10.友情
【今回のあらすじ】
事件後、日常に馴染めないままの勇真のもとに、友人から連絡が入る。
実家から電車を乗り継いで約3時間。調布市の、京王線の駅に近いワンルームマンションに勇真は住んでいる。
大学に入ったときに父が買ってくれたものだ。感謝すべきところだが、まるでもう帰ってくるなと言われているようで、当時は素直に受け入れることができなかった。
が、今ではここの環境の良さがすっかり気に入っている。都内とはいえ、どこか長閑な空気が漂うところも、職場のある新宿駅まで徒歩と電車合わせて30分ほどとアクセスが良いところも満足している。勇真にとっての〈家〉とは、いつしかあの広く薄暗い実家ではなく、このこぢんまりした明るいマンションの一室になっていた。この世で唯一安らげる場所だ。
1週間ぶりに戻った〈家〉には、あの日何も知らずに仕事に出掛けた朝の、雑然とした日常がそのまま残っていた。
翌日から出勤した。
勇真の身に起こった出来事を知っているだろうに、誰もそのことについて話しかけてこなかったし、噂話をされている気配もなかった。本当に何も知らないのではないかと錯覚するほど、あまりにもいつも通りの職場の様子だった。
上司に1週間の忌引きの礼を伝えたとき、もごもごと「大変だったね」というような意味の言葉をかけられたのと、葬儀の担当支社を紹介してもらった提携会社の社員に礼を伝えたときに丁寧にお悔やみの言葉をもらったが、それだけだった。
それでも、完全にいままでどおりというわけでもない。
同じ空間で生活していながら自分だけが異なる次元に住んでいるような、日常という名の向こう側とは、見えるが越えられない透明なフィルムでさえぎられた別世界にいるような、そんな奇妙な感覚がまとわりついていた。だがそれは、周りが変化したわけではなく、勇真自身の心の中の問題なのだろう。
朝起きて仕事へ行き、部屋に帰って眠れない夜をやり過ごす。あと何度繰り返されるかしれない明日を待って、今日という時間をつぶすだけの暮らし。本当はやらねばならないことがあるはずだが、今はまだ向き合うだけの気力がなかった。
そんなある日曜日、何もかもが億劫で、いつまでも布団を被ったまま、ぼんやりとしていた勇真の元に、LINEの音声通話が入った。
河合周佑。
画面に表示されたのは、小学校から高校まで同じ学校に通っていた腐れ縁ともいえる相手の名前だった。
「よっ!」と、いつも通りの気軽さで呼びかけてくる。「ヒマだったら、久しぶりにスマブラでもやらないかと思ってさ」
屈託のない笑顔が見えるような声だった。
神護家の悲劇は地元で話題になっているだろうが、あまりにも普段通りのしゃべり方に、もしかすると本当に何も知らないのかもしれないと思った。
それで少し心が緩む。知らないのであれば、こちらもいままでと同じ距離感で付き合うことができる。
「いいよ。やろう!」
つとめて明るい声で応じた。
ときどき、あの不可解な出来事を含め、すべてを誰かに話すことができれば、少しは心が軽くなるのではないかと思うのだが、実際に目にした自分ですら信じられない出来事を、いったい誰が信じてくれるだろうか。
親友であっても、やはり話すことはできないな、と勇真は寂しさと共に思った。
LINEで通話を続けながら、Switchを起動する。
「Switch2は買えたか?」
周佑が訊いてくる。声が笑っている。
「まだだ。そっちは買えたのか?」
「へっへっへぇ~」
自慢気に笑う周佑。
「ちっくしょう!」
勇真も笑う。形だけ笑う。
周佑の持ちキャラはカービィ。勇真はガノンドロフ。
腕前は互角で、勝ったり負けたりするのが常だったが、今日は周佑にまったく勝てない。
負けが続くとさすがに少し熱くなる。次第に鬱屈も忘れてゲームに没頭していく。
何戦目かにやっと、あと少しで勝てそうだというところまできた。あと一発加えることができれば、勇真の勝ちだというところで、カービィがガノンドロフを場外に吹き飛ばす。戻ろうとしたが、上空から特攻されて、ふたり一緒に落下。
「ちょっ! お前ッ‼」
勇真が思わず叫ぶと、周佑が爆笑した。
「くっそ!」
残機のない周佑の負けなのだが、悔しい。こちらの力でねじ伏せて、勝利をもぎ取りたかったのに、それより前に相手の自爆によって勝たされてしまった。勝ったのに悔しく思うなんて理不尽だ。
「やっと、らしい声になったな」
笑うのをやめて、周佑が言った。
「なあ、ひとりで抱え込むなよ」
優しさがにじむ声に不意打ちされた。
込み上げてくるものを感じ、勇真は慌てて感情を飲み込んだ。
「うちの親父が心配していたよ。お前の親父さんの税務を担当していたから役に立てるだろうって。連絡先を教えるから、時間のあるときにでも連絡してみてくれよ」
「うん。ありがとう」
やっとそれだけ伝えて通話を切った。
こらえきれずに両手で顔を覆う。
LINEに周佑の父親の名刺の画像が送られてきた。
〈河合税理士事務所 税理士 河合浩一〉
【登場人物】
神護勇真:主人公。33歳。IT企業に勤めるサラリーマン。
河合周佑:勇真の友人。33歳。小中高校と同じ学校に通う。
【用語】
Switch:任天堂のゲーム機。据え置きと携帯の2種類の使い方ができるところが画期的。
Switch2:Switchの後継機。2025年6月5日発売。物語の時点(2025/07)では入手困難。任天堂ショップの抽選に外れる人たちの嘆きがSNSにあふれていた。男子フィギュア金メダリストの宇野昌磨選手の落選ポストにみな励まされた。金メダリストも落選じゃ自分が落選しても仕方ないw
スマブラ:スマッシュブラザーズ。任天堂のゲームソフト。任天堂のキャラが勢ぞろいして互いに叩き潰しあう。ひどい。
ガノンドロフ:任天堂のゲームソフト「ゼルダの伝説」シリーズのキャラ。いかにも強そうなごっついオジサン悪役。
カービィ:任天堂のゲームソフト「星のカービィ」シリーズのキャラ。丸い体に丸っこい手足、吸い込んだものを吐き出して攻撃したり、飲み込んだものコピーしたりする。ピンクで可愛い。ピンクの悪魔とも。




