73.朱雀
【今回のあらすじ】
夏樹は、真澄に朱雀を与えた。
人が見るはずのない過去と、見るはずのない未来を見続けて、夏樹は人であることを捨てていた。夏樹は自分のことをただ運命が導くままに動く道具だと思っていた。
ただの道具。そのはずだったのに――。
それなのに、過去と未来の幻視から解放された夏樹は、あまりにも〈人〉のままだった。人として生きたいと願ってしまう。
かつて一緒に暮らした家族――両親を、きょうだいを、いとこを、懐かしく思い、恋しく思ってしまう。
寅三や真澄や勇真と、楽しく食事をして語り合いたいと思ってしまう。
22歳で失った平凡な人としての暮らしを取り戻したい。叶わぬ願いと知りながらそう願ってしまう。
しかし、滅びの先の未来に夏樹はいない。
そのことが、限りなく寂しかった。
「夏樹さん……?」
呼ばれて夏樹は振り向いた。
「なんか夏樹さんに呼ばれたような気がしたんだけど……?」
真澄が怪訝な顔をしてこちらを見ている。
夏樹は微笑んだ。
「マー君、キミに渡すものがあって呼びました」
言葉と共に、夏樹の体から巨大な鳥が出現する。全身が炎に包まれ、明るくまぶしく輝いている。頭が館の屋根に届き、広げた翼は前庭を覆うほどだ。
「火の鳥……?」
鳥を見上げて真澄がつぶやく。
真澄の中で雍和が怯え、身を竦ませる。
「朱雀です」
雍和とは格が違う妖獣だ。いや、妖獣ではなく、神の領域に属する存在だ。
赤と夏を司り、南方を守護する朱雀。
「この屋敷を守るために僕が預かっていた神獣です」
朱雀が羽ばたき、火の粉があたりに散らばる。降りそぼる雨は、その炎に当たって蒸発する。
「老師の命です。この子を受け取ってください」
真澄は答えることができず、巨鳥を呆然と見上げていた。
初めて見た者はみな畏怖の念に打たれる。夏樹もそうだった。
「なぜボクに……?」
震える声で真澄が問う。
「言ったでしょう? キミはユウ君を守ってあげるんですよ。ずっとずっと永遠に……いえ、永遠は言い過ぎでしたかね」
夏樹は笑った。
夏樹が片手をあげて合図すると、朱雀は飛び立ち、上空を旋回したあと、真澄に向かって急降下した。
そのまま真澄の体に吸い込まれるように消えた。
雍和が、真澄の体から飛び出してきた。
『冗談じゃねぇ! こんな恐ろしい同居人はごめんだ』
雍和の思念は震えていた。
「雍和、ダメだよ。お戻り」
夏樹が言う。優しい声だが、雍和は震えあがった。
『勘弁してくれよぅ……』
「ダメだよ。お前はマー君を守るんだ。老師からそう言いつかっているだろう?」
雍和は、夏樹を見て、真澄を見て、もう一度夏樹に目をやったが、舌打ちをすると真澄の体に戻った。
「夏樹さんはいいの?」
咄嗟に何を聞かれているのか理解できなかった。
「夏樹さんには、ユウ君に預けておきたい記憶はないの?」
「ああ……」夏樹は目を閉じて思い出す。自分の中の大切な記憶を。「そうだね……人間だったころの僕はろくな男じゃなかったんですよ。酒を飲んで、賭け事をして、女を抱いて、喧嘩をして。それはもう、好き勝手してました。でも、そうですね、ただ、ひとりだけ忘れたくない人はいました。今ではもう誰の記憶にも残っていないかもしれない人です」
夏樹は真澄の目を真っ直ぐに見た。
「マー君、キミに話していいですか? この世の過去と未来がぐちゃぐちゃに混ざった僕の記憶を与えれば、ユウ君は壊れてしまうでしょうから。記憶ではなく僕の言葉で伝えてもいいですか? キミが覚えておいてくれませんか? 忘れたくないあの人のことを……」
真澄が真面目な顔で頷くのを見て、夏樹は記憶の海に潜っていった。
【登場人物】
神護夏樹:勇真と真澄の大叔父。祖父の弟。寅三の甥。尸族。89歳。外見は20代前半。
神護真澄。勇真の兄。35歳。外見は7歳。尸族。
神護寅三:勇真の真澄の高祖父の三男。曾祖父の弟。尸族。111歳。外見は20代半ば。
神護勇真:主人公。33歳。神護家最後のひとり。
老師/尸皇:血種の祖。尸族を率いる。
【用語】
朱雀:中国の伝説上の神獣で四神のひとつ。
雍和:真澄が使役する妖獣。黄色い猿の姿で、赤い嘴と赤い目を持つ。




