EP 6
イグニスの裏切りと、崩壊する防衛線
「俺様は……もう戦わなくていいんだな……? 都会の冷たい風に吹かれながら、日雇いの土方をして、炊き出しの列に並ばなくても……いいんだな?」
「ええ、もちろんよ。貴方はとっても強い竜。でも、本当は誰かに甘えたかったのよね。私が全部、包み込んであげる♡」
ポポロ村の防衛線の中央で、信じられない喜劇が繰り広げられていた。
両手斧をかなぐり捨てた竜人族のイグニスが、恍惚とした表情で、自分の胴体ほどもある巨大な『クイーンメロロン』に頬を擦り寄せているのだ。
クイーンメロロンもまた、ツルツルの果皮をイグニスの硬い鱗にすり合わせながら、彼の中にある「田舎者のコンプレックス」と「都会での挫折」という心の傷に、致死量の甘い幻覚成分を直接注ぎ込んでいた。
「イグニスゥゥゥ!! 貴方、爬虫類のくせに果実に発情してどうするんですかァッ!! 目を覚ましなさい!!」
キャルルがウサギの耳を逆立て、ダブルトンファーを構えながら絶叫する。
「うるせぇッ!!」
突如、イグニスの瞳のハイライトが消え、竜の縦孔の瞳孔がスッと細まった。
彼は地面に落ちていた両手斧を片手で拾い上げると、キャルルに向けて猛然と薙ぎ払った。
ゴォォォォッ!!
斧が空気を引き裂く轟音と共に、爆発的な竜の闘気が防衛線に叩きつけられる。
「くっ……!」
キャルルは咄嗟にトンファーをクロスさせて防御したが、その圧倒的な質量と膂力の前に、タローマン製の安全靴が地面に深い轍を刻みながら十メートル以上も後退させられた。
「……信じられない馬鹿力ですね。流石は竜人族の族長の息子……!」
キャルルは痺れた腕を振りながら、ギリッと牙を噛んだ。
「キャルル、無事か!」
後方のトリアージエリア(救護所)から、ガスマスクを装着した優太が声を飛ばす。
優太は今、魅了から覚めたばかりの村の男たちが再びパニックを起こさないよう、強制的に地面に座らせ、心拍数を監視している最中だった。
「優太さん、あれダメです! イグニス、完全に洗脳されてます! しかも、あいつの無駄に高い戦闘スペックが『メロロンを守る』という一点に集中してしまって……手出しができません!」
キャルルが叫ぶ通り、イグニスはクイーンメロロンを背後にかばい、両手斧を構えて村の自警団に殺気を放っていた。
「俺様の……俺様のメロロンちゃんに指一本触れさせてたまるかァァッ! 俺様は今日から、この果実の騎士になるんだァァァッ!」
「果実の騎士って響きがもうダサすぎますよ!!」
『ふふっ、頼もしいわね。さぁ、私の可愛い騎士様。あの耳障りなウサギちゃんと、マスクを被ったお兄さんを追い払ってちょうだい? その後は、二人きりで……あ・ま・く、熟れさせてあげる♡』
「うおおおおっ! メロロンちゃんの為なら、俺様は親父だって斬れるぜェェッ!!」
イグニスの口から、漏れ出した炎がチロチロと舌を出している。
【大火炎】のブレスを放つ前兆だ。彼が本気でブレスを吐けば、防衛柵はおろか、背後のポポロ村の家屋までまとめて消し炭になってしまう。
「……厄介だな。大脳辺縁系を完全にハッキングされている」
優太は冷静にイグニスの状態を医学的に分析した。
「クイーンメロロンは、揮発性の幻覚成分を極端に圧縮し、イグニスの『承認欲求』というトラウマの最も深い部分にピンポイントで打ち込んだんだ。いわば、重度の急性依存症状態だ。物理的な痛みを与えたくらいじゃ覚醒しない」
「優太さん! もう手加減できません! 【超電光流星脚(スーパー・ライトニング・メテオ・ストライク)】で、あの果実ごと炭の塊にしていいですか!?」
キャルルが安全靴のヒールに埋め込まれた雷竜石を起動させ、バチバチと紫電を放ちながら尋ねる。
「やめろ! あれをやったら村の被害が甚大になるし、何よりイグニスが本物の『消し炭(死体)』になる! 明日からの力仕事(資材運搬)の貴重な労働力が減るだろうが!」
優太はあくまで、兵站とコスト計算の観点からストップをかけた。
(俺の手持ちの医療器具じゃ、竜人族の鱗を貫通して精神安定剤(即効性の鎮静剤)を打ち込むことはできない。あの巨体を無力化しつつ、洗脳だけを解除する手段……!)
優太の思考が超高速で回転する中、メロロンの群れはイグニスという最強の盾を得たことで勢いを取り戻し、ぽよんぽよんと村に向かって再前進を始めた。
『あははっ! さぁ、村の皆さん、マスクなんか外して私を食べて?』
『甘い夢を見ましょう?』
「ひぃぃっ! 近づくなドス! 俺はサウナとちゃんこ鍋を愛する男ドスゥ!」
「俺のネギカリバーが……メロンの甘い匂いでフニャフニャになっちまう!」
ダストンやネギオといったポポロ村の変わり者たちでさえ、イグニスの斧による衝撃波で耳栓が吹き飛び、再び魅了の危機に晒され始めていた。
防衛線が、完全に崩壊しようとしていた。
――その時である。
『……ふざけないでくださる!?』
村の医療テントの方から、震えながらも、異様なほど張り詰めた怒声が響いた。
優太が振り返ると、そこには医療テントの机の下で怯えていたはずのリーザが立っていた。
彼女は、いつもの臙脂色の芋ジャージ姿のまま、タローマン製の清掃用モップを握りしめ、もう片方の手で『みかん箱』をズルズルと引きずりながら、最前線へと歩みを進めてきたのだ。
「リーザ!? お前、何しに出てきた! ガスマスクもつけずに、魅了のガスを吸い込む気か!」
優太が険しい声で制止する。
だが、リーザの瞳は、これまでにないほど深い暗色に染まっていた。
彼女の視線の先にあるのは、鼻の下を伸ばしているポポロ村の男たちと……彼らをたぶらかしているクイーンメロロンの群れ。
リーザの脳裏に、この村に来てからの出来事がフラッシュバックしていた。
(……キャルルのおかげで屋根のある場所で寝られて……優太さんが甘くて美味しいチョコレートや、細胞の隅々まで染み渡るプロテインをくれて……それに、お掃除のアルバイトまでくれて……)
リーザは、芋ジャージのポケットに入っている『高カカオチョコ』の空き袋をギュッと握りしめた。
(私に良くしてくれたこの村の皆さんの……大切な『時間』と『人生』を……あんな、ただ甘いだけの、どこぞの馬の骨とも分からない果物風情が……タダで奪い去ろうとしている……?)
「……許せませんわ」
リーザの口から、地を這うような低い声が漏れた。
『あら? 誰かと思えば、薄汚いジャージの女の子じゃない』
クイーンメロロンが、リーザを鼻で笑うように身を揺らした。
『貴女みたいな貧相な子じゃ、この男の人たちの心は満たせないわよ? 大人しく、私のおいしい果汁の肥料になりなさぁい♡』
「黙りなさい、この青臭い雑草がッ!!」
リーザの怒声が、周囲の空気をビリッと震わせた。
彼女はみかん箱をイグニスとクイーンメロロンの真正面にドンッと置くと、その上にヒラリと飛び乗った。
「聞いて呆れますわ! ファンの『時間』を奪うのは、この宇宙で最も尊く、最も残酷な行為ですのよ! それを、何の覚悟もない、ただ甘い匂いを撒き散らすだけの野良メロンが……私のシマで、私のファン(村の男たち)をたぶらかすなんて、万死に値しますわ!」
「お、おいリーザ! 逃げろ、イグニスが本気で斧を振り下ろすぞ!」
優太が叫ぶが、リーザはみかん箱の上で堂々と胸を張った。
「優太さん、医療班は下がっていてくださいませ。……ここは、アイドルの戦場ですの」
リーザは、おもむろに芋ジャージのフロントジッパーに手をかけた。
ジーーーッ、という音と共にジャージが脱ぎ捨てられる。
その下から現れたのは――深海の真珠のように鈍く光る、美しい『鱗ドレス』だった。
ところどころ色褪せてはいるものの、それは紛れもなくシーラン国第一王女の正装であり、彼女がステージに立つ時の勝負服である。
「な……」
キャルルが息を呑む。
ジャージを脱いだリーザから放たれるオーラは、先ほどまでの極貧サバイバーのそれとは完全に別物だった。
周囲の空間の魔力が、彼女の存在を中心にして渦を巻き始めている。
「私は運命……私は物語……!」
リーザは、ドワーフの親方に修理してもらった『拡声魔導マイク』を強く握りしめた。
深海の王族としての、純度百パーセントの『強欲』と『支配欲』が、彼女の瞳の中でギラギラと燃え盛っている。
「私のファンの時間を、愛を、お金を……あんな三流のメロンごときに奪わせてたまるもんですか! 彼らの人生をハッキングしていいのは、この私だけですわ!!」
クイーンメロロンの芳醇な甘い香りが、リーザから放たれる圧倒的な『強欲の覇気』によって、物理的に押し返されていく。
魅了されていたイグニスが、そのただならぬプレッシャーに「あ……?」と動きを止めた。
「さぁ、聴きなさい! 偽物の甘さなんかで誤魔化されない、本物の『略奪』の歌を!」
リーザがマイクを口元へ運ぶ。
戦場に、絶対無敵の地下アイドルによる、世界を書き換える狂気のライブが幕を開けようとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
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