EP 10
月下のBBQと、静かな心音
ポポロ村の広場を包んでいた熱狂的なBBQパーティーは、夜の深まりとともに、穏やかなまどろみへと姿を変えていった。
地球の英知の結晶である『黄金の焼肉のタレ』の魔力は凄まじく、百キロあったキマイラ(ライオン部分)の肉は、骨の髄まで綺麗にしゃぶり尽くされていた。
満腹になった村の男たちや非番の兵士たちは、芝生の上に大の字になって心地よい寝息を立てている。
広場の隅では、竜人族のイグニスがレスキュー用の保温シートにくるまり、「むにゃむにゃ……リーザちゃんの、限定アクリルスタンド……」と、重度の推し活の夢を見ながら幸せそうに鼻提灯を膨らませていた。
そのイグニスの巨体に寄りかかるようにして、リーザもまた芋ジャージ姿で丸まっている。彼女の手には、村人たちから差し入れられたフライドポテトの空き箱が大事そうに握られていた。
「……すっかり静かになったな」
中村優太は、パチパチと微かな音を立てて赤く熾る備長炭の前にしゃがみ込み、トングで灰を均していた。
宴の後の片付けと、残飯の適切な処理。これもまた、野生動物を村に引き寄せないための立派な『防疫と兵站』の一部である。
「優太さん。お疲れ様です」
背後から、ふわりと陽薬草の優しい香りが漂ってきた。
振り返ると、月兎族の村長・キャルルが、二つの取り皿を手に持って立っていた。
夜空には、煌々(こうこう)と輝くルナミス大陸の満月が昇っている。月光を浴びたキャルルの白い髪とウサギの耳が、まるで真珠のように美しく透き通って見えた。
「キャルルか。お前もよく動いたな、今日は」
「はい。でも、一番動いていたのは優太さんですよ。皆に配ってばかりで、ご自身は全然お肉を食べていなかったじゃないですか」
キャルルはそう言って、優太の隣にちょこんと腰を下ろした。
彼女が差し出した二つの皿のうちの一つには、見事に焼き上げられた厚切りのライオン肉が数枚、黄金のタレをたっぷりと纏って乗せられていた。
「一番サシ(脂肪)の入り方が綺麗だった『獅子のロース肉』です。焼肉のタレも、最後の一番美味しいところを絡めておきました」
キャルルは少し誇らしげに胸を張り、箸を優太に差し出す。
「……俺は調理と配給の担当だ。兵站を管理する人間が先に腹を膨らませたら、現場が回らないからな」
優太はそう言いながらも、素直に箸を受け取った。
「だが、これで全ミッション完了だ。ありがたく頂かせてもらう」
優太がタレの絡んだ肉を口に運ぶ。
備長炭の遠赤外線で表面が香ばしく焼き上げられ、中には野性味あふれるライオン肉の極上の旨味が閉じ込められている。それが、ニンニクと醤油の暴力的なパンチ力と合わさって、疲労した身体の細胞一つ一つに染み渡っていく。
「……美味いな」
優太が短く、だが本心からの感想を漏らすと、キャルルはパァッと顔を輝かせた。
「ふふっ、良かったです! でも……今日のキマイラ討伐、本当に優太さんのおかげでしたね」
キャルルは自分の皿の肉を小さくかじりながら、満月を見上げて微笑んだ。
「優太さんが解剖学的な弱点を教えてくれなかったら、私の蹴りは決定打になっていませんでした。それに、イグニスの毒を浄化するためのリーザちゃんのバフ……あのステージを作ったのも、優太さんの的確な指揮があったからです」
「俺はただ、持っている知識を口にしただけだ。実際に斧を振り、空を蹴って仕留めたのはお前たちだろ」
優太はアメスピの箱をポケットから取り出し、指で弄びながら淡々と答える。
「それに、キマイラを討伐する最大の動機を作ったのはお前だ。カレーの具材(人参)の怨みは、恐ろしいな」
「むっ……! か、からかわないでください! 私の三ヶ月の愛の結晶だったんですから!」
キャルルが顔を赤くして頬を膨らませる。
「でも……お肉、手に入って良かったです。今度の金曜日は、人参の代わりにこのお肉をたっぷり入れたカレーにしてくださいね?」
「ああ。筋肉の繊維が太いから、圧力鍋(魔導具)でトロトロになるまで煮込んでやる」
優太が微かに口角を上げて頷いた。
静かな時間が流れる。
秋の夜風が少しだけ冷たく頬を撫でるが、目の前の備長炭が放つ熱と、隣に座るキャルルの体温が、不思議なほどの心地よさを生み出していた。
キャルルは、そっとウサギの耳を澄ませた。
月兎族特有の鋭敏な聴覚。それは、風の音や虫の音を通り越し、隣に座る優太の胸の奥――『心音』を正確に捉える。
(……トクン、トクン、トクン……)
優太の心音は、どこまでも静かで、規則正しく、そして温かかった。
「自分の手柄じゃない」という言葉に、謙遜という名の虚勢はない。彼は本当に、打算も承認欲求もなく、ただ「村を守るための最善のロジック」を組み立て、裏方に徹しただけなのだ。
誰かを支配しようとせず、見下すこともなく、ただ泥臭く手を差し伸べ、最後にはこうして一緒に温かいご飯を食べてくれる。
その『嘘のなさ』が、キャルルの胸の奥を甘く、優しく締め付ける。
キャルルは自分の皿に乗っていた、一番大きく、一番美味しそうに焼けたお肉を一枚、箸でつまみ上げた。
そして、それをそっと、優太の皿の上に乗せた。
「……ん?」
優太が不思議そうにキャルルを見る。
「あのね、優太さん」
キャルルは、月明かりの下で、少しだけ恥ずかしそうに目を伏せた。
彼女の頬は、照れ隠しのようにほんのりと桜色に染まっている。
「……美味しいものは、好きな人と一緒に食べたいですから。これ、私の我儘です」
それは、ヤンデレの執着でも、村長としての義務感でもない。
ただの一人の少女としての、真っ直ぐで不器用な好意の表現だった。
静寂が降りた。
優太は、皿に乗せられた肉と、隣で顔を赤くして俯くキャルルを、静かに見つめた。
並の男なら動揺して言葉を失うか、あるいは下心を爆発させるようなシチュエーションだ。
だが、中村優太は『医官』であり、そして誰よりも『打算なき男』だった。
彼は照れて誤魔化すことも、過剰に意識して距離を取ることもしなかった。ただ、キャルルが勇気を出して差し出してくれたその『純粋な好意』を、真っ直ぐに受け止めた。
「…………」
優太は箸を取り、キャルルが乗せてくれたその肉を口に運んだ。
ゆっくりと咀嚼し、飲み込む。
「……ああ」
優太は、アメスピを弄ぶ手を止め、キャルルに向かって、普段は絶対に見せないような、本当に柔らかく優しい笑みを浮かべた。
「じゃあ、ありがたく頂くとするか。……最高に美味いよ、キャルル」
「……っ!」
優太のその言葉と、真っ直ぐな笑顔に、キャルルの顔が一気に茹でダコのように真っ赤になった。
(ゆ、優太さんが、笑ってくれました……! しかも、私の我儘を、普通に受け入れて……!)
キャルルの心臓が、自分でも驚くほどの早鐘を打ち始める。
ウサギの耳が恥ずかしさでパタパタと震え、彼女は両手で熱くなった顔を覆い隠した。
「ふ、不公平です! 優太さんばっかり涼しい顔をして! 私の心音、今すっごくうるさくなってるのに……!」
「お前が自分で言い出したことだろ。心拍数が上がりすぎると自律神経が乱れるぞ」
「優太さんのバカァ……っ」
顔を覆いながらも、キャルルの声は嬉しさに震えていた。
優太は小さく笑い、ついにアメスピを口に咥えて、軍用マッチで火をつけた。
紫煙が、月明かりに照らされながら夜空へと立ち昇っていく。
『――ピロリン♪』
優太の脳内に、今日一番の、静かで美しいシステム音が鳴り響いた。
『真の信頼関係の構築、および心温まる共同体の安寧(月下の宴)を確認しました。善行ポイント【+1000 P】を獲得。カルマ(運命力)が、二人の静かな夜を祝福しています』
(……相変わらず、おせっかいなシステムだ)
優太は内心で苦笑しながら、夜空の満月を見上げた。
神々が視聴率(PV)を求めて狂奔し、勇者たちが私欲で暴れ回るこのアナスタシア世界。
だが、そんなことは中村優太には関係ない。
彼が守るべきものは、この小さなポポロ村の平和と、隣で顔を赤くして笑う少女の日常、そしてバカ騒ぎをして眠る仲間たちの胃袋だけだ。
「……そろそろ夜風が冷えてくるな。キャルル、来週は自警団の冬用装備(防寒着)の点検をするぞ」
「はいっ! いつでも準備万端です、優太さん!」
赤く熾る備長炭の温もりと、秋虫の涼やかな鳴き声。
ポポロ村の夜は、優太の打算なき善行と、仲間たちの絆に守られながら、どこまでも穏やかに更けていくのだった。
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