81.地獄の入口
【今回のあらすじ】
勇真は、夜が明けると何が起こるのかを聞いた。
「マー君……?」
兄と一緒に食堂に行くと、寅三が兄を見て目を見開いた。
「キミは……?」
視線を勇真に移す。
「吸わせたのか?」
寅三が一瞬見せた物欲しそうな視線に気づき、勇真は思わず首筋を手のひらで隠した。
寅三は、慌てて手を振って言う。
「私は無体な真似はしないよ。マー君、キミは無理やり……」
「説教はごめんだ。ボクが悪いのはわかっている。今は手段を選ぶ余裕がない。許せ」
兄は寅三の言葉を遮った。謝っているようでまったく謝っていない。強引に押し通す気満々だ。
不意に寅三が動いた。あまりの速さに勇真の目は追いつけない。気が付くと兄の横にいて、兄に向かって拳を突き出していた。
兄は、その攻撃を難なく避ける。
寅三は兄の手首を掴み、足をかけて背負い投げの体勢に入ったが、兄はそれをするりとかわし、逆に寅三に回し蹴りを加えようとする。
寅三は、兄の手首を掴んでいた手を離し、バックステップで距離を取る。
寅三の体と重なるように牛に似た妖獣、兕が姿を現す。
兕は首を上下に振り、兄めがけて角を飛ばした。
兄の妖獣、雍和も出てきて、飛んできた何本もの角を軽々と弾く。
兕は、巨大な角を生成し、兄に向かって飛ばした。
前回は止めることができなかったその角を、雍和は片手で受け止めた。雍和に握りしめられた角は宙に溶けるように消えた。
寅三は目を見開き、両手を上げる。急接近し、寅三の顔めがけて回し蹴りを加えようとしていた兄は、当たる寸前で止めた。
「キミは、自力で力を使えるようになったのだね」
ふうと、大きく息を吐いてから、寅三が言った。質問というよりは確認のようだ。
「今なら、あんたにも負けないよ」
兄は両手を腰に当て背を反らし、下から見下ろすという器用な態度を取った。
「ずっと老師の力を借りていたけれど、自分の力で使霊を使えるし、雍和も操れる。もうひとりのやつも、たぶん自分で操れる」
兄は勇真を見てにっこりと笑った。
「ユウ君のおかげだ」
あまりにも無垢な笑顔を向けられて、勇真は複雑な気分になった。
強引に血を吸われたことはまだ恨みに思っているが、こんな純真な笑顔で感謝されると、つい許したくなってしまう。兄は、ずるい。
「最後の朝餐だよ」夏樹が、ぱんぱんと手を叩いて注意を促した。「僕らはともかく、ユウ君はちゃんとご飯を食べて、水分補給もしないとダメですよ」
食欲はなかったが、勇真は席に着いた。
僵尸の使用人が、消化によさそうな雑炊を運んできた。至れり尽くせり。
兄も席に着いたが、昨日までのようにはしゃいだりしない。静かに食事をする兄は、なんだか気味が悪い。
窓のカーテンは開いていたが、外は暗い。夜明けは、まだもう少し先だ。
「夜が明けたら何が起こるんです?」
雑炊をレンゲですくいながら勇真が尋ねると、寅三は、んーと言って、考えるように首を傾げた。
代わりに夏樹が答えた。
「未来視は断片的で、実際に何が起こり、どのようになるのかはわかりませんが、僕が視たのは、何人かの忌族がこの館に侵入し、走り回る姿と……老師の、最期……です」
夏樹は、ちらりと寅三を見た。寅三が頷く。夏樹は話を続けた。
「今、この館がある山は老師の血で作られた結界で守られています。だから、忌族も奴霊も入ってこられません。でも、問題はヒロ君なんですよ。あの子の血を吸った忌族たちなら、結界をすんなりと通ることができます。この結界は神護の血に開かれていますから」
夏樹はちょっと考えるような目をしてから、続きを口にした。
「たぶん、忌王はそれを知りません。おそらくヒロ君自身も知らないでしょう。でも、こちらに戦いを挑む前に、あの子の血を吸っている可能性はあります。忌王だけなのか、幹部数人だけなのか。さすがに3000人全員に吸わせることはないと思うんですけれどね。なにしろ相手は忌族ですから、何をしでかすか、その辺はなんとも……」
それを聞いてぞわりとした。昨日の朝、勇真が門の外に出た時、あのまま奴霊とかいうやつらに攫われていたならば、それが自分の身にも起こっていたかもしれないのか。
3000人とはいわないまでも、複数に吸血されるなど恐怖でしかない。あの叔父はそんな目に遭っているかもしれないのか。
神護の血筋は生きている限り血種に利用される。それは地獄だ――。
叔父が、勇真を殺そうとした理由として語ったという言葉。
忌族にしろ尸族にしろ、神護の血を欲しがることには変わりがないという意味か。
勇真は思わず兄に吸われた首筋に触れた。
生きている限り続く地獄。神護の血を持っているばかりに……。
理不尽だ。あまりに理不尽すぎるだろう。
やり場のない怒りが勇真の胸に沸き上がる。
「大丈夫」
兄が、勇真の手を握る。
「ボクが、絶対にユウ君を守る」
――じゃあ、誰がお前から俺を守ってくれるんだ?
そんな考えが頭に浮かび、勇真は唇を噛むと兄から目を逸らした。
【登場人物】
神護勇真:主人公。33歳。神護家最後のひとり。
兄:神護真澄。勇真の兄。35歳。外見は7歳。尸族。
神護寅三:勇真と真澄の高祖父の三男。勇真と真澄の曾祖父の弟。111歳。外見は20代半ば。尸族。
兕:寅三が使役する妖獣。牛に似た黒い獣で、額に一本の角を持っている。
雍和:真澄が使役する妖獣。黄色い猿の姿で、赤い嘴と赤い目を持つ。
もうひとりのやつ:朱雀。
神護夏樹:勇真と真澄の大叔父。祖父の弟。89歳。外見は20代前半。尸族。
老師/尸皇:血種の祖。尸族を率いる。
ヒロ君:神護博貴。勇真と真澄の叔父。60歳。外見は30代前半。忌族。
忌王:王。忌族を率いる王。
【用語】
僵尸:中国の妖怪。中華版ゾンビ。
忌族:血種の一派。尸皇と袂を分かち、敵対する王に従う者たち。
奴霊:忌族が操る霊体。黒くてどろどろ。
尸族:血種の一派。血種の祖である尸皇に従う者たち。
血種:血を媒介に特殊な力を操る者。




