79.吸血
【今回のあらすじ】
勇真は兄に吸血される。
勇真が意識を取り戻したとき、寅三の姿はなかった。
スマホで時間を確認すると4時前だった。日の出にはまだ間がある。
勇真はベッドの中で寝返りを打ち、目を瞑った。
瞼の裏に、ついさっき見た寅三の過去が蘇る。
寅三から与えられた記憶は、寅三がまだ子供の頃のものだった。母親とふたりの姉が生きていた頃の記憶。
寅三は老師から与えられた膨大な記憶の圧力とアイデンティティの崩壊に苦しんでいたが、母や姉たちと一緒にいるときだけは、ただの子供に立ち返ることができた。母とふたりの姉の存在が、寅三を人間の側に引き留めてくれるよすがだった。
1923年、大正12年の8月末に、寅三の母は、体調を崩した親を看るために、ふたりの姉を連れて東京の実家に行った。母は寅三も連れていくつもりだったが、老師がそれを許さなかった。
そして、関東地方を襲ったあの大震災に遭う。母の実家のあたりは火事で完全に焼け落ち、母も長姉も次姉も見つからなかった。
彼女たちが生きていれば、寅三は傾きかけていた心の均衡を取り戻すことができたかもしれない。3人の死が、寅三の心を引き裂き、胸の真ん中に大きな穴をあけた。穴は底知れぬ闇につながっていた。
それ以降の記憶は、見せてくれなかった。
寅三は、優しい母とふたりの姉だけを、覚えていてほしいと言っていた。3人の記憶は、寅三が失いたくない大切な大切な宝なのだ。
――ちゃんと、みんな連れていきます。
勇真は心の中でそっと誓う。
残念ながら、自分にできることといったら、それぐらいしかない。
ふと、部屋の扉が開く気配がした。
誰かが部屋に入ってきて、勇真が眠るベッドに近づいてきたようだ。
いや、気のせいか?
まったく音がしない。振り向けば誰もいないのかもしれない。
そう思った瞬間、頬に誰かの手が触れた。
目を開けるが、真っ暗で相手の顔は見えない。
身を起こそうとすると、肩を掴まれ、強い力でベッドに押し付けられた。
逃れようともがいた拍子に、腕が枕の横にあったスマホに触れた。画面が点灯し、光に兄の顔が浮かび上がる。
「兄さ……」
兄は残忍な笑みを浮かべていた。
何をすると言おうとした瞬間、首筋に噛みつかれた。
「あ、あぁ……」
思わず声が漏れる。首筋から全身に、甘い痺れが走る。
何だこれは? やめろ、やめろ……!
心の中で叫ぶが、口から拒絶の言葉は出ず、自分のものとは思えない艶めかしい吐息が漏れるだけだ。
血を吸われていることはわかる。官能の波を心は拒否するが、体がその快楽を求めてしまう。質が悪い。抗えない。
気が付くと勇真は、兄の背中に両腕を回して抱きしめていた。
【登場人物】
神護勇真:主人公。33歳。神護家最後のひとり。
神護寅三:勇真と真澄の高祖父の三男。勇真と真澄の曾祖父の弟。111歳。外見は20代半ば。尸族。
寅三の母:神護マツ。勇真と真澄の高祖母。高祖父慎一郎の妻。
寅三のふたりの姉:神護タエと神護ユキ。
老師/尸皇:血種の祖。尸族を率いる。
兄:神護真澄。勇真の兄。35歳。外見は7歳。尸族。




