EP 4
消えた人参と、激怒の月兎族
「……やはり、生半可な酸じゃないな。塩基性の薬品で中和しようにも、魔力が絡んでいるせいで化学反応が安定しない」
医療テントの簡易デスクで、中村優太はピンセットでつまんだ試験紙を見つめながら、低く唸った。
先ほどリーザのデッキブラシを溶かした『黄緑色の粘液(キマイラの胃液)』は、ガラスのシャーレの上でも未だにブクブクと不気味な泡を立てている。
「ゆ、優太さん……私のブラシの仇、絶対に討ってくださいませ……!」
リーザが短くなったプラスチックの棒を抱きしめ、涙目で訴えてくる。
「俺は医官だ。復讐代行業者じゃない」
優太は無表情のまま試験管をラックに戻し、手袋を外した。
「だが、こんな危険な消化液を吐き散らす未知の合成獣が、村のすぐ隣の森をうろついているとなれば話は別だ。放っておけば、いずれ必ず村の家畜や人間に被害が出る」
「ガハハハ! だから言ったろ、俺様が両手斧でカチ割ってやるって!」
ベンチに座っていたイグニスが、自信満々に鼻を鳴らした。
「どんなバケモンか知らねぇが、前足がライオンで後ろ足がヤギなんだろ? そんなアンバランスな体型の奴、俺様のスピードとパワーについてこれるわけがねぇぜ!」
「慢心するな。複数の動物がツギハギされているということは、神経系も複数存在する可能性がある。どう動くか予測がつかないのがキマイラの最大の脅威だ」
優太がアメスピを咥えようとした、まさにその時だった。
ズドォォォォォンッ!!
「な、なんだ!?」
「敵襲ですの!?」
医療テントの入り口が、爆発でも起きたかのような凄まじい衝撃音と共に吹き開いた。
いや、吹き飛んだのではない。
ポポロ村の村長である月兎族のキャルルが、100m5秒台の超スピードでテントに突っ込んできたのだ。
「キ、キャルル? どうした、そんなに血相を変えて……」
優太が目を見開く。
いつもは清楚で可愛らしいキャルルの姿が、今は異様だった。
真っ白なウサギの耳は怒りでピンと逆立ち、その全身からは、周囲の空気をプラズマ化させるほどのドス黒い『紫電の闘気』がバチバチと放たれている。
だが、その瞳には大粒の涙が浮かんでいた。
「ゆ、優太さぁぁぁん……っ!!」
キャルルは優太の胸元に飛び込むと、芋ジャージ姿のリーザも引くほどの号泣を始めた。
「あぁぁっ! 酷い……酷すぎます! 許せません!!」
「おい、落ち着け。何があった? キマイラに誰か襲撃されたか!?」
優太は即座に医療キットに手を伸ばし、トリアージの準備態勢に入った。
「襲われました……! 私の……私の愛しい子たちが……無残に食い散らかされていたんですぅぅっ!!」
「なんだと!? 負傷者はどこだ! 呼吸はあるか!?」
「呼吸も何も……全部、葉っぱとヘタだけ残して、根こそぎ食べられてしまったんですぅっ!」
「……は?」
優太の思考が、一瞬だけ停止した。
「葉っぱと、ヘタ……?」
「はい……! 私の『陽薬草ブレンド特製人参』の畑が……!!」
「「「……人参?」」」
優太、イグニス、リーザの三人の声が見事にハモった。
***
優太たちはキャルルに案内され、村のはずれにある村長専用の『家庭菜園』へとやってきた。
「こ……これは酷いな」
現場を見たイグニスが、素でドン引きした声を漏らす。
つい昨日まで、青々とした葉を茂らせていた美しい人参畑。
それが今や、巨大なブルドーザーで荒らされたかのように無残に掘り返され、土が剥き出しになっていた。
畑のあちこちに、医療テントの裏にあったのと同じ『獅子の前足』と『山羊の後ろ足』、そして『毒蛇が這った跡』が縦横無尽に残されている。
「見事に根菜(人参)の部分だけをピンポイントで掘り起こして食っているな。しかも、獅子の鋭い爪で土を掘り、山羊の平らな臼歯で噛み砕いた痕跡がある」
優太はしゃがみ込み、無残に噛み千切られた人参のヘタを拾い上げて観察した。
「……キマイラは肉食の獅子と、草食の山羊の胃袋を共有しているのか? だとしたら、極端に燃費が悪い。常に何かを食い続けていないと餓死する構造だ」
優太が冷静な生態分析を行っている横で、キャルルが地面に膝をつき、千切れた人参の葉っぱを抱きしめてワナワナと震えていた。
「ただの人参じゃないんです……っ!」
キャルルが、怨念のこもった声で呟く。
「この人参は……私が毎晩、月兎族の魔力を込めて土壌のpHを調整し、ポポロ村特産の陽薬草の成分を極限までブレンドして育て上げた、世界に一つだけの『超・陽薬草ムーンキス・キャロット』なんです……!!」
「な、名前が重いぜ……」
イグニスが後ずさる。
「優太さんが……!」
キャルルがガバッと顔を上げ、優太を真っ直ぐに見つめた。
「優太さんが毎週金曜日に作ってくれる『金曜日カレー』に、この最高の人参を入れたら、絶対に優太さんも皆も喜んでくれるって……! だから、三ヶ月間、毎日欠かさずお水と魔力をあげて、大切に大切に育ててきたのに……!!」
キャルルの目から、再び大粒の涙がこぼれ落ちる。
ヤンデレならぬ、カレーの具材への異常な執着――『野菜デレ(家庭的デレ)』の大爆発である。
「お、おいおい村長、落ち着けよ。たかが野菜だろ?」
空気を読まない竜人族・イグニスが、ヘラヘラと笑いながらキャルルの肩を叩こうとした。
「そんな草の根っこくらい、俺様がタローソンに行って、百円……じゃなくて銅貨一枚で買ってきてやるって! な?」
ピタッ、と。
キャルルの涙が止まった。
彼女はゆっくりと立ち上がり、両手に携えたダブルトンファーをクルリと回して構えた。
その瞳のハイライトは完全に消え失せ、底知れぬ漆黒の闇だけが広がっている。
「……イグニス」
「お、おう?」
「貴方、今……私の三ヶ月の愛の結晶(人参)を、『たかが野菜』と言いましたね?」
バチィィィンッ!!
キャルルの全身から、先ほどまでの比ではない、極大の紫電が立ち上った。
タローマン製の特注安全靴が地面を削り、凄まじい殺気がイグニスをロックオンする。
「……私の月影流・鐘打ちで、その硬い竜の下顎を、粉々にすり潰されたいですか?」
「ひぃぃぃっ!! すんませんしたァァッ!! 俺様がバカでした!!」
キャルルのガチの殺気に触れ、二百キロの巨体を持つイグニスが悲鳴を上げて土下座した。
「キャルル様の言う通りですわ!」
リーザが芋ジャージの袖をまくり上げ、キャルルに加勢する。
「これほどの魔力が込められたプレミアムな人参、市場に出せば束で銀貨三枚は下りませんのよ! つまり、あのキマイラとかいう獣は、私の清掃用具を溶かしただけでなく、村の貴重な財源をも食い荒らした大罪獣ですわ! 万死! 万死に値しますの!」
「お前は金換算かよ」
優太がため息をつく。
「優太さん……!」
キャルルが、トンファーを握りしめたまま優太を振り返った。
「私、許せません。村の平和を脅かすのはもちろんですが……優太さんのカレーの具材を盗み食いするなんて、絶対に生かしてはおけません!!」
キャルルの背後に、怒りの炎を纏った巨大なウサギの幻影が見えるかのようだ。
優太は、荒らされた畑と、激怒するキャルル、そして怯えるイグニスを交互に見比べた。
(……村への人的被害が出る前に、キマイラの方から足跡(尻尾)を出してくれたのは好都合だ。草食(山羊)の胃袋を満たしたなら、次は必ず肉食(獅子)の胃袋を満たすために、血の匂いを求めて村の家畜や人間を襲いに来る)
優太は立ち上がり、ポケットから新しいアメスピを取り出して火をつけた。
「……キャルル。人参の件はご愁傷様だ」
「優太さん……っ」
「だが、お前がそこまでブチギレてくれるなら、話は早い」
優太は紫煙を細く吐き出し、冷静な瞳で森の奥――キマイラが逃げ込んだであろう暗がりを睨みつけた。
「相手は解剖学のセオリーが通じないバグ生物だ。放置すれば、必ずパンデミックや二次被害をもたらす。これより、ポポロ村自警団の権限において、当該キマイラの『完全駆除』を実行する」
「駆除……いえ、殲滅です、優太さん」
キャルルが、ギリッと牙を鳴らした。
「あの野菜泥棒の細胞一つたりとも、この世に残すつもりはありませんから」
「……ほどほどにな。肉が全部消し炭になったら、生態調査ができないからな」
『――ピロリン♪』
優太の脳内に、軽快なシステム音が鳴り響く。
『農作物被害の迅速なアセスメント、および被害者への適切なメンタルケア(同調)を確認しました。善行ポイント【+200 P】を獲得。カルマ(運命力)が戦闘準備を整えています』
(……俺はポイントのために同調したわけじゃないんだがな。純粋に、カレーの具材を減らされたのは俺にとっても痛手だ)
「おい、イグニス。土下座してないで両手斧を持て。リーザ、お前は戦闘には参加しなくていいが、後方でバフ(歌)の準備をしておけ。お前のデバフ空間が、あのバグ生物の神経を混乱させるのに役立つかもしれない」
優太の的確な指示が飛ぶ。
「任せてくださいませ! アイドルの森の野外フェス、開幕ですわ!」
「お、おう! 俺様も、あの野菜泥棒をぶっ飛ばして名誉挽回してやるぜ!」
「……絶対に、絶対に許しません」
キャルルが、静かに、だが最も深く危険な闘気を練り上げている。
キマイラ討伐の動機が、「村の平和を守るため」という崇高なものから、「キャルルの個人的な怨み(と優太のカレーへの執念)」へと完全にスライドした瞬間だった。
「行くぞ。ハイキングじゃないんだ。各自、トリアージタグ(赤・黄・緑)を首から下げておけ」
優太を先頭に、怒りに燃えるポポロ村自警団の四人は、未知の合成獣が潜む深い森へと足を踏み入れた。
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