7.異形のモノ
【今回のあらすじ】
部屋に現れた黒い異形の存在を、少年が退治する。
お兄ちゃん――。
勇真の脳裏に幼いころの兄の姿が蘇る。
守ってあげるからね――兄はそう言って、いつも勇真を守ってくれた。
鎖が外れて襲いかかってくる大きな犬から。勇真を小突く意地の悪い近所の少年たちから。無理難題を押し付けてくる理不尽な大人から。
目の前の少年と、かつての兄の姿が重なる。
思えば、兄の葬儀の記憶がない。
いくら幼かったとはいえ、そんな人生の重大事を忘れるなんてことがあるだろうか?
――まさか?
いや、あり得ない。兄が生きていて、しかも7歳の姿のままだなどとは。
しかし、そんな不可思議すら、すんなりと受け入れてしまいそうになるくらいに異常な出来事が、今目の前で確かに起こっている。
少年が、まるで指揮者のように指を振る。それに合わせて白いもやもやとした、不定形の物体が空中からにじみ出てきた。
その白いもやもやが、オオサンショウウオに絡みつき、動きを止めたところに、雍和が放つ光の玉が襲う。
光の玉が当たるたびに、オオサンショウウオの体に穴が空いてゆく。
やがて、1匹、2匹と、細切れになり、畳の上にぼたぼたと、黒い粘液の山が築かれていった。
最後の1匹が倒されると、クリオネたちは空気に溶けるように姿を消した。
少年の瞳の色が黒に戻った。同時に、白いもやもやしたものたちと、雍和の姿も消えていた。
ふう、と息を吐いて尻もちをつくように座り込んだ少年が周囲を見回す。
「あーあ」
天を仰いで顔を片手で覆う。
黒い粘液があたり一面を汚し、両親の布団も覆いつくしていた。
「ドジった」
少年は顔を顰めると、粘液を避けながら四つん這いで母の布団に近づき、端をめくった。
「わざわざあんなザコを寄越すなんて、おかしいと思ったんだよ。こっちが目的か」
見ると、黒い粘液が布団に浸透し、母の遺体を溶かしつつある。おそらく父の遺体も同じ状態なのだろう。
勇真は、いったいこの部屋をどうやって片づけ、溶けつつある両親の遺体を、葬儀屋にどう説明すればいいのだろうかと、途方に暮れた。
「仕方ない」少年が立ち上がり、勇真に向かって微笑んだ。「とりあえず飯でも食いに行こう。どうせロクに食べてないんだろ? 食べながら説明するよ」
知りたいだろ? と言って、少年は子供らしからぬ強い力で、呆然とする勇真の手を引っ張って立ち上がらせた。
言われてみれば、まんが喫茶で総菜パンをひとつ口に入れたきりで、そのあとは何も食べていない。
少年が部屋の隅に置いてある鞄を拾って勇真の腕に押し付けてきた。
「ユウ君の荷物はこれだけ? 持ち物は全部持ってね」
「これだけだ」
つい素直に鞄を受け取ってしまう。
一瞬だけ、両親のための線香を絶やすことに躊躇いを感じたが、部屋の状況を見て、この場に居たくないという思いが勝ってしまった。
「じゃあ行こうか。何食べる? 今でもハンバーグは好きかい?」
意地悪そうに笑うその顔に、ああ、いまだに根に持っているんだなと思う。兄の分のハンバーグを食べてしまったことを。母さんが作ってくれたハンバーグ。兄も自分も大好物だった。
――やはり彼は本当に兄なのだろうか?
やや遠いが、子連れでも気兼ねなく入れるファミレスまで歩く。
幹線道路沿いに建つ店は、1階がピロティの駐車場になっていて、入口は階段を上った2階だ。
「ここのハンバーグ、美味しいよね」
先に立って階段を上った少年は、嬉しそうに扉を開けた。
「いらっしゃいませ。おひとり様でよろしいですか?」
店員の元気な声に戸惑う。
「え? いや……」
視線を落としたが、少年の姿はない。周囲を見回してもいない。階段の下にも、その先の歩道にも、どこにも。
「あ。はい……」
まるで不審者な自分に赤面しつつ、引き返すわけにもいかず、勇真はそのまま店に入った。
ハンバーグを頼むのはしゃくなので、ステーキにしようと思ってから、葬儀が済むまでは、あまりがっつりと肉類を食べるのは避けたほうがいいかと思い直し、マルゲリータピザとサラダにした。
料理を待ちながら、あの少年のことを考える。
あれは、本当に兄なのだろうか?
姿は、仏壇の遺影とそっくりだった。勇真の記憶の中の兄の姿とも合致する。しかし――。
少年が笑ったとき、口元に見えていたあれは、もしかすると、牙だったのではないか?
まるで吸血鬼のような、鋭い牙――。
動画の中で、父と母を川に突き落としていた黒い何か。
さきほど見た、黒いオオサンショウウオのような何か。
もしかして、あれらは、似たようなものだったのではないだろうか?
自分の周りで、不可解な何かが起こっている。
自分は、いったい何に巻き込まれてしまったのだろうか?
勇真は震えを抑えようと、両手を強く握りしめた。
【登場人物】
神護勇真:主人公。33歳。IT企業に勤めるサラリーマン。
少年:見た目7歳。勇真の兄だと名乗る。
雍和:少年が使役する妖獣。黄色い猿の姿で、赤い嘴と赤い目を持つ。
【用語】
黒いオオサンショウウオのような何か:奴霊=血種が操る霊体。
白いもやもやしたもの:少年が使役する霊体。




