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血と絆 ~または記憶と祈り~  作者: 木庭七虹
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62.疑念と不信

【今回のあらすじ】

寅三は、老師の行動にずっと疑念を抱いていた。

 寅三は、ずっと疑念を(いだ)いている。

 そう、昔から不思議だったのだ。

 なぜ、次兄ではなく自分が山への奉仕をさせられたのか。

 老師が一族を守ると言ったにもかかわらず、母とふたりの姉は震災で死なねばならなかったのか。

 なぜ妹は生まれてすぐに死んでしまったのか。

 なぜ次兄が軍人として戦地に(おもむ)くことを老師は阻止しなかったのか。

 なぜ甥と姪が空襲で死に、生き延びた夏樹(なつき)が山への奉仕を(うけたまわ)ったのか。

 なぜ博貴(ひろき)真澄(ますみ)を殺すのをみすみす許したのか。

 なぜ勇真(ゆうま)神護(かみご)家の秘密を知らぬまま生きることを許したのか。


 老師たったひとりで神護家に起こる不幸のすべてを救うことは無理なのだ、救いたくても救えなかったのだ、と言われればそうなのかもしれない。

 老師は実際、神護の家族の命を何度も救っている。今の医療ならばいざ知らず、明治や大正、昭和初期においては助かる見込みのない病や怪我を老師は治癒してくれた。寅三(とらぞう)と長兄と二人の姉も、スペイン風邪に罹患(りかん)して命が危うかったが老師に救われたと聞いている。

 老師はまた、確実に伸びる事業、確実にもうかる取引を当主にすすめ、廃れる事業や暴落する取引からは事前に手を引かせて、神護家に富をもたらし、戦時中や終戦直後ですら家族を飢えから遠ざけた。

 神護家を守護するという約束は、確かに果たされているかのように見える。老師と契約したことで、神護家は大きな利益を得ている、ように見える。

 父は家族が救われるたびに老師への信頼を深くし、富が蓄えられていくに従って老師を崇拝するようになっていった。

 父は、妻や子や孫の死を悲しみながらも容認した。彼らの死が、家から遠く離れた場所での出来事だったこともあり、老師にすら救うことができなかったのなら、仕方なかったのだ――と納得したのだ。

 しかし、寅三は得心がいかない。むしろ、先読みの力がある老師が、すべてを承知のうえで、生死を選択したのだというほうが納得がいく。老師の力を知っているからこそ、そう思う。

 守護すると言い、実際に救う姿を見せることで信用させ、その裏で老師は、神護の血を厳選し、不純物は排除し、より純粋なものへと培養していたのではないか。

 老師の計画の先にあるものが、現在のこの状態だとするならば、勇真こそが老師の目的であり、神護の血の完成品と言えるのかもしれない。老師はこの子に、いったい何を背負わせようとしているのか。


 寅三は老師の6000年の記憶を受け継いでいる。しかし、それは記憶のすべてではない。ところどころに黒い穴がある。老師があえて寅三に伝えなかったものがあるのだ。

 隠蔽された記憶――それはおそらく神護家の血にまつわる部分と、老師の存在自体に関するものだ。

 老師は6000年生きている。だがそれは老師の〈(せい)〉のすべてではない。老師が尸皇(しこう)となる前がある。尸皇となる前の記憶は真っ黒なもやに包まれており、寅三には(のぞ)くことができない。

 老師が、奉天(ほうてん)の戦場で慎一郎(しんいちろう)を見つけた時、老師の心を満たしたものは〈なつかしさ〉と〈いつくしみ〉だった。老師の6000年の記憶の中には、その〈なつかしさ〉と〈いつくしみ〉をもたらした〈根源〉は見つからない。老師は慎一郎の血の中に、いったい何を、いったい誰を、見出したのか。それはおそらく、真っ黒なもやの先にあるのではないかと寅三は推測する。


 寅三は、勇真の髪を()でていた手をゆっくりと頬から(あご)へ、そして、首に移動した。


 このままこの子を殺したら、老師はどうするだろうか?

 どんな顔をするだろうか――?


 そんな嗜虐(しぎゃく)的な思考が浮かぶ。寅三は苦笑して手を離した。

 勇真の首に寅三の指の(あと)が付いている。寅三はその赤い痕にそっと唇を当てた。頸動脈の拍動を感じる。命の鼓動だ。この鼓動を絶つのはたやすい。


「ダメですよ、寅三さん」

【登場人物】

神護寅三かみごとらぞう:勇真の真澄の高祖父の三男。曾祖父の弟。尸族。111歳。外見は20代半ば。

次兄:神護雄二かみごゆうじ。勇真と真澄の曾祖父総一の弟。寅三の兄。

母:神護かみごマツ。勇真と真澄の高祖母。高祖父慎一郎の妻。寅三の母。関東大震災で死亡。

ふたりの姉:神護タエと神護ユキ。寅三の姉。母と共に関東大震災で死亡。

妹:神護スエ。寅三の妹。生後すぐに死亡。

甥:神護修治かみごしゅうじ:勇真と真澄の祖父の弟。夏樹の兄。寅三の甥。太平洋戦争の空襲で死亡。

姪:神護春江かみごはるえ:勇真と真澄の祖父の妹。夏樹の妹。寅三の姪。太平洋戦争の空襲で死亡。

神護夏樹かみごなつき:勇真と真澄の大叔父。祖父の弟。寅三の甥。尸族。89歳。外見は20代前半。

神護博貴(かみごひろき):勇真と真澄の叔父。忌族。60歳。外見は30代前半。

神護真澄(かみごますみ)。勇真の兄。35歳。外見は7歳。尸族。

神護勇真かみごゆうま:主人公。33歳。神護家最後のひとり。

老師/尸皇しこう:血種の祖。尸族を率いる。


【用語】

山への奉仕:尸族となって老師に仕えること。

スペイン風邪:1918~1920年ごろパンデミックを起こしたA型インフルエンザ。

奉天の戦場:日露戦争の戦場。勇真の高祖父が尸皇と出会った場所。

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