第三章 ポポロ村健康診断と、解剖学が暴く合成獣(キマイラ)の弱点
恐怖の健康診断と、白衣の強欲ナース
ポポロ村に、少し肌寒い秋の風が吹き始めた。
色鮮やかな紅葉が村を囲む森を染め上げ、農家たちは「太陽芋」の秋の収穫ラッシュに追われている。長閑で美しい異世界の秋の風景だが、自警団医官である中村優太にとって、この季節の変わり目は「最大の警戒態勢」を敷くべき時期だった。
「気温の乱高下は、自律神経を狂わせ免疫力を低下させる。加えて、乾燥した空気は飛沫感染のリスクを跳ね上げるからな」
ポポロ村の広場に設営された医療テントの中で、優太はアメスピの煙を細く吐き出しながら、ズラリと並べた医療器具の点検を行っていた。
本日、優太はポポロ村の「全村民合同・秋の健康診断および予防接種」を計画していた。
対象は、村の農家からドワーフの職人、果ては自警団のメンバーまで全員である。ユニークスキル【地球ショッピング】を駆使して、地球の医療問屋から大量のインフルエンザ系ワクチンのアンプルと、採血用の真空採血管を召喚済みだ。
「優太さん、村の皆さんの誘導、終わりましたよ。年齢順に並んでもらっています」
テントの入り口から、バインダーを抱えた月兎族の村長・キャルルが入ってきた。彼女のウサギの耳は、村人たちの健康を守るという使命感からか、ピンとやる気に満ちて立っている。
「ご苦労。……で、あいつの準備はどうなってる?」
優太がテントの奥、パーテーションで区切られた更衣スペースに視線を向けた、その時だった。
「お待たせいたしましたわ! 医療テントの絶対無敵エンジェル、リーザ・シーラン、ただいま降臨ですの!」
バサァッ! と勢いよくパーテーションが開き、自信満々のポーズを決めた少女が飛び出してきた。
臙脂色の芋ジャージの上から、純白のナース服(優太が地球ショッピングで取り寄せた医療用白衣)を羽織り、頭にはナースキャップを斜めに被っている。
本来なら息を呑むほどの美しい人魚姫のコスプレ姿なのだが、足元の「健康サンダル」と、ジャージの絶妙なダサさが全てを台無しにしていた。
「……ナース服の下に芋ジャージを着る奴があるか。不衛生だろ」
優太が呆れ顔で突っ込む。
「失礼な! このジャージは私のアイデンティティであり、動きやすさを極めた究極の戦闘服ですわ! 採血でも血圧測定でも、なんでもバッチリこなしてみせますの!」
リーザは胸を張り、白衣のポケットに大量のアルコール綿と絆創膏を詰め込んでいる。
「まぁいい。お前には採血時の補助と、接種後のアルコール消毒、および止血テープの貼り付けを任せる。針の扱いは俺がやるから、お前は患者の腕を押さえてリラックスさせろ」
「お任せくださいませ! ファンの皆様の心臓を鷲掴みにするアイドルにとって、患者の腕を押さえるなど朝飯前ですわ!」
こうして、ポポロ村・秋の健康診断が幕を開けた。
「はい、深呼吸してー。血圧は正常ですね。次は採血とワクチン接種です。隣のブースへどうぞ」
キャルルの的確な誘導により、村人たちが次々と優太の前に座る。
優太の無双薙刀流で鍛え上げられた指先は、採血用の注射針を扱う際にも一切のブレがない。患者が痛みを感じる前に、一瞬で血管を捉え、素早く規定量の血液を抜き取り、間髪入れずにワクチンの注射を済ませる。
「はい、終わりだ。五分間は揉まずに押さえておけ。次」
「うおお、優太先生、全然痛くなかったドス! さすが神の手ドス!」
順調に列が消化されていく中、ある一人の農家の男が、顔を真っ青にして椅子に座った。
「せ、先生……俺ぁ、先端恐怖症でして……。あの尖った針を見るだけで、こう、太陽芋みたいに足がすくんで……」
男はガタガタと震え、差し出した腕には冷や汗がびっしりと浮かんでいた。
優太がため息をつき、「目を瞑っていれば一瞬で終わる」とアルコール綿を手に取ろうとした、その時だった。
横で控えていたリーザが、スッと男の横に滑り込んできた。
「あらあら、注射が怖いんですの? 可哀想に……」
リーザは極上のアイドルの笑顔を浮かべ、男の震える手を両手で優しく包み込んだ。
「でも大丈夫ですわ。この私、白衣のエンジェル・リーザが、貴方の痛みを全部忘れさせる『痛くしない魔法のおまじない』をかけてさしあげますのよ♡」
「ほ、本当かい!? リーザちゃん!」
「ええ、本当ですわ! ……ただし」
リーザの瞳が、チャリンと「$」の形に変わった。
「この魔法のおまじない、発動には少しだけ『対価』が必要なんですの。そうですねぇ……貴方のポケットに入っている、その真鍮色の『五円玉(同粒)』を一枚、こちらのお布施箱に入れていただければ、最高のバフ(無痛効果)をお約束しますわ!」
リーザはどこから取り出したのか、首から下げた小さな賽銭箱をポンと叩いた。
「ご、五円で痛みが消えるなら安いもんだ! ほら、頼む!」
男がすがりつくように五円玉を取り出し、リーザの賽銭箱に入れようとした、まさにその瞬間。
スパーンッ!!
「あ痛ぁっ!?」
丸められた硬いプラスチック製のバインダー(カルテ)が、リーザの脳天にクリーンヒットした。
リーザが涙目で振り返ると、そこには絶対零度の視線を下ろす優太が立っていた。
「お前……医療の現場で、患者の不安に付け込んで小銭を巻き上げようとしたな?」
「ゆ、優太さん! 誤解ですわ! これはスパチャ……じゃなくて、プラシーボ効果を高めるための正当な精神医療的アプローチでして!」
「医療の無償化(福利厚生)を舐めるなッ!!」
優太の一喝が、テント内に響き渡った。
「これは村の感染症を防ぐための、公的な『予防医学』だ! もしお前が五円を要求したせいで『金がないから注射はやめておく』という奴が一人でも出たらどうなる? そいつからウイルスが変異・拡散し、村の集団免疫が崩壊するんだぞ!」
優太の背後に、グリーンベレーの鬼教官の幻影が浮かび上がる。
「兵站と防疫の根幹を揺るがす行為だ! 患者から金を巻き上げる暇があるなら、アルコール綿の準備をしろ!」
「うぅぅっ……! なんですのよぉ!」
リーザは頭を押さえながら、その場にしゃがみ込んで泣き喚き始めた。
「私はアイドルですのよ!? アイドルがタダ働きなんて、事務所が許しても私のプライドが許しませんわ! スマイルは0円でも、おまじないは有料ですの! ボランティアなんてやってられませんわーっ!」
床をドンドンと叩いて駄々をこねるリーザ。
村の男は「あ、あの、俺が五円払うから泣き止んで……」とおろおろしているが、キャルルが「ダメです、甘やかしては!」と腕を組んで制止している。
優太は深くため息をつき、ポケットからアメスピの箱を弄んだ後、白衣のポケットから小さな革袋を取り出した。
チャリン。
優太がその革袋をリーザの目の前の医療ワゴンに放り投げると、心地よい金属音が鳴った。
「……これは?」
「今日の分の日給だ。ルナミス帝国の医療アシスタントの正規時給に、感染症リスクを考慮した危険手当を上乗せしてある。中身は銀貨だ」
優太は無表情のまま、採血用の注射器を新しいものに付け替えながら言った。
「お前はポポロ村自警団の正規雇用スタッフだ。タダ働きなど最初からさせる気はない。だから、五円玉(小銭)なんぞで患者を脅すな。プロとして、銀貨分の労働を完璧にこなせ」
リーザの動きが、ピタリと止まった。
彼女は革袋の紐を解き、中に入っているキラキラと輝く銀貨の束を確認する。
次の瞬間。
「――お任せくださいませ、ドクター・ユウタ!!」
リーザは光の速度で立ち上がり、ナースキャップを真っ直ぐに被り直した。
先ほどまでの強欲で胡散臭い地下アイドルの顔は消え失せ、そこには慈愛と使命感に満ちた、完璧な『フローレンス・ナイチンゲール』の姿があった。
「さぁ患者様、腕をお出しになって! 大丈夫、深呼吸をすれば一瞬で終わりますわ! 私がしっかり腕を支えておりますからね! ドクター、穿刺部のアルコール消毒完了しておりますわ!」
「……現金な奴だな。よし、チクッとしますよ」
優太が流れるような手際で採血を終えると、リーザが瞬時に止血用のテープを貼り付け、極上の「無料スマイル」を向けた。
「はい、お疲れ様でした! よく頑張りましたわね♡ これで貴方も、感染症知らずのパーフェクト・ボディですの!」
「お、おお……! リーザちゃんのおかげで全然怖くなかった! ありがとう!」
農家の男がホクホク顔で立ち去っていく。
『――ピロリン♪』
優太の脳内に、澄み切ったシステム音が鳴る。
『共同体の疾病予防の徹底、および労働者への正当な対価の支払い(福利厚生の充実)を確認しました。善行ポイント【+400 P】を獲得。カルマ(運命力)が健全に循環しています』
(……相変わらず、勝手にポイントが貯まっていくな。俺はただ、村をパンデミックから守るためのロジスティクスを整えているだけだが)
優太は内心でぼやきつつ、順調に進む健康診断の列を見渡した。
リーザは銀貨の力で完全に覚醒しており、「次の方、どうぞ! 血圧計のマンシェット巻きますわよ!」と凄まじい手際で患者を捌いている。これなら、午前中には全村民の健診が終わるだろう。
「ふふっ、なんだかんだで、リーザちゃんも立派な看護師さんですね」
キャルルがバインダーを抱えながら、満足そうに微笑んだ。
「ああ。これなら最大の難関も、あっさりクリアできそう――」
優太がそう言いかけた、その時だった。
「ひぃぃぃぃぃっ! や、やめろォォォォッ!! 俺様の硬い鱗に、そんな尖ったモンを刺すんじゃねェェェッ!!」
医療テントの外から、地鳴りのような絶叫が轟いた。
優太とキャルルが顔を見合わせる。
「……忘れていました。うちの自警団には、図体ばかりデカくて注射針をこの世の終わりほど怖がる『竜』がいることを」
キャルルがウサギの耳をペタンと伏せ、深い絶望のため息をつく。
テントの入り口の隙間から外を覗くと、両手斧を放り出し、涙目で全速力で村の外へ向かって逃亡を図る竜人族・イグニスの巨体が見えた。
「俺様の血は一滴たりともくれてやらねェ! 注射反対ィィィッ!!」
「……仕方ない。俺は麻酔の準備をする。キャルル、リーザ、あいつの逃走ルートを塞げ」
「了解です! 月影流の足回りで追い込みます!」
「特別ボーナス(銀貨)のために、這ってでも連行してきますわ!」
ポポロ村の平和な健康診断は、一転して巨大な竜人族を巻き込んだ、ドタバタの『逃走中』へと雪崩れ込んでいくのだった。




