83.痛み
【今回のあらすじ】
すべての血種を滅ぼせない以上、神護家の者に安寧はないことを博貴は知っている。
博貴が目を覚ますと、まだ隣に公爵が寝ていた。
時計に目をやると5時を少し回ったところだった。
肩をゆすると、公爵は目を開けて、少し顔を顰めたが、目を擦って博貴に気付くとニヤリと笑った。
「王に見つからないように、後から来いよ。邪魔が入らないよう適当に攪乱してくれればそれでいい。特に男爵を遠ざけておいてくれたら恩に着る。あいつだけは本物の忠犬だ。王に絶対的な忠誠を捧げている」
「断ったら?」
「断らないさ」
公爵は起き上がって伸びをした。
「お前の代わりに王を殺してやるんだから」
「俺の代わりではなく、自分のためにだろ?」
「同じことさ。王が死ねば、俺もお前も満足だ。ついでに俺も死ねば、お前はもっと嬉しい。違うか?」
公爵は手を伸ばし、博貴の頬に触れた。
「顔色はいいな。傷も治っている。十分動けるはずだ」
公爵は、するりとベッドから降りると、そのまま振り向きもせずに出ていった。
博貴は起き上がると、リビングへ移動し、テーブルに置いてあったタバコを手に取った。パッケージの底をテーブルにトンと当てて、飛び出した一本を口にくわえて火をつける。
ハイライト。古臭い銘柄だ。子供のころ父親が吸っていた。
昭和時代、男たちはみな、きついタバコを吸っていた。いつでもどこでも。大人の男たちがいる場所には、当たり前のようにタバコの煙が漂っていた。幼児のころから副流煙を吸わされて育ち、大人になったら自分も当然吸うものと思っていた。それが大人というものなのだと。生真面目に20歳まで待って、選んだ銘柄は父親が吸っていたのと同じものだった。
そうやって形だけは大人の男になったつもりで、自分は結局大人になりきれないまま今日まで来てしまった。年月を重ねても、少しも大人になんぞなれない。中学生のころに知った胸の痛みをそのまま引きずって、這いずりながら無様に生きている。
煙を深く吸って、吐き出す。
尸皇も王も、尸族も忌族も、すべて滅ぼすことができるのであれば、神護の子供が犠牲になることはなくなる。そうなれば、勇真は結婚して子供を作り、ごく普通の人間として、あたりまえの家庭を作れる。神護の血を未来に残すことができる。
しかし、現実には尸皇も王も尸族も忌族も滅ぼすことはできない。
もしかすると、今日王が尸皇を殺すかもしれない。公爵が王を殺すかもしれない。
だが、すべての尸族と、すべての忌族を残らず殺すことは不可能だ。
やつらはいつだって、神護の子供を狙っている。神護に生まれる子供らに逃げ道はない。ならば、この永遠の地獄から解放するには、やはり勇真を殺すより他にない。
今は殺すことに躊躇いはなかった。
かつて兄と勇真を斬りつけ、真澄を殺した時は自分がしでかしたことが信じられず、その罪に怯えた。
兄を殺し、兄嫁を殺したとき、博貴の中で何かが決定的に破壊された。
自分が子供のように駄々をこねてるだけなのはわかっている。
勇真にしてみれば、理不尽でしかないだろう。
でも、俺は――。
他に、お前を救う方法を知らないんだよ……。
指に挟んでいたタバコを、握りつぶした。
手のひらが、火に焼かれて痛む。
博貴は、痛みそれ自体が救いででもあるかのように、そのひりつく手を握りしめた。
【登場人物】
神護博貴:勇真と真澄の叔父。忌族。60歳。外見は30代前半。
公爵/オーレル:王の配下。忌族。金色の髪に褐色の肌をした、ハリウッドのアクションスターのような男。
王:忌族を率いる王。
男爵/キュイブル:王の配下。忌族。赤銅色の髪をした、憎めない顔立ちの男。
父親:神護貴一。勇真と真澄の祖父。曾祖父総一の長男。真悟と博貴の父。
老師/尸皇:血種の祖。尸族を率いる。
神護勇真:主人公。33歳。神護家最後のひとり。
兄:神護真悟。勇真と真澄の父。博貴の兄。
兄嫁:神護優美。勇真と真澄の母。真悟と博貴のいとこ。真悟の妻。
神護真澄。勇真の兄。35歳。外見は7歳。尸族。
【用語】
尸族:血種の一派。血種の祖である尸皇に従う者たち。
忌族:血種の一派。尸皇と袂を分かち、敵対する王に従う者たち。




