EP 3
清掃係リーザの執念と、謎の粘液
「ふふふーん♪ 銀貨、銀貨、ピカピカの銀貨〜♪」
ポポロ村の爽やかな秋晴れの朝。
医療テントの周辺で、臙脂色の芋ジャージを着たリーザが、タローマン製のデッキブラシを片手に機嫌よく鼻歌を歌っていた。
昨日、優太から日給(銀貨)を渡された彼女は、清掃という仕事に完全にやりがい(金銭的対価)を見出していた。アイドルとしてのステージを『医療テントの衛生管理』へとシフトし、異常なまでのモチベーションで村の美化に取り組んでいるのだ。
「そこ! ゴミが落ちてますわよ! アイドルの聖域(職場)に埃一つ残すことは許しませんの!」
シュッシュッ! とリズミカルにブラシを動かし、地面の土を均していく。
そのすぐ横の丸太のベンチでは、竜人族のイグニスが、昨日優太に麻酔を撃ち込まれた左の肩甲骨のあたりをさすりながら、ブツブツと文句を言っていた。
「い、痛ぇ……。あの野郎、俺様の大切な鱗の隙間を的確に狙いやがって。一晩寝てもまだチクチクしやがるぜ……」
イグニスは筋肉隆々の腕を回し、忌々しそうに顔をしかめる。
「俺様はなぁ、何十メートルもある岩魔獣のパンチだって笑って受け止める男だぜ? なのに、あんな細い針一本でダウンさせられるなんて、竜人族のメンツが丸潰れだ……」
「言い訳はよろしいですわ、デカブツトカゲさん」
リーザがデッキブラシをピシッとイグニスに向けた。
「注射から逃げ回るなんて、三歳児以下ですの。さぁ、愚痴を言っている暇があるなら、そこを退いてくださる? 今からこのベンチの周りを徹底的にブラッシングしますわ!」
「んだとコノヤロー! そもそもお前が俺様を追いかけ回さなけりゃ……って、なんだアレ?」
イグニスがベンチから立ち上がろうとした時、ふとテントの裏手に視線を向けた。
「ん? なんですの、急に話を逸らして……」
リーザもイグニスの視線の先を追う。
医療テントの裏側、森へと続く村の境界線近くの地面。
そこには、赤茶色の土の表面に、ドロリとした『黄緑色の粘液』がベッタリとこびりついていた。さらに、その粘液の周辺には、村の家畜のものとは明らかに違う、不気味な足跡がいくつか残されている。
「……な、なんですの、あの汚らしいヘドロは!」
リーザの瞳が、怒りでカッと見開かれた。
「私が昨日、銀貨のためにピッカピカに磨き上げた愛しの職場に、あんな得体の知れない汚れをつけるなんて……! 万死に値しますわ! アイドルの現場を汚すアンチの仕業ですの!?」
「おいリーザ、やめとけ。なんか嫌な匂いがするぜ……」
竜の嗅覚を持つイグニスが警告するが、完全に「清掃係のプライド」に火がついたリーザは止まらなかった。
「黙りなさい! このデッキブラシ(私専用の相棒)で、跡形もなく消し去ってやりますわ!」
リーザは芋ジャージの袖をまくり上げ、猛然と粘液に向かって突撃した。そして、渾身の力を込めてデッキブラシを振り下ろす。
「成敗ッ!!」
ゴシィッ!!
ブラシの先端が、黄緑色の粘液に勢いよく激突した。
ジュウゥゥゥゥゥッ……!!
「……えっ?」
リーザの手元から、耳障りな溶解音と、鼻を突く強烈な白煙が立ち上った。
タローマンで購入した頑丈なプラスチック製のブラシの毛先が、粘液に触れた瞬間にブクブクと泡を立て、あっという間にドロドロに溶け落ちてしまったのだ。
「あ、あぁぁぁぁっ!? 私の相棒がぁぁぁっ!!」
リーザが先端の消え失せた棒だけを握りしめ、悲鳴を上げる。
「溶けた!? プラスチックが、一瞬で水飴みたいに……!」
「――騒がしいな。朝から何をやっている」
テントのフラップがめくれ、アメスピを咥えた優太が顔を出した。その後ろからは、キャルルも顔を覗かせている。
「どうしたんですか、リーザちゃん? また何か怪しい商売を……」
「違いますわ! 私はただお掃除をしていただけなのに、この謎のヘドロが私のブラシを溶かしたんですの!」
涙目で訴えるリーザの手元と、地面に残された黄緑色の粘液を見て、優太の目がスッと細められた。
「……リーザ、それ以上近づくな。イグニスもだ」
優太は足音を立てずに現場に近づくと、タクティカルリュックから厚手の『ニトリルゴム製・耐薬品グローブ』を取り出し、素早く両手にはめた。さらに、ガラス製の試験管とスポイトを取り出す。
「優太さん、それは魔物の体液ですか?」
キャルルが警戒しながら尋ねる。
優太は無言でしゃがみ込み、スポイトで慎重に粘液を数滴吸い上げ、試験管に入れた。そして、リュックから取り出したリトマス試験紙のような『魔導pH測定紙』を浸す。
測定紙は、一瞬にして真っ赤に変色した。
「……ただの泥やヘドロじゃない。pH値は1から2の間……純粋な『強酸』だ」
優太は試験管を密閉し、リュックにしまいながら立ち上がった。
「塩酸や硫酸というより、生物の『胃液』に近い成分だな。食物を消化するための高濃度の酸性酵素が混じっている。ブラシのプラスチック部分が加水分解されて溶け落ちるのも無理はない」
「い、胃液……? 誰ですの、こんな所に胃液を吐き散らしたお行儀の悪い奴は!」
リーザがプンスカと怒るが、優太の視線はすでに粘液の横に残された『足跡』に向けられていた。
「おい、イグニス。お前、竜人族なら森の動物の足跡くらいは見分けがつくか?」
優太が指差した先を見て、イグニスが腕を組んで唸る。
「うーん……? なんか変だぜ、これ。前の方にある二つの足跡は、肉球と鋭い爪を隠し持った、猫科の大型獣……『獅子』の足跡だ。だけどよぉ……」
イグニスは首を傾げた。
「その後ろに続く足跡が、おかしい。蹄が二つに割れてやがる。『山羊』や『羊』の足跡だぜ。いくらなんでも、前足がライオンで後ろ足がヤギの動物なんて、自然界にいるわけがねぇ」
「おまけに、最後尾には太くて重いものが引きずられた跡がある。爬虫類……大型の『毒蛇』の尻尾の跡だ」
優太が補足し、アメスピの煙を細く吐き出した。
「獅子の前足、山羊の後ろ足、毒蛇の尻尾、そしてプラスチックすら溶かす強酸性の胃液(吐瀉物)」
優太は、それらの情報を己の解剖学的知識と、この異世界の生態系データベースと照らし合わせた。
「……間違いないな。自然界の進化系統樹から完全に外れた生物。魔法的、あるいは何らかの呪いによって複数の動物を強制的にツギハギされた『合成獣』だ」
「キ、キマイラ……!」
キャルルが息を呑み、ウサギの耳をピンと立てた。
「本来なら、ダンジョンの深層や魔王軍の研究所にしかいないはずの凶悪な魔物です……! どうしてそんなものが、ポポロ村のすぐそばに?」
「理由は分からんが、森の生態系からすれば明らかな『バグ(異常)』だ。放置すれば、森の動物を食い尽くし、いずれこの村にも被害が及ぶ」
優太は冷静に現状を分析する。
「ガハハハッ! なんだ、そんなツギハギのバケモンくらい、この俺様が両手斧でカチ割ってやるぜ!」
イグニスが嬉々として両手斧を背中から引き抜いた。
「昨日は注射針にビビって逃げたわけじゃねぇ! ちょっと森の空気を吸いに行きたかっただけだからな! ここで俺様がそのキマイラとかいう奴を倒して、俺様が最強だってことを証明してやる!」
「……強がるな。相手は未知の生態構造を持つ魔物だ。無策で突っ込めば、あの強酸の胃液を浴びて、お前の自慢の鱗ごと溶かされるぞ」
優太はイグニスを制止し、キャルルに向き直った。
「村長、急いで村の自警団と農家たちに警戒令を出せ。森への立ち入りを当面禁止し、防衛柵の補強を急がせるんだ」
「はいっ、分かりました! 村の皆さんの安全は、絶対に守ります!」
キャルルが村長としての顔を引き締め、駆け出していく。
『――ピロリン♪』
優太の脳内に、無機質なシステム音が鳴り響いた。
『未知の環境ハザード(生物兵器)の早期発見、および感染・被害拡大の防止措置を確認。善行ポイント【+300 P】を獲得。カルマ(運命力)が危機を察知しています』
(……ポイントなんぞどうでもいい。問題は、あんな不自然な構造の魔物が、どうやって生命活動を維持しているか、だ)
優太は、複数の動物の神経系が混在するキマイラの『解剖図』を脳内でシミュレーションし始めていた。
「あぁぁ……私のブラシ……」
足元では、リーザがドロドロに溶けたデッキブラシの残骸を抱きしめて泣いていた。
「許せませんわ……! アイドルの大事なマイクスタンド(掃除道具)を溶かすなんて! そのキマイラとやら、絶対にお説教して慰謝料(銀貨)をむしり取ってやりますの!!」
秋のポポロ村に、新たな脅威の影が忍び寄っていた。
しかし、その脅威でさえも、優太の冷徹な「解剖学のロジック」と、仲間たちの「ポンコツな執念」の前に、丸裸にされる運命にあることを、森に潜むキマイラはまだ知る由もなかった。
読んでいただきありがとうございます。
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