EP 4
風呂場から始まる「人魚の出汁」闇ビジネス
ポポロ村の裏路地、タローマンの資材置き場の死角に、怪しげな人集りができていた。
「さぁさぁ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい! こちらが深海の秘宝、泣く子も黙る奇跡の万能調味料ですわ!」
木箱を裏返した即席のカウンターの上に、大小さまざまな魔導ガラス瓶が並べられている。中には、ほんのりと青白く発光する、少し濁った液体がタプタプと揺れていた。
臙脂色の芋ジャージを着た人魚の王女・リーザが、満面の胡散臭い笑顔で道行く男たちを呼び込んでいる。
集まっているのは、非番のルナミス帝国兵や、ポポロ村で鍛冶屋を営むドワーフの親方たちだ。
「嬢ちゃん、そりゃあ一体なんだい? 魚の魔物の出汁か?」
「ふふん、ただの出汁と一緒にしないでくださる? これは『高級リヴァイアサン出汁(超濃厚)』! なんと、シーラン国の王族たるこの私の、聖なる魔力とエキスがたっぷりと溶け込んだ特製品ですの!」
リーザは胸を張り、ドヤ顔で瓶を掲げた。
「ラーメンのスープに一滴垂らせば、深海の極上の旨味が広がります! 疲れた夜に熱燗に少し混ぜれば、内臓から活力が湧いてくること間違いなし! お値段、たったの銀貨一枚! さぁ、買った買った!」
「おおっ! 人魚姫のエキス入り出汁! そいつはたまんねぇな。最近どうも腰が痛くてよ、精がつきそうだ。俺に一本くれ!」
「こっちもだ! 今夜の鍋の隠し味にするぜ!」
男たちが嬉々として銀貨を取り出し、リーザの目が「$」の形になった、まさにその瞬間だった。
「――全員、その瓶から手を離せ」
路地裏の空気を一瞬で凍りつかせる、地を這うような低い声。
群衆がビクッと肩を揺らして振り返ると、そこには眉間に深いシワを寄せ、アメスピを指に挟んだ自警団医官・中村優太が立っていた。その後ろには、呆れ顔のキャルルと、「なんだなんだ、美味そうな匂いがするぜ」と呑気に鼻を鳴らすイグニスの姿がある。
「ゆ、優太さん!? こ、これは正当な商取引でして……」
リーザが慌てて瓶を隠そうとするが、優太の踏み込みの方が圧倒的に速かった。
彼は無双薙刀流の滑らかな足さばきでリーザの懐に潜り込むと、陳列されていたガラス瓶を一本手に取り、ポンッとコルク栓を抜いた。
優太は顔を近づけ、液体の匂いを嗅ぐ。
そして、その濁った液体の成分を、己の経験と医学的知識で瞬時に分析し――絶望的な事実に気づき、天を仰いだ。
「……リーザ。お前、キャルルの家の風呂に限界まで浸かって、自分の『残り湯』を瓶詰めにしたな?」
「はいっ! 私の魔力と粘液、それに芋ジャージの繊維が絶妙に溶け込んだ、まさに私の分身とも言える奇跡のスープですわ!」
「馬鹿野郎ォォォォッ!!」
優太の怒声が、路地裏に轟いた。
屈強なルナミス兵たちでさえ、グリーンベレーの鬼教官が憑依したかのような優太の威圧感に「ヒッ」と悲鳴を上げて後ずさる。
「食品衛生法と公衆衛生を舐めるな! いいか、人間の……いや、人魚だろうが何だろうが、生体が入浴した後の残り湯には、剥がれ落ちた表皮の角質、汗腺からの老廃物、そして目に見えない雑菌がウヨウヨ繁殖しているんだ! こんなものを『出汁』と称して口に入れたらどうなるか分かるか!?」
「えっ……深海の旨味が……?」
「黄色ブドウ球菌や大腸菌群による、重度の『急性胃腸炎(食中毒)』だ!!」
優太はガラス瓶をドンッと木箱に叩きつけるように置いた。
「戦場で一番恐ろしいのは敵の銃弾じゃない、赤痢やコレラといった感染症だ! それを自ら培養して村人に飲ませようとするとは、お前はバイオテロリストか!」
「バ、バイオテロ……!?」
リーザは顔を真っ青にして震え上がった。出汁を買おうとしていたドワーフの親方も「お、危ねぇ……今日の鍋が地獄の釜になるところだったドス……」と青ざめて胸を撫で下ろしている。
「これらは全て『医療廃棄物』として没収、および滅菌処理(焼却)とする。お前らも、出所不明の怪しい液体を安易に口にするな」
優太の絶対的な宣告により、リーザの闇ビジネスは開始五分で完全崩壊した。
「あぁぁぁっ! 私の売上が! これで家賃を払って、新しいマイクを買おうと思っていたのにぃぃ!」
その場に崩れ落ち、地面を叩いて泣き崩れるリーザ。
その後ろで、キャルルがウサギの耳をピクピクと引きつらせながら歩み寄ってきた。
「リーザちゃん……? 貴女、私の家の神聖なお風呂で、そんな汚い商売の仕込みをしていたんですか……?」
「キ、キャルル様? あの、これはエコでロハスなリサイクルの一環でして……」
「私の家の配管が詰まったらどうするんですかっ! 月影流・お仕置きフルコースです!!」
「ひぃぃぃっ! お許しをぉぉ!」
キャルルに首根っこを掴まれ、カクカクと揺さぶられるリーザを放置し、優太はため息をついた。
ふと見ると、出汁を買えなかった非番の兵士やドワーフたちが、少し残念そうに肩を落としている。
「せっかく、風呂に入れて温泉気分でも味わおうかと思ったんだがなぁ」
「最近、塹壕掘りで肩が凝っててよ……」
その呟きを聞き逃さず、優太はポケットの中でアメスピの箱を弄りながら、無言で【地球ショッピング】のスキルを起動した。
(……感染症を防ぐのも医官の仕事だが、兵士や職人の『疲労回復』も立派な兵站維持の一環だ。先日のトリアージで貯まったポイント、ここで吐き出すか)
『100Pガチャ・5連』。
空間が歪み、優太の足元に巨大な段ボール箱が二つ出現した。
中に入っていたのは、地球の有名メーカーが誇る『日本の名湯・業務用入浴剤アソート(登別・草津・箱根・由布院など)』の超特大パックだった。
優太はそれを軽々と担ぎ上げると、村の公衆浴場の番台に向かって歩き出した。
「おい、親方。兵隊さんたちも」
「ん? なんだい、先生」
「今日の公衆浴場の湯は、俺の奢りだ。本物の『名湯の薬効成分』が入った湯に浸からせてやる。血行促進と疲労回復の化学的エビデンスがある代物だ。人魚の残り湯なんかより、百倍効くぞ」
「マジか!? さすが優太先生だぜ!」
「うおおっ! 一番風呂は俺がもらうドス!」
男たちが歓声を上げて公衆浴場へと駆け出していく。その後ろ姿を見送りながら、優太の脳内に軽快なファンファーレが鳴り響いた。
『――ピロリン♪』
『バイオハザードの未然防止、および共同体の公衆衛生と福祉の向上を確認しました。善行ポイント【+500 P】を獲得。カルマ(運命力)が絶好調です』
(……相変わらず、勝手にポイントが貯まっていくな。俺はただ、村にパンデミックを起こされたくなかっただけなんだが)
優太は内心でぼやきながら、新しいアメスピに火をつけた。
「……優太さん」
説教を終えたキャルルが、少し息を弾ませながら歩み寄ってきた。その後ろでは、リーザが「もう悪いことはしませんわ……」と真っ白になって燃え尽きている。
「村の皆さんへの気配り、ありがとうございます。優太さんがいなかったら、今頃村中が食中毒で大変なことになっていました」
「俺の仕事だ。それに、あいつらには万全の体調で村の防衛に当たってもらわないと困るからな。打算(コスト計算)の一環だよ」
優太はそっけなく返したが、キャルルには彼の『心音』がはっきりと聞こえていた。
(……トクン、トクン。優太さんの心臓、全然打算的じゃない。本当に皆の体が心配で、自然に行動しちゃってるだけなんだから……)
キャルルはフフッと微笑み、両手を後ろで組んで少しだけ優太に身を乗り出した。
「ところで優太さん。あのどうしようもない人魚姫に、何か良い更生プランはありませんか? このままだと、次は泥団子を『特製オーガニックチョコ』とか言って売り出しかねませんよ」
優太はアメスピの煙を細く吐き出し、燃え尽きているリーザを見下ろした。
「……おい、リーザ」
「はいぃ……」
「金が欲しいなら、真っ当な労働で稼げ。今日からお前は、自警団の医療テントの『清掃係および備品管理アシスタント』だ。時給はルナミス帝国の最低賃金基準に則って、銀貨で払ってやる。その代わり、少しでも衛生基準を破ったら即クビだ」
リーザがガバッと顔を上げた。
「えっ!? アイドルの私が、モップ掛けや消毒液の補充をするんですの!?」
「嫌ならまた公園で鳩とパン屑の奪い合いをするか?」
「……やります! やらせていただきますわ! 安定した時給と安全な職場、最高ですの!」
「いい心がけだ。イグニス、お前はあいつの監督係だ。サボってたら斧の峰で小突いてやれ」
「ガハハ! 任せとけ! 俺様の現場監督としての手腕を見せてやるぜ!」
イグニスが胸を叩き、リーザの首根っこを掴んで医療テントの方へ引きずっていく。
「これで少しは平和になりますね」
「どうだかな。だがまぁ、最低限の衛生管理は教え込めるだろう」
優太はタバコをもみ消し、キャルルと共に詰め所へと歩き出す。
彼自身は全く気づいていないが、この「打算なき雇用創出と衛生指導」が、後にポポロ村の医療体制を強固にし、各国から「慈愛の聖域」として勝手に畏怖される原因の一つとなるのだった。




