EP 3
毒舌樹人の朝の説法
極貧アイドル人魚姫・リーザの襲来から一夜明けた、早朝。
ポポロ村の防壁の外れにある小さな農地を、優太は日課のパトロールを兼ねて歩いていた。
村の生存率を上げるためには、周囲の地形と生態系の把握が不可欠だ。アメリカンスピリットの煙をくゆらせながら歩を進めていると、前方の開けた場所から、情けない男の鳴き声が聞こえてきた。
「うぅっ……俺様が悪かった……! ただ、朝飯のスープに入れるネギを分けてほしかっただけなのに……っ!」
声の主は、自警団の竜人族・イグニスだった。
百馬力を誇る巨体の彼が、なぜか地面に膝をつき、両手で顔を覆ってガチ泣きしている。
そして、そのイグニスを見下ろすように立っていたのは、さらに異様な存在だった。
身長は優太と同じくらい。だが、その身体はゴツゴツとした『樹木』で構成されている。エルフを守護する植物型樹人兵士『ポーン』の突然変異体。
タローマン製の職人向けエプロンを身につけ、口には高級品のポポロシガーを咥え、片手でポポロコーヒーの入ったマグカップを揺らしている。
そしてもう片方の手には、朝日に鈍く光る一本の『長ネギ』が握られていた。
シャッ……シャッ……。
樹人は、長ネギを砥石で丁寧に研いでいる。ネギから金属の擦れる音が鳴るという異常な光景だった。
「ワテの言うことが理解できんのか、筋肉ダルマ。需要と供給のバランス、限界効用逓減の法則すら理解せずに、ただ『ネギくれ』と要求するのは、知的怠慢という暴力やで?」
「ひっ、限界……なに……?」
「お前のその両手斧の素振り一回が生み出すGDP(国内総生産)への寄与率と、ワテが丹精込めて育てたこの『ネギカリバー』の価値を比較考量してみい。お前の労働価値は、このネギの先端一ミリにも満たない底辺や。泣く暇があったら『資本論』の第一巻から読み直してこい、ドアホ」
一切の淀みない、圧倒的な語彙力と論理的暴力。
イグニスは完全に心をへし折られ、「俺様のGDPはネギ以下……」とブツブツ呟きながら土を掘り始めている。
(……面倒な奴がいるな)
優太は静かにため息を吐き、シガレットの灰を落としてから歩み寄った。
「そこまでにしてやれ。自警団の戦意を削がれては、村の防衛に支障が出る」
「ん?」
樹人が振り返り、マグカップ越しに優太をジロリと見据えた。
「お前が噂の人間か。ルナミスの商人でもないのに、タダで村人を治療し、防衛陣地を作ったっていう『お人好しの医者』やな。ワテはネギオ。ドンガン地下帝国鍛冶師通信講座一級、ならびにルナミス帝国経済講座一級を保持する、インテリ農家兼鍛冶師や」
ネギオはポポロシガーの煙をふぅっと吐き出し、優太に向けてニヤリと挑発的な笑みを浮かべた。
「せやけど、ワテから言わせればお前の行動は『市場破壊』や。高度な医療技術やインフラ整備を無償で提供すれば、村人はお前に完全依存する。いずれ自立心を奪い、共同体全体が『お前がいなければ成立しない』脆弱な福祉漬けの奴隷集団に成り下がる。……違うか?」
経済学と社会学の観点から突いてきた、極めて鋭い指摘だ。
確かに、過剰な無償の支援は相手の自立を阻害する。だが、優太の表情はピクリとも動かなかった。冷徹な戦場医官の目が、ネギオを真っ直ぐに射抜く。
「前提が間違っている。お前の言う理論は『安全が確保された成熟社会』のモデルだ。だが、この村は三国の緩衝地帯であり、常に死蟲や魔獣の脅威に晒されている『高致死率の最前線』だぞ」
「……ほう?」
「最前線におけるミクロ経済では、労働力(人的資本)の喪失は取り返しのつかない恒久的な赤字だ。俺が無償で医療を提供し、陣地を構築するのは、労働力という『最大資本』を保護するための先行投資に過ぎない。俺の技術で生き残った連中は、いずれ外貨を稼ぎ、この村を経済的に自立させる強固な防壁になる。……ルナミスの経済講座では、非常事態における『人的資源保護とロジスティクスの関係』は教えてくれなかったのか?」
グリーンベレー式の戦術理論と、極限状態の経済学を融合させた優太のカウンター。
ネギオの動きがピタリと止まり、咥えていたシガーの灰がポトリと落ちた。
「……なるほど。単なる善意の馬鹿やのうて、明確な投資対効果(ROI)を計算した上での行動っちゅうわけか。せやけど人間」
ネギオはマグカップを置き、鋼鉄すら両断するというネギカリバーをスッと優太の鼻先に突きつけた。
「孔子も言うとるやろ。『民は之に由らしむべし、之を知らしむべからず(民衆は従わせればよい、理由まで教える必要はない)』と。お前は結局、自分の防衛戦略のために、無知な村人たちをチェスの駒として操っているだけやないんか?」
『論語』の一節を用いた、痛烈な倫理的批判。
だが、優太の教養の根底にあるのもまた『論語』だった。優太は突きつけられたネギの切先を指で軽く弾き返し、平然と即答した。
「『子曰く、教えざる民を以て戦う、是れ之を棄つと謂う(教育を受けていない民を戦争に動員するのは、彼らを見殺しにするのと同じである)』。俺は村人をただ治療し、守るだけじゃない。イグニスたちには戦術を、村人には公衆衛生を徹底的に『教育』している」
「……ッ」
「俺がいなくても、この村が自分たちの力で生き残れるようにするためにな。……むしろ、お前のように高度な経済学と鍛冶技術を持ちながら、村の防衛や発展に関与せず、こんな辺境で一人で知識を腐らせていることの方が、知本資本の重大な損失じゃないのか?」
沈黙が落ちた。
朝の風が吹き抜け、ネギオの頭の葉っぱがサワサワと揺れる。
イグニスが息を呑んで見守る中、ネギオはゆっくりとネギカリバーを下ろし——。
「カカカカッ! アハハハハハハッ!」
腹を抱えて、爆笑し始めた。
「傑作や! ルナミスの通信講座の講師でも、ここまで見事にワテを論破した奴はおらんかったわ! お前、武闘派に見えて頭の中身はバリバリのインテリヤクザやないか!」
「褒め言葉として受け取っておく」
ネギオは笑い涙を拭いながら、スッと右手を差し出してきた。
優太がその木肌の手を握り返すと、ネギオは満足げに頷いた。
「ええやろ。合格や。お前のその頭脳と覚悟に免じて、今日からワテがこの村の『農業兼技術顧問』になったるわ。ただし、報酬はポポロシガーとコーヒー豆やで」
「助かる。この村には、経済と農業を論理的に回せるブレインが必要だったからな」
圧倒的な有能さで、超インテリの変異種を味方に引き入れた瞬間だった。
イグニスが「すげえ……あの性格の悪いネギオを口先だけでボコボコにしやがった……」と尊敬の眼差しで優太を見つめている。
「せやけど優太。ワテを農業顧問にするっちゅうことは、それなりの覚悟を持ってもらうで」
ネギオが、ニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべ、自分の背後にある広大な農地を指差した。
「ワテが品種改良したポポロ村の『特産品』は、普通の野菜やない。下手をすれば魔獣よりタチの悪い、狂気の作物ばっかりや。……いっちょ、見学していくか?」
ネギオの言葉と共に、畑の奥から「ギャアアアッ!」という耳を劈くような奇声と、土を蹴って走り回る『何か』の足音が聞こえてきた。
優太はシガレットを携帯灰皿に揉み消し、未知の領域——狂気の変異農業の世界へと足を踏み入れた。
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