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血と絆 ~または記憶と祈り~  作者: 木庭七虹
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64.寅三-1

【今回のあらすじ】

寅三の過去。老師から記憶を与えられた寅三は、自我を見失う。

 神護寅三(かみごとらぞう)は、1914年、大正3年に神護慎一郎(しんいちろう)の三男として(せい)を受けた。

 当時一家は、信濃の山の上の大きな洋館で暮らしていた。屋敷に住んでいたのは、寅三と、父慎一郎と、母マツ、6歳年上の長兄総一(そういち)と、5歳年上の次兄雄二(ゆうじ)、4歳年上の長姉タエと、2歳年上の次姉ユキの、家族7人。そして、館の2階右翼の一番奥の部屋――決して行くなと言われている部屋――に住む、老師と呼ばれている老人だった。さらに、てきぱきとよく働くが、決してしゃべらない使用人が数人いた。

 寅三は、両親に守られ、兄姉と楽しく幸せな幼少期を過ごしていた。

 それが一変したのは満5歳の時だ。

 決して近づいてはいけないと厳命されていたあの2階の右奥の部屋へ連れていかれた。寅三の手を握る父の手は強く、寅三は痛みを感じるほどだった。


「老師、寅三を連れてきました」

 父が低い声で言った。父の緊張感が伝わってくる。寅三は(つね)とは違う何かを感じて怯えた。

 老師と呼ばれた老人は、(うなず)くと口を開いた。

「約束通り、総一を神護家の次期当主として守ろう。案ずるな、総一の命は余が保証する。成人したあかつきには、善き嫁を与えて多くの子を作らせよ」

 長兄は体が弱い。老師の言葉に父がホッとするのがわかった。

「雄二にも、子を作らせることだ。そう――女子をひとり」

「雄二に、子……?」

 父が驚くと、老師は不快げに眉を寄せた。緊張感が高まる。

「失礼しました……」

 父の声が震えている。

 老師は眉を開いて寅三を見た。

「そして寅三――」老師は、寅三に歩み寄り、顔を(のぞ)き込んできた。その視線が寅三を射抜く。「お前は、尸族(しぞく)として()(ささ)え、この家を守っておくれ」

 父が、はっと息をのんだ。


 ――尸族……。


 それが何かはわからないが、嫌な感じがした。この老人が恐ろしい。その老人の言葉も恐ろしいものに思えた。少なくとも良いものには思えなかった。

「お前を尸族に招き入れるのは、まだ先の話だ。今日は、お前に余の記憶を授ける。余の記憶はお前のしるべとなり、お前の進むべき道の助けとなるだろう」

 老師は小刀で指を切り、(したた)る血を寅三に向けた。

「飲みなさい」

 拒否したい。逃げ出したい。助けを求めて父を見上げた。

「寅三、老師の言葉に従いなさい」

 父は、まるで寅三が悪事を働いたかのように、(とが)めるような口調で言った。顔を(そむ)け、寅三の方を見ようともしない。

 逃げ場のない寅三は、目を固く(つぶ)り、差し出された血を飲んだ。


 寅三が意識を取り戻すのに半月ほどかかった。

 目が覚めたとき、幼子の脆弱(ぜいじゃく)な自我は隅に押しやられ、頭の中は老師の記憶に埋め尽くされていた。最初のうちは自分を尸皇(しこう)だと思っていたほどだ。

 本物の尸皇が根気よく教え導いてくれたおかげで、徐々に彼我の区別がつくようになっていった。

 自分が老師本人ではないことを認識できるようになると、今度は尸皇ではない自分はいったい何なのかという疑問が生じる。

 自分はいったい誰なのか――。

 そのことを考えると、急にすべてが曖昧(あいまい)になり、考えるほどに心が不安定になる。自分の名前は知っている。両親の存在も兄姉の存在も認識できており、神護家の一員であることもわかっている。だが、もっと根本的な部分で、自分が何者なのかがわからない。今こうして思考している自分の核が見当たらない。

 記憶の中で、自分はあくまでも尸皇なのだ。でも、尸皇本人ではないことはわかっている。尸皇ではない自分というのが、いったい何なのかがわからない。

 尸皇は、尸皇の記憶が寅三のしるべとなると言った。だから寅三は記憶を探る。自分が何者かを知るために。


 尸皇が自らの血を与え、尸族に引き入れた人間はこれまでに38人いた。そのうち37人に尸皇の記憶が与えられている。

 彼らは地球上のあちらこちらで尸皇と同じようにこの世界を〈見て〉いる。尸族が人間の社会に積極的に関わることは少ない。ただ時代の流れを見つめ続けている。どうやらそれが尸族の役割のようだ。

 尸皇は数十年に一度、世界中に散らばる尸族の元を訪れ、記憶の交換をする。尸皇は、彼らの存在と、彼らの働きにいつも大変満足している。


 しかし、なぜ観測をするのか、なぜ記憶を集めるのか、寅三にはわからない。寅三に与えられた記憶には、所々に穴がある。おそらく意図的に伝えることを()けたと思われる黒い穴が。

 他の尸族たちは尸皇と心をひとつに、与えられた役割を果たしているようだが、彼らと同じ働きを求められたとしても、寅三にはできそうにない。寅三には尸皇が求めているものがわからない。尸皇になりきれない。それは、完全な記憶を与えられていないせいなのだろうと、寅三は思う。


 そんな自分は、尸皇にとっていったい何なのだろうか?

 尸皇は自分に何を望んでいるのだろうか?

 それとも、何も望んではいないのだろうか?

【登場人物】

神護寅三かみごとらぞう:勇真の高祖父の三男。勇真の曾祖父の弟。

神護慎一郎かみごしんいちろう:勇真と真澄の高祖父。寅三の父。

神護総一かみごそういち:勇真と真澄の曾祖父。勇真と真澄の高祖父慎一郎の長男。寅三の兄。

神護かみごマツ:勇真と真澄の高祖母。高祖父慎一郎の妻。寅三の母。

神護雄二かみごゆうじ:勇真と真澄の曾祖父総一の弟。寅三の兄。

神護タエ:勇真と真澄の曾祖父総一の妹。寅三の姉。

神護ユキ:勇真と真澄の曾祖父総一の妹。寅三の姉。

老師/尸皇しこう:血種の祖。尸族を率いる。


【用語】

尸族しぞく:血種の一派。血種の祖である尸皇に従う者たち。

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