EP 2
キャルル村長の憂鬱と、底辺サバイバーたちの朝
ルナミス帝国、アバロン魔皇国、レオンハート獣人王国の三カ国が牽制し合う国境の緩衝地帯――ポポロ村。
その中心にある木造平屋の「村長宅」の玄関で、月兎族の村長・キャルルは絶叫した。
「リ、リーザちゃん!? なぜここに!」
買い出しから帰還した優太の背後から、ひょっこりと顔を出したのは、臙脂色の芋ジャージに健康サンダルを履いた人魚族の少女だった。
キャルルの声を聞くや否や、リーザは信じられない速度で玄関の土間に滑り込み、見事なスライディング土下座を決めた。
「キャルル様ぁ! お久しぶりですわ! 家賃が払えなくてアパートを追い出されそうなんですの! どうか、どうかこの哀れな地下アイドルを匿ってくださいませ!」
「……相変わらずスライディングのフォームだけは綺麗ですね。でも、どうして優太さんと一緒に?」
「交番の前で反復横跳びをしてカツ丼を召喚していたところを、彼に拾われましたの」
胸を張って答えるリーザに、キャルルはウサギの耳をペタンと伏せて深いため息をついた。
ルナミス帝国での冒険者時代、キャルルはこの強欲で極貧な人魚姫とシェアハウス(4LDK、家賃割り勘)で共に暮らしていた。彼女がどれほど図太く、かつ悲惨なサバイバル生活を送っているかを誰よりも知っているのだ。
「優太さん、ご迷惑をおかけしました。この子、放っておくとその辺の雑草まで食べ始めるので……」
「いや、すでにタンポポを齧ろうとしていたから止めた。栄養失調の一歩手前だ。医官として見過ごすわけにはいかない」
優太はアメスピの煙を吐き出しながら、タローマンの紙袋を土間に置いた。
「しばらくここに置いてやれ。俺が体調を管理する」
「優太さんがそうおっしゃるなら……。リーザちゃん、今日から客間を使っていいですよ」
「さすがキャルル! 愛してますわ! これで浮いた家賃で衣装の修繕ができますの!」
こうして、ポポロ村の自警団に、極貧の地下アイドルが居候として加わることになった。
翌朝。
村長宅の広々としたダイニングには、絶望的な『経済格差』が広がっていた。
「おはようございます、優太さん。ポポロ・コーヒー、淹れましたよ」
キャルルはエプロン姿で優雅に微笑み、テーブルに朝食を並べていた。彼女の皿には、ふんわりと焼かれたパンに新鮮な人参とレ足ス(保温効果のある魔野菜)を挟んだ特製サンドイッチ。そして、陽薬草をブレンドした色鮮やかな健康野菜ジュースが輝いている。
その真横で、リーザは腕を組み、己の朝食と睨み合っていた。
彼女の皿に乗っているのは、パン屋の裏で無料でもらってきた『パンの耳』の山。特売で買った茹で卵が一つ。そして、公園で自ら摘んできたタンポポの葉っぱ(よく水洗い済み)である。
優太がブラックコーヒーを啜りながら、呆れた視線を向けた。
「……お前、昨日俺が『栄養のあるものを食え』と言ったのを忘れたのか」
「失礼な! アイドルはいつだってロハスでオーガニックな生活を心がけているんですの!」
リーザはパンの耳を一本手に取り、健康的な笑顔を作った。
「この小麦の殻の野性味あふれる香り! 茹で卵の完全なるタンパク質! そして大地の恵みである無農薬のタンポポ! これぞ、究極の美容食ですわ!」
言いながらパンの耳をかじるリーザだが、その瞳はキャルルのサンドイッチに釘付けになっていた。喉の奥から「ゴクリ」と生唾を飲み込む音が、優太の耳にもはっきりと聞こえる。
「……リーザちゃん、無理しないでください。私のサンドイッチ、半分食べます?」
キャルルが苦笑いしながら皿を差し出した、その瞬間だった。
「食べますぅ!! 喜んで頂きますぅ!!」
アイドルの気高いプライドを光速でドブに捨て去り、リーザはキャルルの手からサンドイッチを奪い取ると、猛然と咀嚼し始めた。
「美味しい……! 人参の甘みが……涙が出そうですわ……!」
「ガハハハ! なんだなんだ、朝から騒がしいな!」
バンッ、とダイニングの扉を乱暴に開けて入ってきたのは、竜人族のイグニスだった。
身の丈を超える両手斧を背負い、無駄に威風堂々とした態度でテーブルにつく。彼の視線が、リーザの残したパンの耳とタンポポで止まった。
「おいおい、なんだその貧相なエサは! お前、新入りの居候か? そんなモン食ってサバイバル気取りとは笑わせるぜ!」
イグニスはふんぞり返り、得意げに鼻を鳴らした。
「いいか、俺様が人間の大都会で一旗揚げようとしていた頃の話だ。ホームレスのテント村での炊き出しを巡って、俺様は野良犬の群れと三日三晩に及ぶ死闘を繰り広げたんだぜ! シープピッグの端肉が一切れ浮いた『奇跡の豚汁』を啜るためにな! お前のその草っぱらみたいな朝飯じゃ、都会のアスファルト・ジャングルは生き抜けねぇよ!」
故郷の親には『俺様の純金の像が立った』と嘘の手紙を送り続けているくせに、なぜか底辺サバイバルの武勇伝を熱く語り出すイグニス。
その言葉に、リーザのプライド(?)が火を噴いた。
「ただの炊き出しでイキらないでくださる!? 私はルナミス公園で、鳩餌やりおじさんが撒くパン屑を巡って、毎日数百羽の鳩と縄張り争いをしていますのよ! 鳩の群れのつつき攻撃を躱しながら、一番大きなパン塊を奪い取る私のステップ、アンタみたいな図体のデカいトカゲに真似できまして!?」
「あぁん!? トカゲだと!? 俺様は偉大なる竜人族の――」
「だいたい、タローソンの廃棄弁当を巡る野良犬との決闘なんて、地下アイドル界隈じゃ基本中の基本ですわ!」
「俺の豚汁サバイバルを舐めるな!」
「私の鳩との死闘を舐めないでくださる!?」
テーブル越しに、全ルナミス帝国で最もレベルの低い『底辺サバイバル・マウント合戦』が勃発した。
竜の闘気と人魚の魔力が無意味にぶつかり合い、ダイニングの空気がビリビリと震える。
「――うるさい。静かにしろ」
優太の低く、しかし絶対的な威圧感を持った声が響いた。
彼の手には、G-SHOCKのストップウォッチ機能が握られている。
「……お前らの言い争いを医学的観点から聞いていたが、どっちもただの『栄養失調予備軍』だ。そんな食生活を続けてみろ。ビタミンC欠乏による壊血病、タンパク質不足による筋繊維の崩壊、鉄分不足による重度の貧血。戦場で一番先に死ぬのは、敵の刃じゃなく『己の不摂生』だ」
優太の背後から、グリーンベレーやSEALsの教官たちが憑依したかのような、重く冷たいプレッシャーが放たれる。
「ひっ……!」
「な、なんだよ優太、俺様はただ――」
「黙れ。今日からお前ら二人は、俺の『強制栄養管理プログラム』の管理下に置く。反論は許さん」
優太は立ち上がり、己のユニークスキル【地球ショッピング】を密かに起動した。
(昨日のカツ丼阻止と、これまでの村の防衛で貯まった善行ポイント……ここで医療投資として使う)
空間が僅かに歪み、優太の手に二つの巨大な物体が出現した。
一つは、地球のフィットネス愛好家が愛用する『業務用ホエイプロテイン(大容量5kg・リッチチョコレート味)』の漆黒のボトル。
もう一つは、海外製のカラフルな『マルチビタミン&ミネラル・グミ(超特大ボトル)』である。
「な、なんですの、その巨大な黒い樽は……!?」
「薬だ。お前らのスカスカな体を細胞レベルから作り直す」
優太は素早くシェイカーを二つ取り出し、プロテインの粉末を山盛りにすくって冷水を注ぐ。激しくシェイクし、完璧に混ざり合った茶色い液体を、リーザとイグニスの目の前にドンッと置いた。
「飲め。一滴も残すな。食後にはこのビタミン・グミを三粒食え。これを毎日、朝と夜のルーティンにする」
「そ、そんな得体の知れない泥水を、アイドルの私が――」
「飲めと言っている」
「はいぃっ!」
優太の無双薙刀流で鍛え上げられた眼力に制圧され、リーザとイグニスは震えながらシェイカーを手に取った。
意を決して、二人は同時にその茶色い液体を喉に流し込む。
「――っ!?」
リーザの瞳が、限界まで見開かれた。
「あ、甘ぁい……! そして凄く濃厚! まるで高級なカカオの濁流が、私の乾ききった内臓を優しく撫で回していくようですわ……! こんな美味しい泥水、飲んだことありませんの!」
「うおおおっ! なんか腹の底から、闘気が……いや、筋繊維が喜んでるのが分かるぜ! 俺様の大胸筋がパンプアップを求めてる!」
二人はあっという間にプロテインを飲み干し、「おかわり!」とシェイカーを突き出した。
『――ピロリン♪』
優太の脳内に、再びシステム音が鳴り響く。
『無私の栄養管理および、共同体の公衆衛生水準の向上を確認しました。善行ポイント【+500 P】を獲得。運命力が安定しています』
(……手のかかる部下が増えただけだがな。まぁ、これで倒れられたら医官(俺)の手間が増えるだけだ)
優太は内心でぼやきながら、無表情のままプロテインの二杯目を作り始めた。誰かに褒められたいわけでも、ポイントが欲しいわけでもない。ただ「目の前の不調を放置できない」という、彼自身の拭いきれない善性がそうさせているだけだった。
その一部始終を、キャルルは静かに見つめていた。
彼女は、ウサギの長い耳を少しだけ優太の方へ傾け、彼の『心音』に意識を集中させる。
(……トクン、トクン、トクン……)
優太の心音は、深い海の底のように静かで、規則正しかった。
打算も、下心も、誰かに認められたいという欲求も一切ない。ただ純粋に、仲間を思いやり、当然のこととして手を差し伸べている。その温かく真っ直ぐなリズムが、キャルルの胸の奥を甘く締め付けた。
「……ふふっ。優太さんは、本当に面倒見がいいですね」
キャルルはヤンデレの気配など微塵も感じさせない、年相応の可愛らしい笑顔を浮かべた。
「勘違いするな。部下の体調管理も、部隊の生存率を上げるための立派な『戦術』だ。村長(お前)だって、こいつらが倒れたら面倒だろ」
優太は照れ隠しのようにアメスピを口に咥え、そっぽを向いた。
「はい。でも、私……優太さんがポポロ村に来てくれて、本当に良かったって思ってますよ」
その朝、ポポロ村の村長宅には、特濃チョコレート味のプロテインの甘い香りと、平和で騒がしい仲間たちの笑い声が響き渡っていた。
限界地下アイドルが引き起こす本当の騒動が、すぐそこまで迫っていることなど、この時の優太はまだ知る由もなかった。
読んでいただきありがとうございます。
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