30.伯爵-1
【今回のあらすじ】
人間であったころ、伯爵は絶望から、ただ一人愛した男をその手で殺した。
薄暗いベッドの上で、博貴は眠れずにいた。
同じベッドで背中合わせに伯爵が眠っている。
体中のあちこちに伯爵の牙の痕が残っていた。微かに痛むが、痛みも噛み痕もじきに消えるはずだ。
これは彼女の孤独と寂しさの証だ。愛する男と200年前に別れた女の悲痛な叫びであることを博貴は知っている。
王に血を与えられ血種として蘇った直後、まだ血種の能力のこともわからず、記憶の流出をコントロールする術も知らなかった博貴は、伯爵に吸血された。
誰にも知られたくなかった博貴の過去を、血と共に飲み干した伯爵は、博貴の頬を撫でながら言った。
「あんたは、わたしと同じ悲しみに生きてるのね」
伯爵の憐れむような目に、博貴は怒りを覚えた。
「お前に何がわかる!?」
怒鳴りつけ、怒りのまま首を絞めた博貴に、伯爵は自分の血を飲ませた。そして博貴は、伯爵の過去を知ることになる。
1800年代ナポレオン皇帝時代のフランスで、彼女はひとりの男に恋をした。
フランス革命中に亡命した旧貴族である父は、ナポレオンの即位後、帰国を許され、皇帝への忠誠と引き換えに復職した。幸い父は有能な行政官であり、ほどなく伯爵位を授与された。
男は父の部下であり、もとの身分は低かったが、能力の高さからみるみる頭角を現していった。父への面会を求めて屋敷を訪れることもたびたびあった。男は彼女をアルジェーンと呼び、柔らかな笑みを向けてくれた。彼女の髪の色にちなんだ白銀と、彼女の名前であるジャンヌをくっつけてアルジャンヌと呼んでいたのが、親しみを込めて語尾を変化させていくうちに、いつしかアルジェーンになった。
彼がアルジェーンと呼ぶとき、ジェーンの部分を少し舌足らずに発音するのが彼女は好きだった。彼が言うジェーンを聞くたび彼女の心はうずいた。いつも甘い微笑みと優しさを惜しむことなく振りまく男に、まだ17歳だったアルジェーンは、どうしようもなく惹かれていった。
募らせた想いの苦しさに耐えかねて父に心を打ち明けた。男は父のお気に入りの部下だった。だから、娘の願いを喜んで聞いてくれると思っていた。
しかし、父は怒りをにじませ、言下に否定した。「あの男は、平民だ」
生粋の貴族ではない男のもとに娘を嫁がせることなどできないと言い、さらに追い打ちをかけるように告げた。「あの男の結婚相手はすでに決まっている。ダストル男爵の息女だ。男爵もあの男の能力を買っていてな」
アルジェーンは、父を罵り、泣きつき、すがりついたが、いつもは娘に甘い父が、頑として言うことを聞いてくれなかった。
次に男が伯爵邸を訪れたとき、彼はいっさい彼女のほうに目を向けなかった。笑みも見せてくれない。アルジェーンは、絶望で自分の未来が真っ黒に塗りつぶされるのを感じた。
その日、父は別の客人の応対をしていた。男はそれが終わるのを待っていた。アルジェーンは、使用人に命じて男を庭に呼び出した。父が庭で話があると言っていると偽って。
いぶかしがりながらも庭に出てきた男の胸に、アルジェーンは短刀を突き立てた。驚き、突き放そうとする男にアルジェーンは囁いた。
「一緒に死んで」
男は抵抗するのをやめた。手が彼女を抱きしめるように伸ばされたが、届かぬまま体が倒れる。胸からあふれる大量の血が、地面を染めていく。
誰かのものになるはずの男を、自分だけのものにする方法を、アルジェーンはほかに思いつかなかったのだ。男の胸を切り裂き心臓を取り出すと、まだ温もりの残るその臓器に噛みつき、飲み下した。
【登場人物】
神護博貴:勇真と真澄の叔父。60歳。外見は30代前半。
王:血種の王。博貴を血種にした男。
伯爵:王の配下。銀髪にアイスブルーの瞳を持つ美女。
【用語】
血種:血を媒介に特殊な力を操る者。




