80.兄への不信
【今回のあらすじ】
唐突の吸血に、勇真は兄に不快感と不信を抱く。
「ふ……」
その微かなため息が、自分のものだったのか、兄のものだったのかも区別がつかない。脳がとろけるようで、思考が緩慢になっている。
首から牙が抜かれたのが分かった。
官能の波から放り出されて、もっと吸ってほしいと心が暴れる。おぞましい自分の心に勇真は吐き気がした。
「やはり、お前の血でないとダメなんだな……」
兄が勇真を見下ろしながら言った。声は兄のものだったが、口調が違う。大人っぽく、どこか尊大だ。実家で最初に出会った時は、確かこんな風だった気がする。
手の甲で頬を撫で上げられて、官能の残滓に体が痺れる。ちくしょう……。
目を固くつぶり、その甘い痺れに耐える。
「寅三さんや、夏樹さんの血では力が出ないんだよ。父さんかユウ君でないと……」
兄は言い訳をするように言った。
「こうでもしないと、お前を守るためには力が足りなすぎるんだ。ごめんよ」
謝るのか。
わけの分からない言い訳をして、謝るのか。
兄の態度が胸糞悪い。胸糞悪すぎて、勇真は嗤った。
喉をついて蔑みの嗤いが漏れる。
いまさらながら自分が吸血鬼の巣にいることに思い至った。
親族の情にほだされていたが、結局こいつらは人ではないのだ。生き血を吸うバケモノなのだ。そのバケモノたちのわけのわからない諍いに巻き込まれて、どうして自分は当たり前のように彼らの力になろうなどと思ったのか。
洗脳が解けたかのように、自分の立ち位置が明瞭になり、現状の異様さを思い知らされる。
できることなら、今すぐこの山を下りたいと思った。門の外で味わった襲撃がなければ、飛び出しているところだ。
否応なしに巻き込まれ、ただ従うしかない自分が悔しかった。
「あんたは」と、こちらの口調も変わってしまう。
「記憶を残さなくていいのか?」
兄のことがわからなすぎる。今の様子と、あの幼さと、どちらが本来の姿なのか。記憶を覗けば本心がわかるかもしれない。
「ボクには残しておくような中身がないんだよ」
兄は抑揚のない声で言った。
「子供のまま尸族になって、人間としての交友も成長も学習の機会も奪われた。親とも大事な弟とも切り離されて、人生に何ひとつ積み上げられないまま年月だけが過ぎた。だから残しておくものなど何もない」
最後にはサバサバと開き直った口調になっていた。
「ボクは、お前を守る以外の何も持っていないんだ。だから……」
夜明け前の室内は暗く、兄がどんな顔をしているのか分からない。だが、その声に懇願の色が含まれていることはわかった。
「どうか、ボクにお前を守らせてくれ――」
そんな風に言われて、結局俺はまた兄弟の情にほだされてしまうのか……。
勇真は、顔をゆがめ、自嘲の笑みを浮かべた。
【登場人物】
神護勇真:主人公。33歳。神護家最後のひとり。
神護真澄:勇真の兄。35歳。外見は7歳。尸族。
神護寅三:勇真の真澄の高祖父の三男。曾祖父の弟。尸族。111歳。外見は20代半ば。
神護夏樹:勇真と真澄の大叔父。祖父の弟。89歳。外見は20代前半。尸族。
父さん:神護真悟。勇真と真澄の父。
【用語】
尸族:血種の一派。血種の祖である尸皇に従う者たち。




