72.悠久
【今回のあらすじ】
夏樹がかつて見た数多の過去と未来の中で、最も古い過去は宇宙開闢直後だった。
夏樹は外に出た。
一日中晴れたり曇ったりしていた空は、夕暮れを迎えるころには雲が厚く垂れこめ、今は細かな雨が降り始めている。
山の守りは崩れていない。老師の血が作り出している結界と、使霊の存在で守られており、奴霊も忌族たちも侵入できない。いまのところはまだ。
新たに未来や過去を見ることはできないが、今まで見てきた未来や過去の記憶が夏樹の中にはある。
夜明けまでここは安全なはずだ。かつて見た未来が確定したものであるならば。
寅三にはああ言ったものの、夏樹は自分の予言を警告と捉えて未来を変えることができる可能性はほぼ無いと思っている。不確定だった未来が、夏樹が〈見る〉ことによって確定されたのではないかと思うのだ。
自分は確定するために見させられていたのではないか。
それが老師が自分に求めた役割なのではないだろうか。
老師のことはよくわからない。何を考えているのか、彼の記憶を受け継いでいるにも関わらず理解できない。
あれは人ではない。
もともとは人であったようだが、血種になることで、人とは異なる存在に作り変えられている。
自分たちも人ではなくなっているが、老師ほど人とかけ離れてはいない。寅三も真澄も、そして忌族の面々も、あまりにも〈人〉であることを引きずっている。老師のようにはなれない。
夏樹が見た――見させられた――過去の中には、古い古いものすごく古いものがある。
138億年前。
宇宙開闢直後。
それが夏樹が見たもっとも古い過去だ。
宇宙のはじまりとともに〈それ〉はいた。
〈それ〉を定義することはできない。人類がまだ〈それ〉を認識していないからだ。
それはいうなれば〈種〉だ。宇宙のはじまりと共に生まれた種。
物質ではあるが、特異な存在であるため、人類にはまだ観測されていない。
人類から〈種〉を観測することはできないが、〈種〉は人類を観測している。人類だけでなく、〈種〉は物質世界のすべてを観測している。
〈種〉の観測が、不確定な宇宙を確定する。〈種〉がなければ宇宙は不確定な混沌となる。存在そのものが揺らいでしまう。
〈種〉は本来ひとつだが、同時にありとあらゆる場所に存在する。宇宙に偏在する〈種〉は、それぞれが個別の存在でありながら、同時にたったひとつの存在でもある。影と実体ではなく、それぞれが本体であり同時に影でもある。
地球にはふたつぶの〈種〉が降り立った。
それは神の降臨だった。
〈種〉の観測が、地球の環境を生物の生存に適するように整え、有機物を生み出し、生命を生み出した。
〈種〉は宿る。生命の中に。
そして、進化を促し〈観測〉に適した生物を生み出した。
夏樹は、自分の手首を見つめる。
薄く浮き出た血管の中にそれはいる。
〈種〉は血の中に住み、血液を媒介に自身を複製し、血液のやりとりで宿主を増やし、広がる。
血液の中に潜む〈種〉は、宿主の生存を守り、記憶を集め、伝える。
人間は、〈種〉がこの地球を観測するために作り出した乗り物だ。
〈種〉の目的は、観測することのみ。
観測に適した道具を作り出し、道具を駆使して観測を続ける。今までも、これからも。
〈種〉を宿す我々血種は、血の囁きをよく聞こうとさえすれば、自分たちが何者なのかわかるはずなのに、自分の心と思考にとらわれて、血の囁きを一部しか聞き取ることができない。
聞く気のない者には、血の囁きはまるで聞こえない。
自分たちは〈種〉に作られた道具に過ぎないのに、愚かにも自分が自分自身の主であり、自分の意志で己の人生を生きていると信じ、希望を抱き、迷い、あがく。
なんと悲しき道具だろうか。
夏樹は空を見上げた。
細かな雨が顔を濡らす。
この雲の上、広大な宇宙を動かし、宇宙を宇宙たらしめている法則は、雨に打たれるちっぽけな存在など意に介さない。
生命は、己の存在の継続を是とする。宇宙もまた、己の存続のみを求めるひとつの生命体だ。人は、この広大な生命体を構成する一部であることに意味を見出して喜ぶべきか、それとも宇宙の悠久には届くべくもない矮小な存在の空虚さを嘆くべきか……。
【登場人物】
神護夏樹:勇真と真澄の大叔父。祖父貴一の弟。尸族。かつて未来視だった。
老師/尸皇:血種の祖。尸族を率いる。
神護寅三:勇真と真澄の高祖父の三男。曾祖父総一の弟。尸族。
【用語】
使霊:尸族が操る霊体。白くてひらひら。
奴霊:忌族が操る霊体。黒くてどろどろ。
忌族:血種の一派。尸皇と袂を分かち、敵対する王に従う者たち。
血種:血の中に種を宿し、血を媒介に特殊な力を操る者たち。
種:血の中に潜み、世界を観測し、世界を確定する存在。




