68.欲求
【今回のあらすじ】
大勢のヴァンパイアに血を吸われ気を失った博貴は、公爵に運ばれる。
体が上下に揺すられている。
――気持ちが悪い。
意識を取り戻した博貴は、状況を確認するために体を動かそうとした。
「おいっ!」
怒声とともに、体をぎゅっと押さえ込まれた。
「暴れるな! 落っことすじゃないか」
公爵の声だ。
目の前に、礼服の襟と、そこからつながる首と顎の先がある。
博貴は、自分が公爵に抱かれて運ばれていることに気づいた。
「やめ……ろ……」
うめいて体をよじり、公爵の腕から逃れようと試みた。
「おい、待て!」
そこそこの高さから落下して、腰を打った。痛みが走ったが、床が分厚い絨毯だったため、怪我はなさそうだ。
「だから、暴れるなって」
公爵が手を差し出す。その手を払いのけて自力で立とうとしたが、力がまるで入らない。
――気持ちが悪い。頭が痛い。
公爵が、両手を腰に当て、呆れた顔でこちらを見下ろしている。
博貴は、立ち上がるのを諦め、床に手足を投げ出したまま天井を見上げた。
重厚な壁紙と、豪華な照明。明るすぎず、暗すぎもしない金色の光が、やんわりとあたりを照らしている。
公爵は、ため息をつくと、視界に割り込んできた。
「廊下に捨てていくわけにもいかないから、運ぶぞ」
やっかいなやつだ、と呟いて、公爵は再び博貴を抱き上げた。
公爵は、重さがないかのように、博貴を軽々と抱き上げて歩き出す。
背中の下に腕の筋肉の硬さを感じる。この男は見た目はそうでもないくせに、常識を超えたとんでもない筋肉をまとっている。
こいつの筋肉にかかれば骨など片手で簡単に折れる。面倒くさがった公爵が博貴の動きを完全に止める手段を行使する可能性に思い至り、抵抗することを諦めた。
公爵が大股でガツガツ歩くので、揺れが激しく正直怖い。
首に両腕を回してしっかりと掴まれば体勢が安定するのだろうが、それではまるで初夜の寝所に連れていかれる花嫁みたいなので、博貴は公爵の胸に頭を押し付け、ジャケットの襟にしがみつくことでなんとかバランスをとった。不本意この上ない。不本意だが、体を動かせない今はどうしようもない。
どれほど血を吸われたのだろうか。牙を刺された場所がヒリヒリと痛む。体中のありとあらゆるところに、その痛みがある。尊厳は地に墜ち、限りなくみじめで哀れだ。
――気持ちが悪い。頭が痛い。目が回る。
「もう少し、静かに歩いてくれないか?」
「あと少しだ。我慢しろ」
公爵はそっけない。
目の前に、公爵の喉がある。
――気持ちが悪い。頭が痛い。目が回る。喉が渇く。
目の前の浅黒い肌から、目を離すことができない。
――ああ、ひどく喉が渇く。
ひりつくような欲求が、我慢の限界を超えた。
襟を握っていた手を放して、首に伸ばす。
「よせ、あと少しだ。我慢しろ!」
公爵がたしなめるが、もう抑制がきかない。
首に腕を巻き付け、牙を立てた。
「ウッ……」
公爵はうめき、よろけた。
吸血に伴う官能の波に襲われているはずだが、それでも踏ん張り、博貴を落とさぬように抱え直すと歩き出した。呼吸が荒い。
「ちくしょう! クソがッ!」
熱い吐息とともに、いくつもの罵倒語をまくしたてる。
やがて公爵は立ち止まると、スイートルームの重厚な扉を蹴破った。
この男は、なぜいつもまともに扉を開けないのだろう。
リビングを駆け抜け、今朝早くに公爵自身が蹴破った寝室の扉を乗り越えて中に入ると、そのまま博貴と共にベッドに倒れ込んだ。
男に覆いかぶさられるのはまったくもって不本意だったが、それ以上に吸血の欲求が勝った。
公爵は、ありとあらゆる罵倒語を放ちまくっている。そうでもしなければ、官能の波に飲み込まれてしまうのだろう。博貴の前で乱れるのは公爵にとって屈辱に違いない。
博貴は、公爵が自分を押しつぶさないように両腕で体を支えていたことに気付いた。がさつで、力任せで、自分本位に見えて、こういう気遣いはする。なんともうざい男だ。
公爵は博貴の血は吸っても、今まで博貴に血を吸わせたことは一度もなかった。博貴も求めたことはない。公爵が吸血を許したということは、それだけ自分の状態が悪かったのだろうか。
博貴は、血を貪った。
そして、公爵の記憶が自分に流れ込んでくるのを感じた。
「おい、待て、なぜ……」
慌てて牙を抜くが、記憶の奔流に襲われ意識を失った。
【登場人物】
神護博貴:勇真と真澄の叔父。60歳。外見は30代前半。忌族。
公爵/オーレル:王の配下。忌族。金色の髪に褐色の肌をした、ハリウッドのアクションスターのような男。




