35.博貴-3
【今回のあらすじ】
博貴は、曾祖父慎一郎の記憶を受け入れる、
「優美……」
「その子は誰?」
「お姉ちゃん……じゃないのか。ボクの……いとこ……? 山鹿優美」
「他には?」
「お兄ちゃん。名前は神護真悟。お母さんは神護紀子、お父さんは神護貴一。ボクは……ボクは神護博貴……だ」
今初めて目が覚めたかのように、博貴は周囲を見回した。
木の天井と壁と床。観音開きの窓が開いていて、白いカーテンが揺れている。外からけたたましい蝉の声が聞こえてくる。
木製のベッドの白い布団の上で博貴は寝ていた。
「寅三……」と呼んでから、この人は自分の子供ではなく、大叔父なのだと思い直す。「大叔父さん」
寅三はにっこりと笑った。
「大丈夫そうだねぇ」
博貴のおでこを優しく撫でる。
「ゆっくりでいいから、頭の中のひいおじいちゃんと自分を区別したまえ。大丈夫。みんなちゃんとやってるんだから、ヒロ君にもできる」
「もし、できなかったら?」
恐る恐る訊くと、寅三は愉快そうに笑った。
「みんながキミのことを、慎一郎おじいちゃんって呼ぶだけだよ」
笑いごとじゃないと、博貴は思った。いくらなんでも5歳でおじいちゃんと呼ばれたくない。
「キミはまだマシだよ。私の時なんて、いくら初めてだったからとはいえ、いきなり老師の6000年分の記憶を注ぎこまれたんだよ?」寅三はわざとふてくされたような顔を作って言った。目は笑っている。「よく気が狂わなかったものだと自分でも思うよ」
聞いてぞっとした。6000年?
「老師も懲りたらしく、キミには必要になるまで自分の記憶を渡さないと言っていたから、安心したまえ」
それは安心していいことなのか?
慎一郎の記憶を与えられた博貴は知っていた。兄は長男として神護の家を継ぐが、自分は尸族となって一族を守らなくてはならないのだと。
尸族になることが決まっている自分は、やがて6000年分の記憶を注ぎこまれることになるのか……。
「それは、大丈夫なもの、なんですか?」
こわごわ尋ねる。
「少なくとも私は大丈夫だったけれどね。夏樹は御覧の通り能力が暴走して自我が壊れて、ああなっちゃったからねぇ」
寅三は苦笑した。
「大丈夫かどうかはキミ次第だと思うよ。自分の記憶をしっかり分けて自分のものとしてとらえることができれば大丈夫さ」
キミなら大丈夫、大丈夫、と笑う寅三を信じるしかない。他に聞ける経験者はいないのだから。
自分を取り戻すのに3日ほどかかった。
だが、もう自分と曾祖父を取り違えて混乱することはない。
これで家に帰れるのかと思ったら、寅三がにっこりと笑って言った。
「じゃあ、私の記憶を渡そうかねぇ」
博貴は寅三の血を飲まされ、ふたたび混乱と回復の日々を送った。
「キミはまだいいさ。夏樹があんなで、夏樹の分の記憶を渡すわけにいかないから、ふたり分だけだもの。キミのお兄さんなんて、ひいおじいさんと、おじいさんと、お父さんの3人分の記憶を老師から授けられているんだぜ。5歳で3人分の人生を経験してるんだ」
寅三は、肩をすくめて、やれやれという感じに首を振る。
兄の真悟があんなにも大人びている理由を理解した。
神護の子供たちは、みな、祖先の記憶を与えられ、普通の人が手探りで初めての人生に挑んでいくなか、実質2周目3周目の人生を生きている。
これが老師が約束した加護のひとつであることを博貴は理解した。
2度目なので、寅三の記憶は、曾祖父の時よりも簡単に分類できた。寝込んだのもわずか1日だけだった。
寅三の記憶は、切なく、悲しく、孤独だった。
彼の孤独は、血縁をすべて失った曾祖父慎一郎の孤独とは、また別種のものだった。普通の人間であることを捨てた者にしかわからない孤独。血縁どころか、人間という種から断絶された孤独。
それでも寅三は、その孤独に耐えて、神護の一族を守ると決意した。唯一繋がることができる絆が神護家という血統だけだったからだ。
この先、自分が成長し、尸族に加われば、寅三の孤独も少しは慰められるだろうかと博貴は思った。
【登場人物】
神護博貴:勇真と真澄の叔父。
山鹿優美:勇真と真澄の母。山鹿は旧姓。真悟と博貴のいとこ。真悟の妻。
神護真悟:勇真と真澄父。博貴の兄。
神護紀子:勇真と真澄の祖母。曾祖父総一の弟雄二と曾祖母房子のひとり娘。祖父貴一のいとこで妻。真悟と博貴の母。
神護貴一:勇真と真澄の祖父。曾祖父総一の長男。真悟と博貴の父。
神護寅三:勇真と真澄の高祖父の三男。曾祖父総一の弟。博貴の大叔父。
神護慎一郎:勇真と真澄の高祖父。博貴の曾祖父。
老師/尸皇:神護家を守護する神を名乗る老人。
神護夏樹:勇真と真澄の大叔父。祖父貴一の弟。博貴の叔父。
【用語】
尸族:血種の一派。




