智謀の士
白濁した蒸気が左右へと流れ去り、重厚な装甲扉が完全に開放された。
そこに広がっていたのは、要塞の心臓部『中央戦術統制室』。
無機質な円形空間の全周を覆う無数の立体ホログラムモニターには、世界各地の戦局データと、この要塞内の惨劇がリアルタイムで映し出されている。
その部屋の最奥、何百本もの光ファイバーケーブルが脳に直接接続された高台の座に、その男はいた。
【クエーサー】。
クローン兵群を生み出し、人類を十年間泥沼の地獄へと突き落としてきた「異形の者」の智謀の士。整った容姿の内に冷酷無比な知性を宿し、白い軍服を纏った男は、優雅に脚を組んだまま、入ってきた「たった一人の生存者」を滑稽そうに見下ろした。
「ほう。人間ごときが、よくここまで来られたものだ」
クエーサーの声は、ガラスを鳴らすように冷たく、透き通っていた。
対峙するくつくの姿は凄惨そのものだった。
左肩の肉は抉れ、パワードスーツの装甲はズタズタに破砕されている。全身を濡らしているのは己の血だけではない。あらがねの、わたぬきの、うりわりの、そして直前に己の手で撃ち抜いたほずみの血。
無数の仲間の命を擦り減らし、泥と硝煙にまみれて辿り着いた、ただひとりの鬼。
ジジッ……ザザザッ……!
その時、部屋のスピーカーと、くつくの途切れかけたインカムから同時にノイズが弾けた。
「全軍……応答せよ……こちら作戦司令部……! 第101、204、302を含む投入全十二小隊……生命反応消滅……! 重幹部『タイタン』『プロメテウス』『イージス』を含む七体の『異形の者』が、要塞中枢へ向けて転進を開始……!」
「繰り返し……全滅だ! 幹部群の到達まで……あと十五分! 十五分後に本拠点へ到達する!!」
絶望のカウントダウン。
他部隊は全員死滅。そして、人類の通常兵器では傷一つ付けられない幹部七体が、この最奥へと押し寄せてきている。
「聞こえたかい? 人間?」
クエーサーは薄い唇を吊り上げ、嘲笑するように肩をすくめた。
「君の仲間たちが命を捨てて稼いだ時間はすべて無意味だ。あと十五分でこの部屋は私を含む幹部八名によって埋め尽くされ、君は痕跡すら残さず噛み砕かれる。……君たちの足掻きは、最初から完全な敗北へと至る決定事項なのだよ」
クエーサーは高台からゆっくりと立ち上がり、右手を静かに掲げた。
その皮膚が蠢き、先端から白銀の生体触手群がうねり出る。
「さあ……無駄死にした愚かな仲間たちの元へ送ってあげよう」
だが、くつくの瞳からは、光一つ失われていなかった。
絶望も、恐怖も、タイムリミットの焦りすらも存在しない。異常収縮した黒目の奥にあるのは、世界すべてを焼き尽くす純粋な殺意の結晶。
くつくは懐の中の四つのドッグタグを強く握り締め、両手に武器を構えた。
右手には、あらがねが遺した特殊弾の詰まった『Type-9 サバイバー』。
左手には、ほずみが遺した再生阻害ナイフ『ハーベスト』。
「……十五分あれば十分だ」
くつくの低く地獄の底から響くような呟きとともに、最後の死闘の幕が上がった。
「仲間を全員失い、骨を折られ、腹を貫かれ……たった一人で何ができる?」
クエーサーは冷酷な笑みを浮かべ、白銀の生体触手を死線のように解き放った。
無数の触手が空気を引き裂き、弾丸を凌駕する速度でくつくへ突進する。
「一人じゃない……!」
くつくは叫び、痛みを忘れた肉体で前進した。
迫る触手の渦をかいくぐり、くつくの視界が一点を捉える。クエーサーの胸部――そこに、わたぬきから受け取ったエネルギーコアを投げつける。くつくはサバイバーを構え、エネルギーコアを打ち抜いた。
ズバババババンッ!
「グァッ……!?」
エネルギーコアの爆発に巻き込まれ、クエーサーの肉体が弾け飛ぶ。一度目の死を与えた。だが、瞬時に肉体が復元していく。傷口から紫色の細胞組織が溢れ出し、外骨格を覆って立ち上がった。
「無駄だと言ったはずだ!」
装甲化したクエーサーの速度が急上昇し、残像を残してくつくの死角へ回り込む。生体刃がくつくの太腿を深く切り裂いた。くつくは膝をつきかけるが、倒れない。
彼の左手が掴んだのは、腰のホルスターに忍ばせていた、うりわりが爆破の瞬間に遺した『指向性爆弾の未起爆破片』。
くつくはそれをクエーサーの足元へ投げつけ、ゼロ距離でサバイバーの弾丸を叩き込んだ。
ドガァァァンッ!
至近距離での爆炎。衝撃波がくつくの肋骨を数本叩き折るが、クエーサーの変異した下半身は完全に粉砕され、二度目の死を迎えた。
「ガァ……アァァァッ!」
崩れ落ちたクエーサーの肉体が、三度目の蘇生を始める。心臓部を失いながらも、背中から巨大な骨格触手を爆発的に噴出させ、あらゆる物理攻撃を弾く暴走進化へと突入しようとする。肉体の再構成速度は初回の倍以上。
「そうはさせない……っ!」
くつくは爆風の中を滑り込み、クエーサーの復元されつつある再生器官のコアへと肉薄した。
左手に握られたのは、ほずみが血塗れの手で託した再生阻害ナイフ『ハーベスト』。
ガガガガガガガッ!
超振動刃を喉元から核へ刺し通し、細胞の再生機能を内部から不活性化させる。
「な……再生が、阻害されて……!?」
クエーサーの顔が初めて恐怖に歪む。肉体が暴走的な進化を完了できず、激しい不全を起こして全身から体液を噴出させた。
だが、智謀の士の執念もまた狂気であった。
不全を起こした肉体を強行駆動させ、巨体となったクエーサーの骨格腕が、くつくの右肩を容赦なく叩き潰す。
ゴキリと重い断骨音が響き、サバイバーがくつくの手からこぼれ落ちそうになる。
「死ねぇぇッ! 人間の分際でぇぇぇッ!!」
クエーサーの巨大化した顎が裂け、くつくの頭部を噛み砕かんと迫る。その口内には、細胞の全てを司る最奥の『生体脳幹』が丸裸になって露出していた。
「……あらがね」
くつくは折れた右腕の激痛を殺し、潰れた指先でサバイバーのグリップを固く握り直した。
薬室に装填されているのは、マガジンの先頭で鈍く輝く、たった一発の弾丸。
あらがねが自作し、己の命と引き換えに託した『対・異形の者 極限穿孔特殊弾』。
くつくは迫るクエーサーの巨大な口内――その核心へ向け、サバイバーの銃口を直接突き入れた。
「これが……俺たちの、最初で最後の一発だぁぁぁぁぁッ!!!」
引き金が、引かれた。
ズ・ドォォォォォォォンッ!!!
高密度超硬合金の極太の光線が、クエーサーの口内から頭蓋を突き抜け、要塞中枢の天井までをも貫いた。
再生阻害によって細胞の防御力を失っていたクエーサーの脳幹は、極限穿孔弾の超高圧エネルギーに耐え切れず、内部から完璧に蒸発・砕散した。
「……くっ、……この……私が……」
クエーサーの巨体が大きく一度だけ痙攣し、その瞳から完全に光が消え去った。
三度の死を超え、遺伝子崩壊を起こした肉体が、ついに灰褐色の汚泥となって床へ崩れ落ちていく。
沈黙。
クエーサーの消滅とともに、直前まで迫っていた敵幹部たちの足音とノイズが一斉に途絶えた。
要塞の全システムが停止し、無機質な静寂だけが部屋を支配する。
「ハッ……ハッ……ハッ……」
くつくは膝をつき、灰となったクエーサーの残骸の中に座り込んだ。
全身の傷口から血が溢れ、視界が急速に黒く染まっていく。
「……あ、あり得ん……。計算……修正値……すべて、最適……だった……はずだ……」
脳幹を蒸発させられ、灰褐色の泥へと変貌していくクエーサーの残骸。その中央で、不気味に明滅する核心器官の残片が、死に際のかすれきったノイズを絞り出していた。
「人ごときが……我らを……打ち破るなど……あり得ん……。この私の計画は……完璧だったはずだ……」
智謀の士と呼ばれ、数多の人間を冷徹な計算式によって磨り潰してきた男の最後の言葉となった。
ボシュッ……。
最後の発光が途絶え、コアが黒い砂となって霧散する。
クエーサーの完全崩壊。
その瞬間、要塞の全壁面を埋め尽くしていたホログラムモニターが一斉にノイズを吹き上げ、黒く鎮火した。
彼が生み出し、要塞全域と各戦線を支配していた巨大自動指揮ネットワークが、脳を奪われたことで完全に機能停止を起こしたのだ。
ジジッ……ザザザッ……。
途絶えていた広域通信インカムから、不鮮明なノイズとともに外界の音が途切れ途切れに流れ込んでくる。
「――全戦線へ! 敵の防衛ドローンおよびクローン群の動きが停止! 指揮系統の完全破砕を確認!」
「今だ! 全門開けろ! 一斉に打撃を与えろ! 重化学砲兵隊、第1から第8総砲座、射撃開始!」
「要塞中枢へ向けて広域焼却弾を叩き込め! 敵幹部ごとあの一帯を蒸発させろ!!」
ズドォォォォン……! ズドドドドドッ……!
はるか上空、外界の雲海を切り裂いて降り注ぐ、人類側の総反撃による超大量艦砲射撃と熱核焼却弾の地鳴りが響き始めた。
要塞の天井が激しく揺れ、極厚のコンクリートが悲鳴を上げて砕け散っていく。
指揮官を失い、その場に棒立ちとなったまま焼夷弾の火の海に呑まれていく異形の者のクローン兵の咆哮と、爆発の重低音。
人類はついに、十年の泥沼に終止符を打つ勝機を掴んだのだ。
静まり返る統制室の中央。
くつくは、その地鳴りを遠い世界の出来事のように聞きながら、冷たいコンクリートの床の上に力無く横たわっていた。
もはや、全身の痛覚すら消え去っていた。
折れた右腕、抉れた左肩、貫かれた腹部。命を繋ぎとめていた緊張感という糸が切れ、肉体という器から温かい血液と生気が、一滴、また一滴と容赦なく失われていく。
「……ハッ……、……」
かすかな呼気が、冷えた空気に白い霧をつくる。
くつくは残された左手の指先を猛烈な麻痺と戦わせながら、ゆっくりと懐へと伸ばした。
手繰り寄せたのは、四つの小さな金属片――血と硝煙に塗れた、仲間たちのドッグタグだった。
握りしめた金属の冷たさの中に、確かにあらがねの、わたぬきの、うりわりの、ほずみの温もりが残っている気がした。
誰も一人ではなかった。全員で、ここまで辿り着いたのだ。
要塞を揺らす砲撃の轟音が、遠く、遠くへと遠のいていく。
「……みんな……遅くなって、すまない……」
一筋の血が頬を伝い落ちるのを感じながら、くつくはゆっくりと瞼を閉じた。




