EP 2
行き倒れていた芋ジャージの人魚を、優太は手早く担ぎ上げ、村長宅のベッドへと運び込んだ。
脈拍と呼吸を確認するが、外傷や病気の兆候は一切ない。ただ、腹部が異常にへこんでおり、血圧が危険なほどに低下していた。
(完全に極度の栄養失調と脱水症状だな……。何日まともな飯を食っていないんだ?)
戦場や難民キャンプでは珍しくない症状だが、この平和な世界で、しかも高貴な存在であるはずの人魚がここまで餓えるとはどういうことか。
優太が首を傾げながら、点滴の準備のためにホログラムUIを開こうとしたその時だった。
救急箱を抱えたキャルルが、慌てた様子で部屋に飛び込んできた。
「優太君、トラウマキット持ってきたよ! 怪我人は——えっ?」
ベッドの上に横たわるアクアマリンの髪の少女を見た瞬間、キャルルのウサギの耳がピンと直立し、目を見開いた。
「り、リーザちゃん!?」
「キャルル、知り合いか?」
「知り合いも何も……私、ルナミス帝国に亡命した直後、彼女とシェアハウスで一緒に住んでたの! シーラン国の女王様の娘で、親善大使として帝国に来てた正真正銘のお姫様だよ!」
お姫様。
優太は改めて、ベッドの上の少女を観察する。
首元がヨレヨレになった特売の芋ジャージ。毛玉だらけの袖。足元から転がり落ちた、健康サンダル。どう贔屓目に見ても、スーパーの深夜バイト帰りのフリーターにしか見えない。
「……とりあえず、極度の空腹で倒れているだけだ。急に固形物を胃に入れると危険だから、消化にいいものを作ってくる」
優太は溜め息をつき、台所へと向かった。
鍋に水を張り、『地球ショッピング』で購入した『鶏ガラスープの素』を投入する。沸騰したところに、地球の無洗米を少し柔らかめに煮込み、現地の醤油草で薄く味を調える。最後にトライバードの卵を溶き入れ、ふんわりととじれば、鶏の旨味と卵の甘みが凝縮された『極上黄金雑炊』の完成だ。
ごま油をほんの数滴垂らすと、香ばしい匂いが部屋中に広がった。
「んんっ……あぁ……天国の、匂い……」
匂いに釣られたのか、ベッドの上のリーザがゾンビのようにむくりと上半身を起こした。
優太がどんぶりに雑炊をよそって差し出すと、彼女の瞳に獰猛な光が宿る。
「いただきますぅぅぅッ!!」
リーザはどんぶりを両手でひったくり、レンゲすら使わずに直接口をつけて掻き込み始めた。
ハフッ、ハフッ、ズズズッ! と、およそ人魚姫の挙動とは思えない、獣のような咀嚼音。熱湯に近い雑炊を、火傷も気にせず胃袋へと流し込んでいく。
「ちょ、リーザちゃん!? ゆっくり食べないと喉に詰まるよ!」
「ふぐぅ……ッ! んぐ、んぐ……ぷはぁぁぁっ! お、おいひぃ……! 鶏の旨味の広がるお米、とろとろの卵……こんなに温かいご飯、三ヶ月ぶりに食べましたぁっ!」
大粒の涙をポロポロとこぼしながら、リーザはあっという間にどんぶりを空にした。さらに鍋の底に残っていた米粒まで、指ですくって舐め取っている。
そのあまりに悲惨な光景に、部屋の隅で見ていたイグニスがドン引きした顔で優太に耳打ちした。
「おい優太……あいつ、本当に姫様なのか? 俺様でもあんな下品な食い方はしねえぞ……」
「俺に聞くな。だが、人間の尊厳を失うほどの飢えを経験してきたのは間違いないな」
落ち着きを取り戻したリーザに、キャルルが温かい陽薬茶を差し出した。
「リーザちゃん……なんでこんな所にいるの? ルナミス帝国で、アイドルとして大成功してたんじゃなかったの……?」
キャルルが悲痛な声で問いかける。
シェアハウスを解消した際、リーザは「私は歌で世界を救うトップアイドルになりますわ!」と豪語してキャルルを送り出したはずだった。シーラン本国の母親(女王リヴァイアサン)にも、手紙でそう報告し続けているらしい。
リーザは茶をすすると、ふっと遠い目をした。
「……アイドルブームは、半年前に去りましたの」
「えっ」
「私、事務所をクビになりまして。でも、歌うことの快感が忘れられなくて、路地裏のみかん箱の上で一人で歌い続ける地下アイドルになりましたの。ええ、つまり無職ですわ」
堂々たる無職宣言。
優太は眉間を揉みながら尋ねた。
「無職で、どうやって今まで生きてきたんだ。本国に帰るという選択肢はなかったのか」
「帰れませんわ! お母様には『帝国中が私の歌の虜ですわ!』って見栄を張って手紙を書いていますもの! 帰ったら、マグローザ漁船に乗せられてタコ部屋行きです!」
(どこかで聞いたような見栄っ張りだな)
優太が横目でイグニスを見ると、彼は目を逸らして天井の木目を数え始めていた。
「だから私、ポイ活と無料の施しだけで生き抜いてきましたの! 主食はパン屋の裏口でもらえるパンの耳と、特売のゆで卵。ルナミスマートの試食コーナーをプロのルートで周回し、デパートの化粧室のテスターでフルメイクを仕上げていましたわ!」
「……たくましいな」
「それだけじゃありません! 早朝のラジオ体操で図書カードを稼ぎ、公園では鳩の餌やりおじさんが撒くパン屑を巡って鳩と乱闘し、ルナミスのテント村の炊き出しでは常に最前列をキープ! 極めつけは、タローソンの廃棄弁当を賭けて、路地裏のボス野良犬とステゴロで死闘を繰り広げましたのよ!」
得意げに語るリーザだが、その内容は現代日本のド底辺サバイバルそのものだった。
高貴な人魚姫が、鳩とパン屑を奪い合い、野良犬と弁当を巡って殴り合っている光景を想像し、優太は深いため息を吐いた。
軍隊におけるサバイバル訓練(SERE)すら凌駕する、資本主義の最底辺を這いずるような異常な執念だ。
「リーザちゃん……そんな過酷な生活をしてたなんて……っ」
キャルルが涙ぐみながら、リーザの手をぎゅっと握りしめた。
彼女の『世話焼きなお姉ちゃん』としてのスイッチが完全にオンになっている。
「ごめんね、私がもっと早く気づいてあげてれば! 大丈夫、これからはこのポポロ村で、私と優太君が養ってあげるからね!」
「……待て、キャルル。俺はまだそんなこと——」
「優太君の村なんだから、私のお友達くらい置いてくれてもいいでしょ? ね?」
キャルルが振り返り、優太に向けて小首を傾げる。
一見可愛らしい仕草だが、その瞳の奥には『私の言うこと、聞いてくれるよね?』という、ヤンデレ特有の重く暗い圧力がこもっていた。
優太は背筋に冷たいものを感じながら、小さく咳払いをした。
「……まあ、村長のお前がそう言うなら、反対はしない。だが、ここは開拓村だ。タダ飯を食わせる余裕はないぞ。畑仕事でも何でも、働いてもらうからな」
優太が冷徹な医官の顔でリーザに告げる。
すると、先ほどまで弱々しかったリーザが、芋ジャージの襟を正し、スッと立ち上がった。
アクアマリンの髪が揺れ、彼女の纏う空気が一変する。
「お気遣いありがとうございます、キャルル。でも……私は、施しは受けませんわ」
リーザの瞳に、先ほどまでの飢餓感とは違う、恐るべき『狂気』と『強欲』の炎が宿っていた。
「私はアイドルですの。皆さんの『世界』そのものになりたい。仕事の辛さも、現実の苦しさも全部忘れさせて、私だけを見させる……その代わり、皆さんの視線も、心も、そして『御縁(お金)』も、全部私が奪い尽くしてあげますわ!」
彼女は胸の前で両手を組み、高らかに宣言した。
「さあ、みかん箱を用意してくださいな! 私の歌で、この村の『スパチャ(投げ銭)』を全部吸い上げて見せますわ!」
……どうやら、この村にまた一人、とんでもないベクトルで狂った居候が増えてしまったらしい。
優太は静かに頭を抱え、ポケットからアメリカンスピリットを取り出した。
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