41.博貴-9
【今回のあらすじ】
博貴の過去。博貴は、老師に敵対する王の配下である忌族として蘇る。
この感覚は知っている。血種の血を注がれたのだ。
寅三の血から得た記憶の中に、同じものがあった。
自分の体の表面が硬くなり、中身がどろどろに溶けてゆく。
溶けて、混ざり合い、そして再構築されていく。血種という人ではないものに、博貴の体は変化していった。
脳もドロドロに溶けているはずなのに、思考は続いていた。
博貴は疑問に思う。兄と勇真を斬りつけ、真澄を橋から突き落としたときのあの殺意は、いったいどこから来たのだろうかと。あれは本当に自分の感情だったのだろうかと。
神護家は滅ぶべきだという思いは変わらない。しかし、平然と手にかけてしまったあの時の異常な心の昂ぶりは、あまりにも自分ではなかった。
斬りつけたときと、突き落としたときの感触を思い出すと、おぞましさと恐ろしさに吐き気がする。自分が犯した罪に心が押しつぶされそうになる。
人として当たり前のそうした感覚が、あの時は消え去っていた。
あの少し前、老師に血を吸われている。その際に老師が何かをしたのではないか。自分の感情をコントロールされていたのではないか。そんな疑惑が浮かぶのだが、それは、自分がやらかしてしまった事実を受け止めきれず他に責任転嫁したいだけなのかもしれない。老師がそんなことをする意味がない。神護の子らを生かしはしても殺させようとするはずがない。
わからない。
自分という人間がわからない。
いや、もはや人間ですらなくなろうとしている自分を、どう捉え、どう扱えばよいのだろうか。
やがて、硬い殻が割れ、博貴は外に出た。
プラチナブロンドにアイスブルーの瞳を持つ女が、真っ赤な唇に笑みを浮かべて待っていた。
「ようこそ、王の一族へ」
フランス語だとわかった。言葉の意味もわかった。日本語に翻訳されるのではなく、フランス語をフランス語として理解できている。習ったことなど一度もないのに。
唐突に、女が博貴の首筋に噛みついた。
女の血を介して情報が伝わってくる。
博貴を拉致して血種に変えたのは、王と名乗る男を長とする一団だった。
老師から血を与えられて血種になったにもかかわらず、王は老師と袂を分かち独自の道を行くことを選んだ。
その王と、王の血を授けられた血族。
老師は、自分たち尸族と区別するために、彼らを蔑んでこう呼んでいた。
忌族――と。
リゾートホテルのスイートのベッドで、伯爵とともにまどろんでいた博貴は、いきなりドアを蹴破られて飛び起きた。
壊された扉の前に立っているのは、ガタイがよく見目もよい、金色の髪に褐色の肌をした、ハリウッドのアクションスターのような男だった。公爵と呼ばれている。またはオーレルと呼ばれることもある。王の側近のひとりだ。
「王のご来臨だ」
公爵が言った。
「王が、ついに戦いを決意しちゃったみたいだよ」
公爵のあとから入ってきた男が言った。
赤銅色の髪をして、ひょろりとした体つきの、憎めない顔立ちの男だ。彼は男爵と呼ばれている。またはキュイヴルとも。
博貴は、ベッドから降り、放り投げていたバスローブを素肌に羽織る。
王が来る――。
尸皇を倒すために。
尸皇こそが博貴をこの地獄に叩き落とした張本人だ。
自分を血種に引き入れた王にも恨みはあるが、そもそも老師さえいなければ、神護家は普通の家庭であり、博貴が兄を殺す必要はなかった。真澄を殺す必要もなかった。勇真の命を狙う必要もなかった。
王は、倒すことなど不可能だと思っていた老師を滅ぼしてくれると言う。
ならば、今だけは恨みを忘れて、丁重に出迎えねばなるまい。
「王を出迎える支度を!」
博貴は、黒服たちに命じた。
【登場人物】
神護博貴:勇真と真澄の叔父。忌族。
神護寅三:勇真と真澄の高祖父の三男。曾祖父総一の弟。博貴の大叔父。尸族。
兄:神護真悟。勇真と真澄の父。博貴の兄。
神護勇真:主人公。博貴の甥。
神護真澄:勇真の兄。博貴の甥。
老師/尸皇:血種の祖。尸族を率いる。
王:博貴を血種にした男。忌族の王。血種の祖である尸皇と袂を分かち、敵対している。
伯爵/アルジェーン:王の配下。忌族。
公爵/オーレル:王の配下。忌族。
男爵/キュイブル:王の配下。忌族。
【用語】
血種:血を媒介に特殊な力を操る者。
尸族:血種の一派。血種の祖である尸皇に従う者たち。
忌族:血種の一派。尸皇と袂を分かち、敵対する王に従う者たち。
袂を分かつ:行動を別にする。
ご来臨:「来る」のものすごく丁寧な言い方。
黒服:忌族が使役するゾンビ。




