EP 2
逃亡する竜人と、無双薙刀流・麻酔術
「うおおおおッ! やめろォォォッ! 俺様の誇り高き竜の鱗に、そんな細くて尖った気味の悪いモンを突き立てるんじゃねェェェッ!」
ポポロ村に、竜人族の悲鳴が木霊した。
身長二メートル近い巨体と、鋼鉄の剣すら弾き返す頑強な赤銅色の鱗を持つ最強の物理アタッカー、イグニス・ドラグーン。
普段なら大火炎のブレスを吐き散らして魔物を消し炭にする彼だが、今ばかりは顔を青ざめさせ、ポロポロと涙を流しながら村のメインストリートを猛ダッシュで逃亡していた。
彼を後ろから猛烈な勢いで追いかけているのは、二人の少女だ。
「待ちなさいイグニス! 注射から逃げるなんて、子供ですか! 暴れると余計に痛いですよォォッ!」
月兎族の村長キャルルが、自警団の腕章をなびかせながら、100m5秒台の超スピードでイグニスの背中に迫る。
その後ろからは、ナース服の下に芋ジャージを着込んだリーザが、血眼になって追いかけていた。
「逃がしませんわよぉぉッ! 貴方が予防接種を受けないと、村の集団免疫が崩壊して、私の特別ボーナス(銀貨)がパァになりますの! 私の給料のために大人しく腕を差し出しなさいなッ!」
「お前の動機が一番エグいんだよ! 絶対に嫌だァァッ!」
イグニスは恐怖のあまり、背中から巨大な竜の翼をバサァッと広げた。
「空を飛べば、ウサギも人魚も追いつけねぇはずだ!」
そのまま空へ逃げようと羽ばたこうとした、その瞬間。
「ああっ! イグニス、そこは私が丹精込めて育てている『陽薬草ブレンド人参』の畑です! 踏んだら……踏んだら、月影流・顎砕きで下アゴを粉砕しますよッ!」
「ヒッ!?」
キャルルのドス黒い殺意にあふれた警告にビビり散らしたイグニスは、翼の展開を途中でやめ、不器用なステップで人参畑を回避した。そのせいで大きくバランスを崩し、彼は村の北側――森へと続く入り口の方向へ、ドタバタと地を這うように逃げていく羽目になった。
***
一方その頃。
村の中心にある医療テントでは、自警団医官・中村優太が、騒ぎをよそに一人静かに椅子に座っていた。
彼はタクティカルリュックから取り出した村の周辺地図(魔導マップ)を広げ、G-SHOCKのストップウォッチ機能を作動させながら、コーヒーを一口啜った。
「竜人族のパニック時の平均走力は、時速約60キロ……。だが、キャルルの殺気に怯えて翼の展開を躊躇し、畑を迂回したとなれば、大幅なタイムロスが生じる」
優太は地図上のいくつかのポイントにペンで印をつけていく。
「恐怖に駆られた生物は、本能的に『自分が最も安心できる場所』や『故郷に近い方角』へ逃げようとする。イグニスの故郷である竜人の里は、ポポロ村から見て北北西だ。となると、あいつが向かうのは……北ゲートを抜けた先、『見返りの大樹』の横にある獣道だな」
完璧な逃走経路のプロファイリング(予測)を完了した優太は、ゆっくりと立ち上がった。
そして、リュックのサイドポケットから、一本の『黒い筒』を取り出す。
それは、地球の特殊部隊が使用する「ワスプインジェクターナイフ(圧縮ガスを刃先から注入する武器)」の理論を、優太の武術に合わせて『折りたたみ式の薙刀』へと魔改造した特注のEDC(Everyday Carry)兵器だった。
「さて……手のかかる部下のお迎えに行くか」
優太は薙刀のグリップを握りしめ、ダイヤルを『致死モード』から『非致死性・麻酔モード』へとカチリと切り替えた。
刃先から展開されるのは、斬撃用の刃ではなく、竜の鱗の隙間をすり抜けるよう設計された極小のチタン製注射針。中には、インフルエンザ系ワクチンと、大型獣用の速効性筋弛緩剤(マイルドな麻酔薬)が完璧な比率で混合されている。
優太はアメスピの箱をポケットにしまい、足音一つ立てずに医療テントを後にした。
***
「ハァッ……ハァッ……!」
ポポロ村の北ゲートを抜け、森の入り口にある巨大な『見返りの大樹』の根元に、イグニスは滑り込んだ。
「へ、へへっ……! さすがのキャルルも、森の悪路に入り組んだこの獣道じゃ、トップスピードは出せねぇはずだ……! リーザの鈍足なら尚更だな」
太い木の幹に背中を預け、イグニスは安堵の息を吐いた。
「マジで焦ったぜ。俺様は、魔王軍の先遣隊だろうが、巨大な岩魔獣だろうが真正面からカチ割る勇気はあるが……あの細くて尖った金属の棒(注射針)だけは、生理的に無理なんだよ……」
イグニスが硬い鱗の腕をさすりながら、ブルッと身震いした。
「さて、頭が冷えるまで、少し森の奥で時間を潰すか……」
「――どこへ行くつもりだ、イグニス」
「ッ!?」
頭上から降ってきた、冷たく、低く、しかし絶対的な威圧感を持った声。
イグニスがビクッとして見上げると、見返りの大樹の太い枝の上に、中村優太が立っていた。
彼は無表情のまま木から音もなく飛び降り、イグニスの退路を塞ぐように着地する。
「ゆ、優太……! な、なんでお前がここに先回りしてんだよ!」
「解剖学と心理学の基本だ。恐怖で視野が狭窄した動物の逃走ルートを予測するのなんて、熱を測るより簡単だからな」
優太の手には、黒く細長い『杖』のようなものが握られていた。
それが展開ギミックを持った兵器であることを知らないイグニスは、一歩後ずさった。
「ゆ、優太……! 俺様はお前のことを、ダチとして、自警団の頭脳として尊敬してるぜ!? だから頼む、見逃してくれ! 予防接種なんてしなくても、俺様の竜の免疫力なら風邪なんかひかねぇって!」
「却下だ。ウイルスの突然変異を舐めるな。お前が無症状のキャリア(保菌者)になって村中でウイルスをばら撒いたら、俺の医療ロジスティクスが崩壊する」
優太はゆっくりと歩み寄る。
「大人しく腕を出せ。チクッとするだけで終わる」
「嫌だァァッ!! ごめんよ優太、俺様は強行突破させてもらうぜェッ!」
イグニスは恐怖に目を血走らせ、両腕を顔の前にクロスさせて突進してきた。
体重二百キロ近い竜人族のフルパワー・タックル。まともに喰らえば、並の人間なら全身の骨が粉砕される暴力的な質量兵器だ。
しかも、彼は無意識のうちに竜の闘気を全身の鱗に纏わせており、文字通り「絶対防御の弾丸」と化していた。
だが、優太の瞳には焦りなど微塵もなかった。
(……筋骨隆々の巨体だが、恐怖で重心が完全に前につんのめっている。力任せの突進など、さばくのは容易い)
優太は大きく息を吸い込んだ。
ロシアの軍隊格闘術『システマ』における呼吸法。筋肉の緊張を極限まで解き放ち、水のように柔軟な体勢を作る。
イグニスの巨体が優太に激突する、その〇・一秒前。
優太は、日本古来の古流武術『大東流合気柔術』の理合をもって動いた。
真正面から受け止めるのではなく、自らの身体をコマのように半身に開き、イグニスの突進のベクトル(力)に自身の動きを完全に同調させる。
「――シッ!」
優太の左手が、イグニスの太い腕に触れた。
力で押さえつけるのではなく、相手の突進するエネルギーをそのまま利用し、円を描くように軌道を逸らす。いわゆる『合気』による崩しである。
「なっ……!?」
イグニスは、自分が何もない空間に向かって転がされていくような錯覚に陥った。
絶対の自信を持っていた突進が、優太という『柳の枝』に触れた瞬間に無効化され、前のめりに体勢を崩されてしまったのだ。
「闘気を外側に張り巡らせれば、関節の動きは必ず硬くなる。そして、強固な鱗が重なり合う『隙間』――肩甲骨の下部。竜人族の解剖学的なバイタルパート(急所)だ」
イグニスの身体が横を向いたその一瞬。
優太の手の中で、黒い杖がシャキィィン!と鋭い音を立てて展開した。
折りたたみ式の『ワスプ薙刀』が、真の姿を現す。
優太は薙刀を振りかぶることはしない。
無双薙刀流の『戸田派武甲流』における、最短距離での刺突の型。
刃先(極小のチタン針)が、体勢を崩して無防備になったイグニスの鱗と鱗のわずかな隙間――筋肉の層が最も薄く、血管が集中している部位へ、音もなく滑り込んだ。
プスッ。
「あ痛ッ!?」
チクッとした痛みに、イグニスが声を上げる。
その瞬間、優太は薙刀のグリップにあるトリガーを引いた。
プシュゥゥゥッ!! という圧縮ガスの作動音と共に、ワクチンと速効性の筋弛緩剤(麻酔)が、イグニスの体内に一瞬で注入される。
「――終了」
優太は瞬時に薙刀を引き抜き、再び折りたたんでコンパクトな黒い筒に戻した。
「い、いてぇ……優太、てめぇ……! 何しやがっ……あ、あれ?」
イグニスは優太を睨みつけようと踏ん張ったが、突如として足元の感覚が失われた。
「な、なんだこれ……? 力が、急に……ふにゃふにゃに……」
ガクンッ。
イグニスの二百キロの巨体が、糸の切れたマリオネットのようにその場に崩れ落ちた。意識はまだあるようだが、麻酔の効果で指一本動かせない状態になっている。
「だ、騙し討ちだぜ……こんなの……」
「戦場に騙し討ちもクソもない。言っただろ、チクッとするだけで終わるって」
優太が倒れたイグニスを見下ろしながら、懐からアメスピを取り出して火をつけた。
紫煙が森の静寂に溶けていく。
その数秒後。
「ハァッ……! ハァッ……! ゆ、優太さん!」
「ぜぇ……ぜぇ……! 逃がしま、せんわ……!」
獣道を猛ダッシュで駆け抜けてきたキャルルとリーザが、息を切らしながら到着した。
二人は、大樹の根元で大の字になってピクピクしているイグニスと、その横で静かにタバコを吹かしている優太の姿を見て、目を丸くした。
「優太さん……! 追いついていたんですか? しかも、あのイグニスを無傷で無力化するなんて……!」
キャルルが驚愕の声を上げる。
彼女は優太の武術が洗練されていることは知っていたが、あのバカ力で暴走する竜人族を、たった一人で、しかも一瞬で鎮圧するほどの凄みを持っているとは思いもしなかったのだ。
「無傷じゃない。左の肩甲骨の下に、ちゃんと針の跡がある」
優太は腕時計(G-SHOCK)の盤面に目を落とした。
「イグニスの予防接種、および健康診断の採血は完了した。麻酔の深度からして、あと五分で完全に意識が落ちる。一時間もすれば普通に歩けるようになるはずだ」
優太は何事もなかったかのように、平然と告げる。
「さ、採血まで終わっているんですの!?」
リーザが驚きのあまりナースキャップを落としそうになる。
「ああ。ワスプ薙刀のシリンジ(注射器)は、注入と同時に吸引も行えるデュアル構造にしてある。これで血液検査のサンプルもバッチリだ」
『――ピロリン♪』
優太の脳内に、無機質で心地よいシステム音が鳴り響く。
『困難な対象への無痛予防接種、および高度な医療制圧を確認しました。善行ポイント【+500 P】を獲得。カルマ(運命力)が華麗に上昇しています』
(……まぁ、結果的に村の防疫網が守られたなら、これでいい)
優太は携帯灰皿にタバコをしまい、振り返って二人に顎をしゃくった。
「ほら、仕事だぞ。リーザ、お前はこいつの穿刺部にアルコール綿を当てて止血しろ。キャルル、終わったらこいつを医療テントのベッドまで運んでおけ。俺は先に戻って、血液の遠心分離(検査)の準備をする」
「は、はいぃっ! 了解いたしましたわ、ドクター・ユウタ!」
銀貨への執念を燃やすリーザが、完璧な手際でイグニスの傷口の処置を始める。
「……えっ。私、この二百キロあるトカゲを、テントまで引きずって運ぶんですか?」
キャルルがウサギの耳をしょんぼりと垂らし、文句を言いたげに優太を見つめた。
だが、優太は「村長だろ、頼んだぞ」とだけ言い残し、背を向けて歩き出してしまう。
その後ろ姿を見つめながら、キャルルは小さくため息をついた後――ふふっ、と嬉しそうに微笑んだ。
(……優太さんの心音。相変わらず、自分の手柄を誇るような響きは一切ない。ただ、私たちの怪我を気遣って、一番安全な方法でイグニスを止めてくれただけ)
「本当に、敵わない人ですね」
キャルルはぽつりと呟くと、倒れているイグニスの襟首をガシッと掴んだ。
「ほら、イグニス! いつまでも寝ていないで起きてください! 優太さんの完璧なロジスティクスを、私たちが遅らせるわけにはいかないんですから!」
「……お、重い……俺様の身体が……石みたいだぜ……」
「泣き言は聞きません! ほら、引きずりますよ!」
かくして、ポポロ村の「全村民合同・秋の健康診断」における最大の壁は、優太の『打算なき医療武術』によって、呆気なく、そして鮮やかに突破されたのだった。
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけましたら、★評価やブックマークで応援していただけると励みになります。




