ネギオの監修のもと、優太が一晩かけて書き上げた『ポポロ村・医療および経済倫理協定(特別コンプライアンス契約書)』である。
「ルナ。お前がこの村に滞在することを、村の防衛指揮官として許可する。ただし、この契約書にサインし、すべての条項を遵守することが絶対条件だ」
「けいやくしょ、ですか?」
ルナが首を傾げながら羊皮紙を覗き込む。そこには、地球の法律と異世界の情勢をすり合わせた、異常なほど細かく厳格なルールが記載されていた。
『第一条:許可なき市場介入の禁止。金貨、宝石、および過剰な食料の錬成を禁ずる(インフレ防止法)』
『第二条:人体および臓器の売買、ならびに同意なき再生魔法による錬金術の禁止(医療倫理規程)』
『第三条:ハッピードリーム等、精神作用を及ぼす未認可薬物(幻覚剤)の使用禁止(薬事法違反)』
『第四条:暖を取る等の個人的理由による、戦術級破壊魔法の行使禁止(大量破壊兵器不拡散条約)』
「……以上だ。これを一つでも破った場合、即座にポポロキン(ドリンクバー)の利用権を剥奪し、村長宅の地下室で『塩漬けの純金100kg』の監視番として永久労働させる」
優太が極寒の眼差しで宣告する。
自由を愛するエルフにとって、これほど細かく行動を制限される契約など、普通なら激怒して森へ帰るレベルの束縛だ。
しかし——。
「まあ……っ♡」
ルナの頬が、リンゴのように真っ赤に染まった。
彼女は両手を胸の前で組み、うっとりとした瞳で優太を見つめ返したのだ。
「優太様……私のために、こんなにたくさんの『私だけのお約束』を作ってくださったのですね! エルフの森の長老様たちでさえ、私を畏れてこんなに厳しく縛り付けてはくれませんでしたわ……!」
「……は?」
「まるで、すべてを包み込んでくれる本当のお母様(世界樹)のようですわ! 私、優太様のこの厳しい管理の元で、一生暮らします!」
ルナは迷うことなく羽ペンを手に取り、嬉々として契約書にサインと魔力印を刻み込んだ。
優太はアメリカンスピリットを取り出しながら、遠い目をした。倫理と法律で縛り上げたはずが、なぜか「強烈な依存先」として懐かれてしまったらしい。
『パラパパパパーン!!』
その瞬間、優太の脳内で大音量のファンファーレが鳴り響いた。
【特大の善行を確認しました】
【対象:S級魔法災害の未然防止、ならびに地域経済(市場)の崩壊阻止】
【対象者の保護と社会更生プログラムの確立を評価します】
【ポイントを加算します:+15000P】
(……一万五千ポイント。防衛と経済の保護を同時に行ったことへの評価か。これだけのポイントがあれば、地球の最新医療設備や、さらなる拠点拡張も可能だな)
ホログラムUIを閉じ、優太はようやく口元に微かな笑みを浮かべた。
結果として、ルナという規格外の戦力(と財力)を、完全に合法的な形でポポロ村のシステム(シェアハウス)に組み込むことに成功したのだ。
「よぉし! ルナちゃんの入居祝いだね! 優太君、今日は特別メニューにして!」
「きゅるるるっ! 私、このロックバイソンの缶詰も美味しいですけれど、やっぱりA5ランクの和牛ステーキが食べたいですわーっ!」
キャルルとリーザが騒ぎ立てる。
優太は「仕方ないな」と立ち上がり、獲得したばかりのポイントを使って、地球の極上スイーツの詰め合わせと、最高級のステーキ肉を錬成した。
「カカッ! こいつはええ匂いや! インテリヤクザも、なんだかんだ言って過保護なオカンみたいになっとるな!」
「うるさいぞ、ネギオ。食わないなら片付けるぞ」
ポポロキンに、肉の焼ける匂いとメロンソーダの炭酸が弾ける音が響き渡る。
かくして、コンプライアンス違反のエルフは、無事にポポロ村のルールに縛られた「厄介だが愛すべき居候」として定着した。
——だが、その平和な宴の最中。
窓の外、ポポロ村の上空を、音もなく滑空してくる『一つの影』があった。
それは、ただの鳥ではない。魔力によって編み込まれた、漆黒の『使い魔』だった。
バサッ、バササッ。
使い魔はポポロキンの窓枠に降り立つと、嘴に咥えていた一通の手紙をポトリと落とし、そのまま煙のように消え去った。
「……ん? なんだこれ」
窓際にいたイグニスが、その手紙を拾い上げる。
封筒は高級な漆黒の羊皮紙で作られており、封蝋には、ルナミス帝国の紋章とは全く違う、禍々しくも美しい『三日月に絡みつく茨』の印が押されていた。
「優太……これ、宛名が『ポポロ村・防衛指揮官殿』になってるぜ」
「貸せ」
優太が手紙を受け取った瞬間、ネギオの顔色が変わった。
「アカン……優太、それの封蝋……『アバロン魔皇国』の皇室紋章や」
「魔族の国……?」
キャルルが警戒心を露わにして身構える。
優太はペーパーナイフで慎重に封を切り、中の便箋を引き出した。
そこに書かれていたのは、流麗な文字で綴られた、思いもよらない内容だった。
『拝啓。ポポロ村の防衛指揮官殿。
先日の見事な火炎魔法の光と、それを一瞬で制圧した手腕、我が国の観測魔法にて拝見させてもらった。
貴村の特産品(特にタマンネギとポポロシガー)には、常々興味を抱いていたところでね。
近日中に、当国の『視察団』が貴村を訪問する予定だ。良き取引になることを期待している。
——アバロン魔皇国・魔族穏健派代表 ルーベンス』
「……最悪のタイミングだな」
優太は手紙をテーブルに放り投げ、アメリカンスピリットに火を点けた。
ルナの放った火炎龍の光は、悪徳役人を追い払ったと同時に、遠く離れた魔族の国のアンテナにまでポポロ村の特異性を喧伝してしまったのだ。
「魔皇国の視察団……ただの挨拶で済む相手じゃないわね」
「きゅ、きゅるる……私、魔族の方に食べられてしまうんでしょうか……!?」
「心配いりませんわ! いざとなったら、私がまた火炎龍でポカポカにして差し上げますから♡」
「ルナ、お前は契約書第四条違反で地下室行きだ。すっこんでろ」
騒ぎ出すヒロインたちを冷徹に一喝し、優太は暗い夜空を見据えた。
ルナミス帝国との経済戦争を制し、エルフの善意を調教したばかりのポポロ村に、今度は『魔皇国』という巨大な国家の影が忍び寄る。
軍医・中村優太の戦いは、休む間もなく次のステージへと強制移行しようとしていた。
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