EP 8
ライブ終了、そしてただの「お腹を空かせた女の子」へ
「……まったく、どいつもこいつもしっかり限界まで使い切りやがって」
ポポロ村の防衛線跡地。焦げたメロンの香りが漂う中、自警団医官・中村優太はアメスピを咥えながら、手際よく野戦救護を行っていた。
周囲には、極限のバフ効果が切れて「アドレナリン・クラッシュ」を起こし、白目を剥いて倒れ伏した自警団の面々が転がっている。
優太はまず、イグニスとキャルルの太い静脈に迷いなく針を刺し、ブドウ糖とアミノ酸(BCAA)の混合液を急速点滴で流し込んだ。
「あぁ……筋肉が、溶けるぅ……」
「優太さん……私の、足の筋肉が、ピクピクしてます……」
「喋るな。筋繊維がズタズタに千切れてるんだ。お前らはそこに転がってろ」
優太の冷徹な医療処置により、二人のバイタルはひとまず安定した。
問題は、みかん箱のステージから崩れ落ちたシーラン国第一王女、リーザである。
彼女は先ほどの神々しい鱗ドレス姿から一転、全身の魔力を絞り尽くしたせいで極度の低血糖と低体温症に陥り、魚が陸に打ち上げられたようにピクピクと痙攣していた。
優太は彼女の華奢な身体を抱き起こすと、脱ぎ捨てられていた臙脂色の芋ジャージを上からすっぽりと被せ、ジッパーを首元まで引き上げた。
「冷やすな。ただでさえ体脂肪率が低いんだ。心室細動を起こすぞ」
「……ゆ、ゆうた、さん……」
リーザがうわ言のように呟く。その目はうつろで、唇は真っ青だった。
「……私、ちゃんと……みんなの時間を、奪えました……か?」
「あぁ。最高のライブだった。お前のおかげで村は無事だ」
優太はリーザをヒョイと担ぎ上げると、村長宅へと足早に歩き出した。
「だがな、アイドル。ファンの時間を奪うのは結構だが、自分の命を削ってどうする。……お前は今から、ただの『お腹を空かせた女の子』に戻れ。俺が胃袋から叩き直してやる」
***
村長宅のキッチン。
優太は手洗いを済ませ、タクティカルリュックから【100Pガチャ】で引き当てた最強の食材たちを調理台に並べていた。
美しいサシが入った地球の最高級食材【A5ランク黒毛和牛のブロック肉】。
ルナミス大陸産のホクホクした【太陽芋】。
そして、まな板の上にはルナミス特産『たまんネギ』が転がっている。
「たまんねーなオイ! ゲヘヘ……!」
たまんネギは、ルナミス新聞社発行の際どいグラビア誌を器用に葉っぱでめくりながら、下品な笑い声を上げていた。
優太は無表情のまま、たまんネギからグラビア誌をスッと取り上げた。
「ああっ!? 俺の生き甲斐が! 返せ、俺のエロスを――」
「調理開始だ。大人しくしろ」
グラビア誌を取り上げられたたまんネギは、数秒間プルプルと震えた後、スゥッと賢者モードに突入した。
「……左様ですか。全ては幻。この世は空。さぁ、我が身を刻み、皆の血肉に変えたまえ……」
「物分かりが良くて助かる」
優太は無双薙刀流で鍛えた滑らかな包丁さばきで、悟りを開いたたまんネギを瞬く間にみじん切りにした。
深めの鍋に牛脂を溶かし、たまんネギを飴色になるまでじっくりと炒める。そこへ、一口大にカットしたA5和牛を投入した。
ジュウゥゥゥッ……!!
肉の焼ける暴力的な音が響き、和牛の極上の脂とたまんネギの甘みが結合して、メイラード反応による凄まじい香りがキッチンに立ち込める。
優太はそこへ太陽芋を加え、水を注いで煮込んだ後、いよいよ『秘伝の粉』を取り出した。
「自衛隊直伝、金曜日カレーの特製スパイスだ。疲労回復効果のあるターメリックとクミンを増量してある」
鍋にスパイスが投入された瞬間、スパイシーで奥深い、暴力的なまでの『旨味の香り』が村長宅の隅々にまで充満した。
「……んんっ?」
リビングのソファで点滴を受けていたイグニスの鼻が、ピクピクと動いた。
「な、なんだこの匂いは……! 俺様の竜の嗅覚が、本能レベルでこの匂いを『最強のメシ』だと警報を鳴らしてやがる……!」
「あぁ……優太さんの、金曜日カレーです……」
同じくソファに転がっていたキャルルが、恍惚とした表情で呟いた。
「これの匂いを嗅ぐと、もう……どんな痛みもどうでもよくなっちゃうんです……」
***
客間のベッドで、リーザは目を覚ました。
(……私、どうなったのかしら……)
身体は鉛のように重く、指先一つ動かすのも億劫だった。
みかん箱の上で本気の魔力を放出した代償。それは、深海の王族ですら耐え難い、胃袋が裏返るような極限の飢餓感だった。
「……お腹が、空きましたわ……。パンの耳でいい……タンポポでもいいから……」
リーザが芋ジャージの腹をさすりながら涙をこぼしそうになった時、客間の扉がカチャリと開いた。
「起きているな。バイタルは……ギリギリ正常値か」
入ってきたのは優太だった。
彼は片手に、湯気を立てる大きな深皿を持っている。
その皿から漂う、スパイシーで、とろけるような肉の脂と、複雑に絡み合った甘く暴力的な香り。
「ゆ、優太さん……それは……?」
「俺の故郷の陣中食だ。名付けて『金曜日カレー・メロロン特効型』。太陽芋の炭水化物と、和牛の良質な脂質・タンパク質、そして数十種類のスパイスで胃腸の働きを強制的に再起動させる」
優太はベッドのサイドテーブルに、カレーの皿とスプーンをコトンと置いた。
「食え」
リーザの喉が、ゴクリと大きく鳴った。
だが、彼女は震える手でシーツを握りしめ、顔を背けた。
「……い、いりませんわ。私はアイドルですの……。アイドルは、タダで施しを受けたりなんて……」
「馬鹿か、お前は」
優太の呆れた声が降ってきた。
リーザが恐る恐る振り返ると、優太は腕を組み、冷徹な医官の目で彼女を見下ろしていた。
「これは施しじゃない。『処方箋』だ。お前は今、重度の魔力枯渇と栄養失調の合併症を起こしている。そのまま放置すれば多臓器不全で死ぬぞ」
「く、くすり……?」
「そうだ。俺は医官として、お前の命を繋ぐために必要な処置をしているだけだ。見返りなんか求めていないし、お前に感謝される筋合いもない。だから、黙って口を開けて飲み込め。……それとも、俺が無理やり胃管チューブで流し込んでやろうか?」
優太の言葉には、一片の同情も、下心も、恩を着せるような響きもなかった。
ただ「壊れた細胞を修復する」という、無機質で、絶対的な善意だけがそこにあった。
「……処方箋、なら……仕方ありませんわね……」
リーザは震える手でスプーンを握り、琥珀色に輝くカレールーと、ゴロゴロと入った和牛の塊をすくった。
そして、ゆっくりと口に運ぶ。
「――っ!?」
一口食べた瞬間、リーザの瞳孔がカッと開いた。
口の中で、A5ランク和牛の繊維がホロホロと雪のように溶けていく。溢れ出す極上の脂の甘みが、たまんネギの深みとスパイスの刺激に包まれ、冷え切っていた胃袋へと雪崩れ込んでいく。
「あ……あぁ……」
それは、彼女がルナミス帝国に来てから食べてきた、どんな試食の肉より、カツ丼より、タンポポより――何千倍も美味しかった。
細胞の隅々が、歓喜の悲鳴を上げている。脳髄が痺れるほどの旨味が、彼女の干からびていた心と身体に『熱』を灯していく。
「美味しい……。なに、これ……すごく、美味しいですわ……!」
リーザは二口、三口と、夢中でカレーを掻き込み始めた。
スプーンが止まらない。ポロポロと、彼女の大きな瞳から大粒の涙がこぼれ落ちていく。
「どうして……どうして優太さんは、こんなに美味しいものを、私にくれるんですの……?」
カレーを頬張りながら、リーザはしゃくり上げて泣き始めた。
「私、さっき言いましたわよね……? ファンの時間を、お金を、人生を……全部奪い尽くして、私のものにするって……。私は、他人のものを奪う、強欲で最低な人魚ですのよ……?」
芋ジャージの袖で涙を拭いながら、リーザが絞り出すように言う。
「なのになんで……貴方は、奪うばかりの私に……こんなに温かいものを、タダでくれるんですの……?」
「だから、処方箋だと言ってるだろ」
優太はベッドの傍らの椅子に腰を下ろし、アメスピの箱を指で弄りながら淡々と答えた。
「お前が時間を奪おうが、金を奪おうが、俺には関係ない。俺はただのメディックだ。目の前で怪我をしてる奴や、腹を空かせて倒れそうな奴がいれば、治す。それだけのことだ。そこに打算も理由もいらない」
「優太、さん……」
「お前が奪うだけの女だろうが、村を守ったのは事実だ。だから、ゆっくり食え。おかわりならまだ鍋にたくさんある。イグニスの馬鹿に全部食われる前に、体力を戻すんだな」
リーザは、優太のその真っ直ぐで、冷たくて、どうしようもなく優しい言葉に、完全に地下アイドルの仮面(虚勢)を剥ぎ取られた。
「うぅっ……! うわぁぁぁんっ!!」
リーザはスプーンを置き、声を上げて子供のように泣きじゃくった。
ルナミス帝国で事務所に逃げられ、家賃が払えず、鳩とパン屑を奪い合い、常に気を張って生きてきた孤独な人魚姫の心が、優太の『打算なき金曜日カレー』によって完全に溶かされた瞬間だった。
「ひぐっ、美味しいです……! 私、こんなに美味しいもの、初めて食べましたわ……!」
「そうか。なら残さず食えよ」
優太は泣きながらカレーを頬張るリーザの頭に、ポンと無造作に手を置いた。
「お前はもう、一人でサバイバルしなくていい。ポポロ村の清掃係として、真っ当に働いて、真っ当にメシを食え」
『――ピロリン♪』
優太の脳内に、ひときわ大きく、澄み切ったシステム音が鳴り響く。
『一人の少女の心身の救済、および真の共同体への包摂を確認しました。善行ポイント【+1000 P】を獲得。運命力が天を突いています』
(……まったく、賑やかな居候が増えちまったな)
優太は内心で苦笑しつつ、カレーで口の周りを汚しながら泣くリーザに、タローマン製のティッシュを差し出した。
強欲なアイドルが、ただのお腹を空かせた女の子に戻り、そしてポポロ村の新たな『家族』として完全に迎え入れられた、温かい夜だった。
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけましたら、★評価やブックマークで応援していただけると励みになります。




