EP 5
迫り来る魔の果実「メロロン」の群れ
ポポロ村に、けたたましい警鐘の音が鳴り響いた。
ルナミス帝国やアバロン魔皇国の軍勢が攻めてきた時のような、規則正しい軍事アラートではない。見張り台で鐘を叩いている農家の男が、どこか腑抜けたような、それでいてパニックに陥ったような奇妙なリズムで鐘を鳴らしていた。
「――敵襲か!?」
自警団の詰め所で、地球産のアメスピを燻らせながら医療キットの点検をしていた優太は、即座にタクティカルリュックを背負って外へ飛び出した。
その後ろから、ダブルトンファーを構えた村長のキャルルと、両手斧を軽々と担いだイグニスが続く。清掃係としてモップ掛けをさせられていたリーザは「ひっ! 私は非戦闘員ですわ!」と机の下に潜り込んだ。
「状況は!」
優太が前線である村の入り口、防衛柵の前に駆けつけると、そこには信じられない光景が広がっていた。
「お、おい……なんだありゃあ……」
イグニスが斧を取り落としそうになりながら、ポカンと口を開ける。
森の奥から、ぽよん、ぽよん、と奇妙な弾力を伴った足音(?)を立てて迫ってくる無数の緑色の球体。
それは、ルナミス大陸でも一部の地域にしか生息しないとされる魔性の果実――『メロロン』の群れだった。
ただのベビーメロロンではない。網目が美しく入り、豊潤な甘い香りを放つ『完熟メロロン』、さらには一回り大きく、妖艶なオーラすら纏った上位種『クイーンメロロン』が混成する、最悪の果実軍団である。
『……ふふっ。今日もお疲れ様、村の皆さぁん♡』
『ねぇ、毎日畑仕事ばっかりで大変ね。今日は全部忘れて、甘えていいのよ?』
『頑張った貴方には、ご褒美が必要だわ……私を、食べてもいいのよ?』
メロロンたちが、豊かな果肉をぽよんぽよんと揺らしながら、極上の甘い声で囁きかけてくる。
その声と、周囲に充満する強烈に甘い香りを浴びた瞬間、防衛線に立っていたポポロ村の男たち(自警団や農家のおじさんたち)の様子が劇的に変化した。
「あ、あぁ……メロロンちゃん……! 今日も俺を待っててくれたのかい……?」
鍬やクロスボウを構えていた農家のオッサンが、だらしなく鼻の下を伸ばし、頬をピンク色に染めて武器を投げ捨てたのだ。
「俺……ずっとお前みたいな、優しくて甘い存在を求めてたんだ……!」
「待っててね、今すぐそっちに行くから……!」
『えらいえらい♡ 貴方は悪くないわ。こっちに来て、私を食べて?』
「うぉぉぉっ! メロロンォォォォッ!!」
男たちが次々と防衛線を放棄し、フラフラとメロロンの群れへ向かって歩き出す。中には「関係ない! 俺は女房とは別れてきた! 今日からメロロンとおしどり夫婦になるんだ!」と、謎の駆け落ち宣言をして果実に抱きつこうとする重症者まで現れた。
「……なんだこの地獄は」
優太は吸いかけのタバコを携帯灰皿にしまい、額を押さえた。
軍隊の侵攻なら戦術で対抗できるが、農家のおじさんたちがキャバクラに通うようなノリで果実に魅了され、自ら戦線を崩壊させていく様は、戦術医学の範疇を超えた狂気である。
「皆、しっかりしてください! 相手はただのメロンですよ!」
キャルルが叫ぶが、魅了された男たちの耳には届かない。
『あら……? あそこにいる、ちょっと目つきの鋭いお兄さん。とっても素敵ね』
ふと、群れの中から一際巨大なクイーンメロロンが、ぽよんと前に進み出た。その妖艶な声は、真っ直ぐに優太へと向けられていた。
『ねぇ、お兄さん。いつも難しい顔をして、他人の怪我ばっかり治してるんでしょ? 貴方自身の傷は、誰が癒やしてくれるの? ……無理しちゃダメ。今日は私が、貴方の心と体を、あ・ま・く、マッサージしてあげる♡』
クイーンメロロンが、魅惑的な網目をくねらせながら優太にすり寄ろうとする。
並の男なら一瞬で理性を溶かされるであろう、究極のチャーム攻撃。
だが、中村優太の『医官としての理性』は、そんな魔術的誘惑を完全に氷点下で切り捨てた。
「……マッサージだと? ウリ科の果実に指圧ができるわけがないだろう。解剖学を舐めるな」
優太の冷徹な声が響く。
「それに、お前のその異常なまでの甘い香り……過熟を通り越して、すでにエチレンガスの過剰分泌による腐敗の初期段階に入っている証拠だ。そんな糖度とアルコール発酵が入り混じった物体を摂取すれば、急激な血糖値スパイクを引き起こし、真っ直ぐ『2型糖尿病』への道を突き進むことになる。膵臓に負担をかける気はない。却下だ」
『……えっ?』
クイーンメロロンが、想定外のロジカルなマジレスに「ぽよっ?」と動きを止めた。
「皆の者、聞け!!」
優太は振り返り、まだ正気を保っている後方の自警団員たちに向けて一喝した。
「これは『魔法の魅了』などというロマンチックなものではない! 果実から放出される高濃度の揮発性神経毒(幻覚成分)と、特定の周波数で鼓膜を揺らす『音響催眠』の複合攻撃だ! 吸い込めば脳のドーパミン受容体が破壊されるぞ!!」
優太はタクティカルリュックを前に回し、己のユニークスキル【地球ショッピング】を起動。以前の善行でストックしていたポイントを消費し、大量の『工業用イヤーマフ(防音耳栓)』と『N95規格の医療用防毒マスク』を空間から引きずり出した。
「これを装着しろ! 嗅覚と聴覚を物理的に遮断すれば、あの果実の催眠はただの『腐りかけの生ゴミ』に成り下がる! 魅了された馬鹿共を引っ張って後ろに下げろ! トリアージエリアを構築する!」
優太の的確すぎる指示と、地球の科学が生み出した物理的防壁(マスクと耳栓)により、後方の部隊は次々と正気を取り戻し始めた。
『――ピロリン♪』
『集団幻覚症状に対する、的確な防護機材の配布と防疫線の構築を確認。善行ポイント【+400 P】を獲得。運命力が研ぎ澄まされています』
脳内のシステム音を無視し、優太はメスを取り出すように折りたたみ式のタクティカルナイフを構えた。
その一部始終をすぐ横で見ていたキャルルは――ウサギの耳をピンと立て、顔を真っ赤にして打ち震えていた。
(優太さん……! あんなやけに色気のあるメロンに誘惑されたのに、微塵も、ほんの0.1ミリも心が動かなかった……! ばっさりと、ウリ科の腐りかけって切り捨てた……!)
キャルルの月兎族の聴覚が捉えた優太の心音は、クイーンメロロンの誘惑を前にしても「糖尿病のリスク計算」しかしておらず、微かなブレすら生じていなかった。
それが、キャルルの乙女心(ヤンデレ気質)に火をつけた。
「優太さん……! 貴方という人は、本当に……本当に最高です!!」
キャルルは恍惚とした表情で優太を見つめた後、クルリと振り返ってメロロンの群れを睨みつけた。
その瞳の奥には、光の届かない漆黒の殺意が渦巻いている。
「――よくも……よくも私の優太さんを、あんな下品な言葉で誘惑してくれましたね? この泥棒猫……いえ、泥棒メロンどもがァァァッ!!」
キャルルの両手に握られたダブルトンファーに、バチバチと紫電の闘気が迸る。
タローマン製の特注安全靴が大地を深くえぐり、彼女の姿がマッハの速度でブレた。
「消し飛びなさい! 月影流――乱れ鐘打ちィィッ!!」
ドゴォォォォンッ!! ブチャァァッ!!
残像を残しながら独楽のように回転するキャルルの蹴りが、最前列のメロロンたちを次々と粉砕していく。甘い誘惑を囁いていた完熟メロロンたちが、悲鳴を上げる間もなく無残な『100%ミックスジュース』へと変えられ、森の土にぶち撒けられていく。
「キャハハハハッ! もっとです! もっと粉々にして、畑の肥やしにしてあげますわァッ!!」
「……おい、村長が一番危ない状態になってないか」
優太がマスク越しに呟くが、キャルルの殲滅速度は凄まじかった。彼女一人で、群れの三分の一をあっという間にジュースに変えてしまったのだ。
『ひぃぃっ! な、なんて凶暴なウサギなの!?』
『ここは一旦引きましょう! クイーン、後退を……!』
メロロンたちが恐怖に震え、ぽよんぽよんと後ずさりを始める。
「よし、今のうちに押し返すぞ。イグニス! お前の炎で残りの群れを森ごと牽制しろ!」
優太が背後の竜人族に指示を飛ばした。
メロロンは植物系の魔物だ。イグニスの絶対的な火力(大火炎)があれば、一網打尽にできるはずだった。
「…………」
しかし、返事がない。
優太が訝しげに振り返ると、イグニスは両手斧を持ったまま、マスクも耳栓もつけずに、ポカンと口を開けてクイーンメロロンを見つめていた。
「おい、イグニス。何をしている。マスクを――」
『……そこの、強くて立派な竜の戦士さん♡』
逃げ遅れたクイーンメロロンが、最後の悪あがきとばかりに、残存する全魔力と芳醇な香りをイグニスへ向けて放ったのだ。
『貴方、本当はすごく強いのに……都会で認められなくて、炊き出しに並んで、一人で寂しかったのよね? 私には分かるわ。貴方の本当の価値、貴方のその大きくて温かい翼……』
「あっ……」
イグニスの竜の瞳から、ポロリと大粒の涙がこぼれ落ちた。
『毎日、実家に嘘の手紙を書くの、辛かったでしょ? もう無理しなくていいの。私が、貴方の全部を受け止めてあげる。私と一緒に、甘い夢を見ましょう?』
「あぁ……! あぁっ……! 俺様の本当の理解者は……こんな所にいたんだ……!」
イグニスが、両手斧をガシャンと地面に落とし、両手を広げてクイーンメロロンへ向かってフラフラと歩き出した。
「もう見栄なんか張らねぇ! 英雄になんかならなくたっていい! 俺様は、メロロンちゃんと一緒に田舎で静かに暮らすんだァァァッ!」
「イグニスゥゥゥ!? お前、爬虫類なのに果実に発情してどうするんですかァッ!」
キャルルが絶叫する。
「……最悪だ。防衛線の最大火力が、敵に寝返ったぞ」
優太はガスマスクのフィルターを調整しながら、深くため息をついた。
最強の物理アタッカーであるイグニスが『メロロンのナイト』として立ちはだかったことで、戦況は一気に泥沼の様相を呈し始めていた。
平和なポポロ村の防衛戦は、前代未聞の『果実との寝取り合戦』へと突入していく――。
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