第四章 過保護な世界樹(アナフィラキシー)と、医官の極細メス
襲来する純白の厄災と、絶対防衛の峰打ち
ポポロ村から少し足を伸ばした先、ルナミス帝国の国境沿いに位置する大通り。
そこに建つ24時間営業のファミレス『ルナミスキング(通称・ルナキン)』の奥のボックス席は、今日も見慣れた面々による賑やかな空気に包まれていた。
「メロンソーダとカルピス、そこに微量の烏龍茶を黄金比でブレンド……これぞドリンクバーの極致! アイドル特製・無限カクテルですわ!」
臙脂色の芋ジャージを着込んだリーザが、濁った緑色の液体が入ったグラスを誇らしげに掲げている。
「ガハハハ! 俺様はロックバイソンのトリプルハンバーグ、追加でもう一皿だぜェッ! 討伐の後のジャンクフードは、竜の五臓六腑に染み渡るぜ!」
竜人族のイグニスが、熱々の鉄板に乗った肉の山に豪快にナイフを突き立てる。
「二人とも、他のお客さんの迷惑にならないようにしてくださいね。ドリンクバーの元を取ろうとしてお腹を壊しても、優太さんの胃薬は有料ですからね」
月兎族の村長・キャルルが苦笑しながら、優太の隣で温かい紅茶を啜る。
その隣で、自警団医官である中村優太はブラックコーヒーを片手に、G-SHOCKの盤面と、手元に広げた『標準外科学』の医学書を交互に確認していた。
「平和だな。感染症の兆候も、外傷の急患もない。見事なまでの『平時』だ」
優太はアメスピの箱を指で弄びながら呟いた。
軍隊や自警団において、弾薬や医薬品を消耗しない「退屈な時間」こそが、最高の兵站の証明である。
……しかし、戦場のセオリーにおいて、平和というものは得てして「最も想定外の方角」から一瞬にして崩れ去るものだった。
ウィーン、とルナキンの自動ドアが開いた。
その瞬間、ファミレス特有の油とハンバーグの匂いを強引に上書きするように、芳醇で甘い『極上の花の香り』が店内に爆発的に広がった。
「……おや? ここはルナミス帝国の王城ではありませんの? また道を間違えてしまいましたわ……。それにしても、随分と庶民的……いえ、アットホームな王の間ですこと」
入り口に立っていたのは、場違いなほど豪奢な、ふわふわの純白レースドレスを纏った一人の少女だった。
透き通るような白い肌に、エルフ特有の長く尖った耳。彼女が足を踏み入れただけで、レジ横に置かれていた造花の観葉植物が、強大な魔力にあてられて本物の葉を芽吹かせるという異常事態が起きている。
歩くたびに、周囲の空気が神聖な自然魔力で浄化されていく。
だが、その顔を見た瞬間――キャルルとリーザの表情が、文字通り「完全に凍りついた」。
「み、見つけましたわーっ!! キャルル様ぁっ! リーザ様ぁっ!」
少女は二人を発見するや否や、花が咲くような満面の笑みを浮かべ、ボックス席へ向かって猛烈な勢いで突進してきた。
「なっ……!? ルナ!? なんで貴女がここに!」
キャルルがウサギの耳を限界まで逆立て、ガタッと立ち上がる。
「エルフの次期女王、ルナ・シンフォニア様……!? なぜ絶対中立の『世界樹の森』からこんな下界のファミレスに……って、相変わらずの絶望的な方向音痴ですのね!」
リーザも芋ジャージをブルブルと震わせて後ずさる。
「ええ! キャルル様たちがポポロ村でシェアハウスをしていると風の噂で聞きまして、私もお二人の愛の巣に混ざりたくて、森を飛び出してきましたの!」
「シェアハウスじゃありません! 私は村長で、リーザちゃんは居候です! というか、貴女を泊めたら善意で家が(文字通り)燃えたり沈んだりするので絶対に嫌です! お断りします!」
キャルルが両手でバッテンを作り、全力で拒絶の姿勢を見せる。
「そんなぁ……! 私、お二人と一緒に暮らすために、手土産もちゃんと用意してきたんですのよ……?」
ルナが半泣きになりながら、異空間収納から取り出したのは――世界樹の森で採れた、見たこともないほど神々しく光り輝く『超高級フルーツバスケット』だった。
「こ、これは……! ひと房でルナミスデパートの地下食品売り場の家賃が払えるという、幻の世界樹アップルと黄金のブドウ……!」
リーザの目の色が、カッと「$」のマークに変わった。
「これで……これでリーザちゃんを買収しますぅ!」
「商談成立ですわ! ようこそポポロ村へ、ルナ様!!」
「ちょっとリーザちゃん!? 食べ物に釣られて村の安全保障を売り飛ばさないでください!」
キャルルが絶叫するが、極貧アイドルのリーザはすでにフルーツバスケットをガッチリと抱え込み、誰にも渡すまいとシャーッと威嚇している。
優太は無言のまま、コーヒーカップを置き、この新入り(ルナ)を冷静に観察していた。
(……魔力の総量が異常だ。イグニスやキャルルすら遥かに凌駕している。周囲の空間マナが、こいつの呼吸一つで変異を起こしている)
だが、優太の目は同時に、彼女の「危うさ」を的確に見抜いていた。
(筋肉の動きや重心の取り方は完全に素人。戦闘訓練を受けた痕跡はない。加えて、この一切の悪意を持たない純度100%の瞳……)
優太の医官としての直感が、最高レベルの警報を鳴らしていた。
(悪意ある敵より、強大な力を持った『無自覚な善意の馬鹿』の方が、戦場では取り返しのつかない大惨事を引き起こす。こいつは……『歩く災害』だ)
***
「さて、そろそろお会計にするか」
優太が伝票を手に取り、一同はレジへと向かった。
イグニスがトリプルハンバーグを爆食いしたせいで、伝票の額はルナミス銀貨十五枚という、ちょっとした宴会レベルの金額になっていた。
「ええと、自警団の経費と、私のポケットマネーで……」
キャルルが財布を取り出そうとした、その時。
「あっ! キャルル様、ここは私にお任せくださいませ!」
ルナが純白のドレスをふわりと揺らし、満面の笑顔でレジの前に躍り出た。
「合流できたお祝いですわ! ええと、お金、お金……いけません、お財布を世界樹の森に忘れてきてしまいましたわね。でも、大丈夫です!」
ルナは、レジの横にあった装飾用の『ただの石ころ』をヒョイと拾い上げた。
「これでお支払いしますわ。――【黄金変換】!」
ルナが手に持っていた『世界樹の杖』を軽く振ると、ただの石ころが、まばゆい光を放ち、ずっしりと重い『純度99.9%の巨大な金塊』へと一瞬にして変貌した。
「はい、店員さん! これでお釣りは取っておいてくださいませ! 貴方、少しお顔の色が優れませんわね。お金に困っているなら、貴方の腎臓を売って、私が再生魔法で治して差し上げましょうか?」
(※なお、この金塊は3日で元の石に戻る偽金なのだが、ルナ本人はそれが犯罪であるという自覚が一切ない。純度100%の善意である。)
深夜のファミレスでアルバイトをしていた店員が、「えっ? き、金塊!? じ、腎臓!?」と目を剥き、恐怖と混乱で震える手を伸ばそうとした――その瞬間。
スパーーーーーンッ!!!
「「「!?」」」
空気を切り裂くような鋭い破裂音が、ルナキンのレジ前に響き渡った。
ルナの華奢な首筋(延髄)に、キャルルの放った『月影流・光速の峰打ち(手刀)』がクリーンヒットしていたのだ。
「あひゅっ……」
ルナは白目を剥き、偽金の金塊を取り落とすと、そのまま床にスライムのように崩れ落ちて気絶した。
「す、すいません店員さん! 今のはただの手品です! お会計は正規の銀貨で払いますからぁッ!」
キャルルは光の速度で金塊(偽金)を回収してポケットに隠し、本物の銀貨をレジに叩きつけると、気絶したルナを担ぎ上げて逃げるように自動ドアを飛び出した。
***
店の外。冷たい秋の夜風に吹かれながら、キャルルはぜぇぜぇと息を切らしていた。
「はぁっ、はぁっ……あぶ、危なかったです……。あのままあの子に払わせていたら、ルナミス帝国から『偽金造りの国家転覆罪』と『臓器売買の容疑』で指名手配されるところでした……!」
「あのエルフのお嬢ちゃん、すげぇ魔法使うんだな! 石が金になるなら、一生働かなくていいじゃねぇか!」
イグニスが呑気なことを言って笑っている。
「馬鹿を言うな」
優太は冷たく言い放ち、ポケットからアメスピを取り出して軍用マッチで火をつけた。
「あんな出所不明の金塊が市場に大量に出回れば、貨幣価値が暴落し、ルナミス帝国はおろか大陸全土がハイパーインフレを引き起こして経済が完全に崩壊する。剣で人を切るよりタチが悪い暴力だ」
優太は紫煙を細く吐き出し、気絶しているルナを冷徹な目で見下ろした。
「キャルルの判断(物理的制圧)は完璧だった。このエルフは、ただの迷子じゃない。経済と環境を無自覚に破壊する、悪意なき環境ハザード(生物兵器)だ」
優太はゆっくりと視線を上げ、自警団の面々に通達した。
「ポポロ村でのこいつの滞在は許可する。外で野放しにする方が世界にとって危険だからな。だが、これよりルナ・シンフォニアは、俺の厳重な『医学的・戦術的隔離管理』の対象とする。魔法の使用、金銭の授受、すべて俺の許可制だ。いいな?」
「大賛成です! 目を離したら、村を一瞬で焦土にするか金山に変えるか分かりませんから!」
キャルルがウサギの耳をピンと立てて力強く頷く。
「うふふ……これで美味しいフルーツが毎日食べ放題ですわ……」
リーザだけが、相変わらず自分の欲望に忠実な寝言を呟いていた。
かくして、ポポロ村の自警団に、エルフの次期女王(という名の歩く大災害)が加わった。
この「絶対的なロジックを持つ医官」と、「出力調整が完全にバグった天然エルフ」の出会いが、村に前代未聞の騒動を巻き起こすことになるとは――この時の優太は、まだ完全に予測しきれてはいなかった。
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