(8/8)バーを超えて
オレはその日、出会って初めて中原さんの心臓の音を聞いた。叶うならば半年前に戻って。あの静かな会議室で。オレに恋する中原さんの心臓の音を聞いてみたかった。
いつのまにか2人でうとうとしてしまったらしい。気づくともう夕方だった。
電気つけないとー。
そういや半年前ここで照明の丸型蛍光灯を見ながら片思いが辛くて泣いたっけ。
オレは今の幸せを蛍光灯に見せつけてやることにした。中原さんの左頬にキスすると彼女が目を覚ました。
「起こしちゃった?」
「うーん。完全に寝てたわー」
「ヨダレついてるよ?」
「ゲッ本当だ!」
拭いてあげる。
「もうさー。夕方だからさー。今日は夕飯まで食べていけるんでしょ」
「うん。いけるよ!」
「じゃあ近所の商店街においしい定食屋があるからそこ行こう」
「行こう! 行こう! アタシ生姜焼き定食!」
「それ看板商品だよ」
中原さん「やったー!」って両手をあげた。
「それでさぁ。来週はカレー作らない?」
「いいねぇ。アタシ豚肉派ー」
「オレ牛肉派だわ」
「合わないねー」
「辛さはどうする?」
「アタシげきからー」
「オレはあんまり辛いのは……中辛くらいで」
「じゃあさ! 両方作ろうよ! 野菜は一緒に煮て牛肉と豚肉は別々に炒めて鍋を2つ用意して味も別々にして」
「いいねー。平和だ」
「福神漬けとラッキョウも添える?」
「本格的だねー」
「あっそうだ!」中原さんは『いいこと思いついた!』という顔をした。
「キムチをトッピングするとメッッチャうまいよ!」
「またキムチかい!!」
「騙されたと思ってやってみなよー」
「いや……オレは……カレーとキムチって辛味に辛味を合わせる発想がわかんない」
「マジでおいしいんだってー」と力説するがその手には乗らない。絶対別々に食べた方がいい。
片思いは辛いね。だって叶わないから。片思いは苦しいね。忘れることすらできないから。
でも。
例えば棒高跳びは助走しなければ飛べない。
いきなりバーの前に立って、飛んでみたところでバーを超えることはできない。
棒高跳びは、思いっきり助走して、ポールをバーの前に突き刺して、力一杯踏み込んでポールの力で高く飛び上がって。
バーを超える。
1秒も片思いできなかったら、助走もできない。
2人で思いっきり助走するんだ。チャンスが来たら力一杯ポールを地面に突き刺す。ポールの力で2人で思いっきり高く飛び上がる。
そしてバーの向こうに飛び込んで2人でマットの上に落ちる。新しい世界だ。
無意味な片思いは存在しない。
(終)
お読みいただきありがとうございました。
【次回作】は『地獄のように気が利く男』です。
『地獄のように』気が利く花沢光彦に振り回される中原紗莉菜。戦慄のホラー(?)コメディ(!)とにかく気が利きすぎて怖い。中原さんはどうするのか。coming soon
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☆☆コメディ【文芸】日間53位☆☆