6.少年
【今回のあらすじ】
正体不明の少年は、勇真の兄だと名乗る。
2歳年上の兄は、賢く、美しく、優しかった。
自慢の兄。
大好きだった兄。
「ユウ君、ボクのことを忘れちゃったの? お兄ちゃんだよ?」
少年は、形の良い眉を寂しそうに寄せた。
「……いや、そんな馬鹿な……」
唐突に怒りが湧いてきた。何に対する怒りなのかよくわからない。兄を騙る者への怒りか、あり得ない状況に対する怒りなのか。それとも、これは怒りではなく怯えなのか……。
「ねぇ、今ならまだ、父さんと母さんを蘇らせることができるよ? どうする?」
勇真を見つめる目は面白がっているように見える。唇も微かに笑っている。
「どういう意味だ?」
「言葉通りだよ。ボクなら父さんと母さんを蘇らせることができる。ユウ君がそれを望むならばね」
「そんなことは、望んでいない」
「どうして? ユウ君は父さんと母さんが好きじゃなかったの? もう一度会いたいって思わないの?」
無邪気な顔で紡がれた言葉に、怒りが抑えられない。
「うるさい! 消えろ! 今すぐここから立ち去れ! バケモノ!」
思わず口をついて出た言葉に、少年は傷ついた目をした。
「ボクはただ、ユウ君に喜んでほしいだけだよ」
伏せたまつ毛の影が頬に落ちる。
唐突に抱きしめたいような感情に包まれ、勇真は戸惑った。
同時に違和感が湧き上がる。少年に対する慈しみの感情が、自分の内側から来たものではなく、外から押し付けられたもののような、なんともいえない気持ち悪さを覚えた。
「俺に、何をした!?」
怒りを込めた低い声で言い、睨みつけてみたが、少年はまったく怯まないどころか面白がっている。子供の姿をしているが、やはり見た目通りの存在ではないらしい。
少年はペロリと舌を出した。
「やっぱりユウ君には効かないか、残念。それより――」
言葉を切り、眉を寄せる。
柱時計が鳴り出した。見上げると針は午後8時を指している。
子供のころから聞き慣れた時報だが、ひとつ、ふたつと鳴るたびに、音が異様に歪んでいく。みっつ、よっつと、さらに歪みが増してゆく。
「本当に残念。邪魔が入った」
少年が低い声で呟き、立ち上がった。
時計の音が歪んでいるのではなく、空気が歪んでいるらしいことに勇真は気が付いた。
柱が、天井が、障子の桟が、陽炎を通して見たかのように曲がって見える。
目には見えないが、何か力の塊のようなものが迫ってくる圧力を感じて、勇真は手に持ったままだったビールの缶を投げつけた。
缶は空中でぺしゃんこにつぶれ、中身が周囲に飛び散った。
「ったく……」
少年がため息を吐き、首を振る。
その表情には怒りがにじんでいた。
『こんな下等な奴霊を差し向けるなど、我もずいぶんみくびられたものだな』
それは少年の声ではない。ドスの効いた男の声だった。
少年の姿と重なるように、奇妙な獣の姿がうっすらと見える。黄色い体に、赤い嘴を持ち、赤く光る目をした猿のような獣だ。声はその獣が発したものらしい。
「雍和、いけ!」
少年が空中を指さして鋭く叫ぶ。少年の目も赤く光っていた。
雍和と呼ばれた異形の獣の嘴から、光の玉が発射される。光の玉は空中で何かにぶつかったようにはじけ、空間が裂けた。裂けたとしか言いようがない。何もない空中に亀裂が走ったのだ。
フィクションの中ですら聞いたことがない不気味な咆哮が轟き、どす黒い何かが裂け目から姿を現した。
似ているものをあえて探すならばオオサンショウウオか。皮膚がとろけて滴っている巨大なオオサンショウウオ。体長は勇真の両手を広げたよりも少し大きいくらいだ。
3匹のオオサンショウウオが黒い粘液を滴らせながら、空中で体をよじっている。その周囲をクリオネに似た赤黒い生き物がひらひらと数匹舞っている。こちらは手のひらぐらいの大きさだ。
勇真は、オオサンショウウオにぶつからないように身を屈めた。
「ユウ君、大丈夫だよ。お兄ちゃんが守ってあげるからね」
少年が振り向き、しゃがみ込む勇真を見下ろして、にっこりと笑った。
【登場人物】
神護勇真:主人公。33歳。IT企業に勤めるサラリーマン。
少年:見た目7歳。勇真の兄らしい?
雍和:少年が使役する妖獣。黄色い猿の姿で、赤い嘴と赤い目を持つ。
【用語】
奴霊::血種が操る霊体。




