EP 7
医官の解剖学と、強欲なライブ開演
「さぁ、聴きなさい! 私の強欲な愛を! 『Love & Money(アコースティック・森の音楽祭バージョン)』!!」
ポポロの森の奥深くに、臙脂色の芋ジャージを脱ぎ捨てた人魚姫の歌声が響き渡った。
色褪せた鱗ドレスを纏い、みかん箱という名のステージに立つリーザ・シーラン。彼女が両手でしっかりと魔導マイクを握りしめ、歌い出した瞬間――森の空気が、物理的に震えた。
『愛! アイ! 愛! アイ! ラ〜ブラブ!』
(Fu Fu!)
『マネー! マネ! ローン! ダーリン! グ!』
(Yeah!!)
通常、地下アイドルのライブといえば、チープな電子音のバックトラックや激しい重低音がつきものだ。だが、今は森のど真ん中である。伴奏など一切ない、純度百パーセントのアカペラ。
しかし、それが逆に凄まじかった。
シーラン国第一王女としての、波を操るほどの神聖な声帯。そこに「ファンから金と時間を根こそぎ奪う」という資本主義の権化のような強欲の魔力が乗った結果、彼女の生歌は、森の木々を共鳴箱として利用し、とんでもない音圧のバフ・デバフ空間を形成したのだ。
『朝に目覚ましがなったわ (ジリリリ!)』
『私はまだ眠いわ (おはよー!)』
「な……ッ!?」
真っ先に驚愕したのは、ガスマスク越しに戦況を見つめていた優太だった。
キマイラの尻尾の大蛇が吐き出した、ニコチン受容体を阻害する強力な筋弛緩毒の紫色の霧。それが、リーザの歌声が放つ『強欲の音圧』によって、まるで台風の暴風に吹き飛ばされるように四散していく。
物理的な風ではない。圧倒的な「陽の魔力」が、毒という「陰の魔力」を空間ごと上書き(デトックス)してしまったのだ。
「……あり得ないだろ。歌声の魔力振動だけで、空気中の毒素成分を中和・拡散させただと?」
優太は医官としての常識を揺さぶられながらも、すぐに視線を倒れているイグニスへと向けた。
すでに毒を吸い込み、呼吸筋が麻痺し始めていた竜人族の巨体。それが、リーザのサビの高音と共に、ビクンッ! と大きく跳ねたのだ。
『今日も私の為に世界が動く (まわって! まわって!)』
『全て上手くいくわ (絶対!)』
『愛も富も一つの物 (どっちもちょーだい!)』
「……あ、あれ? 俺様……」
白目を剥いていたイグニスの瞳に、カッと光が戻った。
彼の脳内では今、リーザの歌声による強制的なメンタルハッキングが行われていた。
『ダイヤが欲しい♪ 土地も欲しい♪ (Want You! Want You!)』という強欲な思念が脳髄に直接響き渡り、イグニスの脳下垂体が大パニックを起こして致死量スレスレのアドレナリンとノルアドレナリンを大放出しているのだ。
「医学の敗北だ……」
優太は額を押さえた。
「毒素で神経伝達物質の受容体が塞がっているなら、それを強引に押し流すほどの莫大な興奮物質を脳から分泌させて、無理やり神経を再接続させた……。バフという名の、超絶ブラックな強制労働じゃないか」
だが、効果は絶大だった。
「う……うおおおおおっ!!」
イグニスが地面を叩き、二百キロの巨体をバネのように跳ね起こした。
その全身から立ち上る竜の闘気は、毒の影響など微塵も感じさせないほどに膨れ上がり、再び数千度の青白い炎となって燃え盛っている。
「思い出したぜェェッ!! 俺様は昨日、親父への仕送りを全額ブチ込んで、リーザちゃんの公式ファンクラブ(非公認)の会員番号一号になったんだったァァッ!!」
イグニスは両手斧を拾い上げ、完全に狂信者のヲタクの目になって吠えた。
「ここで寝てたら、誰が推しのグッズを買うんだ! 誰が推しの笑顔を守るんだ! メロンのバケモンなんかに構ってる暇はねェ! 俺様の命は、アイドルの為にあるんだぜェェェッ!!」
「イグニス! 動けますか!」
後方で待機していたキャルルが、紫電の闘気を纏いながら叫ぶ。
「ガハハ! 当たり前だ! 今の俺様は、百連ガチャを引く直前よりもテンションが上がってやがるぜ!」
前衛の最強火力が、毒を完全克服(物理と気合で)して復活した。
ポポロ村自警団の陣形が、再び整った瞬間だった。
『だから私は 銀河の果てまで歌って行けるわ』
『だから、何処までもついて来てね♡ (一生ついていくよー!!)』
リーザの歌声が最高潮に達する。
その凄まじいバフ空間の中で、最も混乱し、パニックに陥っていたのは――敵である合成獣だった。
『ガァァァァッ!?』
『メェェェェッ!?』
『シャァァァァッ!!』
三つの頭が、それぞれ全く別の反応を示して暴れ狂っている。
ライオンの頭は、リーザの巨大な声(騒音)に怒り狂い、みかん箱めがけて突撃しようと前脚で地面を掻き毟る。
しかし、臆病な草食動物である山羊の後ろ脚は、リーザから放たれる圧倒的な『強欲の覇気』と音圧に恐怖し、一歩も前へ進もうとせず、むしろ後ずさりしようと踏ん張る。
さらに、蛇の尻尾は飛び交う魔力と騒音に極度のストレスを感じ、狂ったように自分自身の山羊の胴体に牙を突き立て、毒液を注入し始めた。
「……なんて無様で、非合理的な生物だ」
優太はガスマスクを首元に下げ、アメスピに火をつけながら、その滑稽な姿を冷静に観察していた。
「自然界の進化を経ていないツギハギの魔物。平時なら個々の暴力で押し切れるのだろうが、こういう極限のストレス環境下(ライブ会場)に置かれると、複数の独立した神経系が互いの行動を阻害し合う。完全に『システムエラー』を起こしているな」
優太の目は、すでにキマイラの外見ではなく、その内側――骨格と筋肉、そして神経の繋がりを透視する『解剖図』を捉えていた。
(……前脚と後ろ脚の動きが全く連動していない。ということは、ライオンの脊髄と山羊の脊髄は、一本の太い神経束で繋がっているわけじゃない)
優太は目を細め、キマイラの首の付け根、ライオンの黄金の鬣と山羊の白い毛が混ざり合う境界線を凝視した。
(あそこだ。ライオンの頸椎(首の骨)の下部と、山羊の胸椎(背骨)が、無理やり魔法で融合させられている。だが、骨の太さも形状も違う二つの動物だ。必ず接続部分に『歪み』が生じる)
優太の脳内で、人体の解剖学の知識と、目の前のキマイラの構造が完全にリンクした。
「……見つけた。第7頸椎と第1胸椎の間。そこが、三つの動物の神経をかろうじて繋ぎ止めている『ボトルネック(弱点)』だ。あそこを断ち切れば、奴の身体は中枢神経からの命令を失い、完全に崩壊する」
大自然のバグには、現代のロジック(解剖学)をぶつける。
優太は折りたたみ式のワスプ薙刀のグリップを握りしめ、前衛の二人に的確な指示を飛ばした。
「イグニス! キャルル! 聞け!」
優太の鋭い声が、リーザの歌声の合間を縫って二人の耳に届く。
「奴の中枢神経の接続部に、致命的なバグがある。だが、正面から突っ込んでもライオンの炎と蛇の毒の壁に阻まれる。まずはあの炎のブレスを封じる!」
「どうすんだ優太! あいつの炎は俺様のブレスと互角だぜ!」
両手斧を構えたイグニスが応じる。
「真っ向から押し返せ! 奴は今、山羊と蛇の生命維持までライオンの心肺機能に依存している! つまり、あの図体を動かすだけで極端に肺活量を消耗しているんだ! お前の炎で相殺し、息継ぎの『酸欠状態』に追い込め!」
「そういうことか! ガハハ、肺活量の勝負なら、竜人族の俺様が負けるわけねぇぜ!」
イグニスが深く息を吸い込み、胸郭を限界まで膨らませた。
『ガァァァァァァッ!!』
キマイラのライオンの頭部が、邪魔なイグニスを焼き払おうと、再び口を大きく開けて灼熱の火炎放射を放つ。
「燃え尽きろォォッ!! 【大火炎】ッ!!」
イグニスも同時に、竜の喉の奥から青白い極大のブレスを放った。
ゴォォォォォォォッ!!
赤と青の巨大な炎の柱が、森の広場の中央で真正面から激突する。
凄まじい熱波が巻き起こり、周囲の木々の葉が一瞬でチリチリと焦げ落ちた。
「キャルル! お前は俺の合図を待て! 狙うのは首を落とすことじゃない。ライオンの鬣と山羊の毛の境目……『首の付け根の関節』の一点だ!」
「首の付け根……了解です! 優太さんの言う通りに撃ち抜きます!」
キャルルは身を低く沈め、クラウチングスタートの姿勢をとった。
彼女の足元、タローマン製の特注安全靴のヒールに埋め込まれた『雷竜石』が、リーザのバフ効果によって限界突破の紫電を帯び、今にも弾け飛びそうに明滅している。
炎と炎の押し合いは、十秒、二十秒と続いた。
だが、優太の医学的予測は完璧だった。
「……そろそろだ」
優太がストップウォッチの秒針を見つめながら呟く。
『ガァ……ッ!? コホッ、ガハァッ!』
突如、キマイラのライオンの頭部が、大きくむせ返った。
三つの動物の身体を支え、さらに全力の火炎放射を続けたことで、肺の酸素が完全に枯渇し、致命的な『息継ぎの隙』が生まれたのだ。炎の勢いが一気に弱まる。
「今だッ!! 押し込めイグニス!!」
「オラァァァッ! 推し活パワーの底力を見やがれェェッ!!」
イグニスの青白いブレスが、弱まったキマイラの炎を一気に飲み込み、ライオンの顔面へと直撃した。
『ギャァァァァァッ!!』
ライオンが顔を焼かれ、苦痛にのけぞる。
その反動で、キマイラの首の付け根――優太が指摘した『第7頸椎のボトルネック』が、無防備に天を向いて完全に露出した。
「キャルル! 行けッ!!」
優太の号令が飛ぶ。
「私の人参の恨み……そして、優太さんのカレーの具材の恨みィィッ!!」
キャルルの瞳に、漆黒の殺意とウサギの執念が宿る。
ドアンッ!! と地面が爆発したかのような音を立てて、キャルルの身体が音速を超えて発射された。
リーザの強欲バフにより、ステータスが300%に跳ね上がった月兎族の最高速度。
森の木々を三角飛びの要領で蹴り上げ、軌道を目まぐるしく変えながら、彼女は空中高く――キマイラの頭上へと到達した。
「消し飛びなさい……! 【流星脚】ゥゥゥッ!!」
空中での前方宙返りの遠心力と、マッハの落下速度。その全ての運動エネルギーが、安全靴の鉄板ヒールという極小の一点に圧縮される。
ドゴォォォォォォォォンッ!!
雷鳴のような轟音が森に響き渡った。
キャルルの踵が、キマイラの首の付け根――優太の指示した脊髄の接続部分に、寸分の狂いもなく直撃したのだ。
『ガァ……ッ!?』
『メェ……』
悲鳴すら上げる間もなかった。
いびつに融合させられていた骨の関節が、圧倒的な質量攻撃によって完全に粉砕される。
ライオンの頭部と山羊の胴体を繋ぐ神経網が一瞬にして断線し、キマイラの巨体はビクンと大きく痙攣した後……糸の切れた人形のように、ズシン、と重い音を立てて崩れ落ちた。
尻尾の蛇も力なく伸びきり、もはやピクリとも動かない。
『全部手に入れるわ (強欲!)』
『ダイヤも株も♪ 土地も愛も♪ (All Need! All Need!)』
キマイラが完全に沈黙したと同時に、リーザの歌声もクライマックスを迎えた。
『だから私は 銀河の果てまで歌って行けるわ』
『だから、何処までもついて来てね♡ (一生ついていくよー!!)』
『ダーリン! (チュッ♡)』
(ジャーン! …ジャン!)
(チャリーン♪)
最後のウィンクと決めポーズ。
森の中に、黄金の魔力の紙吹雪が舞い散り、バグだらけの魔物との死闘は、最高のチームワークと解剖学の勝利によって、見事に幕を下ろしたのだった。




