11.悲涙
【今回のあらすじ】
勇真は、やっと両親のことを想って涙を流すことができた。
両親の死を知らされてから、ずっと独りだと思っていた。
兄弟もなく親族もなく、誰も頼る相手がいない。すべて自分ひとりでやらねばならないと思い込んでいた。
ひとりで抱え込むなよ――。
友人のその言葉が心にしみこんでくる。
凍える大地に暖かな焚火を見つけたような温もりを得て、自分の心をガチガチに囲い固めていた氷の塊がボロボロと剥がれ落ちてゆくのを感じた。
嗚咽が漏れた。
ずっと泣くまいと思っていた。泣いたとき、その涙は両親のための涙ではなく、自分を憐れむ涙であることを知っていたからだ。
だが、今、勇真は己に自分自身を想って泣くことを許した。
恐れや不安や寂しさを涙とともに押し流したあと、瞼の裏に両親の姿が浮かんだ。
激怒されたことも、泣かれたことも、言い争ったこともあったはずなのに、思い浮かぶのは笑顔だけだった。何気ない日常の中で自分に向けられた母の微笑みと、声をたてて笑う父の姿が胸の中にあふれてやまない。
いつのころからか、勇真は両親との間に壁を感じるようになっていた。父に避けられているような、疎まれているような、冷たくあしらわれているような、そんな感覚があった。母はときおり、不安そうな目を向けてきた。それが居心地悪かった。だから家を出てからは、滅多に実家に戻らなかった。
しかし、今思い出す両親の顔は、どれも慈しみにあふれている。
結局、自分が勝手に両親との間に壁を作っていただけなのかもしれない。そうと気付いても、謝ることができない寂しさ。
勇真はやっと、父母を想って涙を流すことができた。
翌日、仕事の合間に周佑の父親に連絡をとり、次の土曜日に事務所を訪ねる約束をした。
提携している司法書士がいるから相続関連の手続きは全部任せてもらってかまわないと、頼もしい声で言ってくれた。
勇真の家の財産はかなりのものらしい。実家のあの土地のほかに、賃貸に出している土地建物、銀行預金、証券類などなど、概要を聞いて驚いた。
祖先から受け継いだ家こそ大きかったが、裕福だったのは家を建てた曽祖父の代までで、今の我が家はごく普通のサラリーマンの家庭だと思っていた。金銭的に不自由することこそなかったが、まさか資産家だったなどとは思いもよらなかった。信州方面に、山をひとつ持っていると聞いて、勇真はむしろ呆れて、笑ってしまった。
考えてみれば、ワンルームとはいえ、都内のマンション一部屋を、息子にポンと買い与えるようなことを、普通のサラリーマンであればできたかどうか。
家の資産については考えないようにしていた。神護家を自分が継いではいけないと思い込んでいたからだ。父は勇真が継ぐことを望んでいない、と勇真は感じていた。
父も母も、神護家の資産について勇真に語ったことは一度もない。ほのめかすことすらなかった。継ぐべきではないものならば、知る必要もない。むしろ知らないほうが幸せだろうと思っていた。しかし、いざそのときが来てみれば、勇真は神護家のただひとりの生き残りで、すべてを受け継ぐべき立場にあり、唯一その権利を持っている。父の遺言でもあれば別だが、相続してはいけない理由はどこにもない。
いきなり降って湧いた財産に、勇真は自分がどうなってしまうのか見当もつかなかった。浮かれて身を持ち崩してしまうのか。それとも、父のように愚直に働き続けるのか。
そもそも父は、なぜ、あんなにも真面目に勤めあげたのだろう?
一生食うに困らぬ資産があるならば、あんなに働く必要などなかったのではないか。せめて早期退職でもしていれば、母とふたりでもっと人生を楽しめたのではないか。やっと出掛けた夫婦水入らずの旅行で死んでしまうこともなかったのではないか。別のルートの人生を選べたのではないのか、と思ってしまう。
勇真は、考えてもなんの役にも立たない思索の沼に、自分がはまりかけていることに気が付いた。その沼から逃れるため、現実を見ろ、現実だけを見ろ、と自分に言い聞かせる。しかし、その現実がどんなものかといえば、両親が死んで天涯孤独の身となり、不可解な出来事が起こり、莫大な財産を受け継ごうとしている。
「あまり、現実味がないな……」
呟き、苦笑する。
とにかく、周佑の父親に会って話を聞く。考えるのはそれからでいいと、一旦思考を放棄した。
【登場人物】
神護勇真:主人公。33歳。IT企業に勤めるサラリーマン。
周佑:河合周佑。勇真の友人。33歳。小中高校と同じ学校に通う。
周佑の父親:河合浩一。神護家の税務を担当していた税理士。
【用語】
司法書士:土地登記や会社設立など、各種の法律手続きを行う国家資格。




