偽りの親友
うりわりが命と引き換えに穿った炎の道を駆け抜け、二人はついにクエーサーの居室を隔てる最後の重装甲扉の前へと辿り着いた。
煤と血煙に塗れた重厚な扉。その前で、ほずみは膝の震えを抑えつけながら、ハッキング用の端末を操作しようと手を伸ばした。
だが、アクセスポートに端子を差し込もうとしたその瞬間――。
シューッ……。
扉の脇の壁面から蒸気が噴き出し、暗がりの中から「一人」の人影が足音もなく姿を現した。
「……なっ!?」
くつくの足が死んだように凍りついた。
呼吸が止まる。収縮していた瞳孔が激しく揺れ、極限の緊張状態にあった脳が異様な錯覚を起こす。
影から歩み出てきたのは、ギリースーツを纏い、ギザギザの長距離狙撃ライフルを背負った男だった。
短く切り揃えられた髪。どこか遠くを見つめる冷徹で知的な眼差し。背が高く、小隊の中で最も姿勢の良かった男。
「……あら……がね……?」
くつくの喉から、かすれた声が漏れた。
地下回廊の崩落の中、命と引き換えに自分たちを先へ進ませ、プラズマの底へと消えたはずの親友。
「くつく……無事だったか」
その『あらがね』は、生前と寸分違わぬ穏やかで澄んだ声で呟いた。
くつくへ向けて見せる、ほんの僅かな苦笑いまで、本物そのものだった。
「遅くなってすまない。崩落の隙間から何とか這い上がってきた。……僕も、最後までお前たちと一緒に戦う」
歩み寄ってくる『あらがね』。
くつくの思考が凍結した。あり得ない。目の前で崩落に呑み込まれたのを見たはずだ。だが、その視覚情報も、声も、身に纏う空気すらも、彼の記憶にある『あらがね』そのものだった。
――違う。
理性では分かっていた。これが『異形の者』の八幹部の一角、『カメレオン』の遺伝子技術を用いた擬態型クローンであると。敵の心理の隙を突くために作られた、死者の顔を盗む悪質な罠であると。
だが――ほんの一瞬。
ほんの僅かな一瞬だけ、くつくの指先が、サバイバーの引き金の上で躊躇した。
親友の顔をした存在へ向けて、銃弾を撃ち込むことへの不可避の迷い。
そして、その一瞬の躊躇こそが、怪物の狙う最大の勝機だった。
「あらがね」の口元が、一瞬で狂気に歪む。
――サッ!
『あらがね』の腕の皮膚が生き物のように蠢き、一瞬で鋭利な有機装甲の生体刃へと変形した。狙いは、立ち尽くすくつくの喉元。
「くつくちゃんッ!!」
死角から飛び込んできたのは、ほずみだった。
彼女はくつくの身体を全力で突き飛ばし、自らの肉体をその身代わりとして差し入れた。
ドスッ……!!
湿った不快な衝撃音。
『あらがね』の刃が、ほずみの軽量医療アーマーを容易く貫通し、彼女の腹部を深く、背中へと突き抜けた。
「ガハッ……ッ! カハッ……!」
ほずみの口から、鮮血が噴き出す。
刺し穿たれた腹部から、赤黒い血液が滝のように溢れ出し、冷たいコンクリートの床を濡らした。
「ほずみーーッ!!」
くつくの絶叫が、回廊の静寂を切り裂いた。
「カハッ……っ……! くつく……ちゃん……!」
腹部を深く貫かれながらも、ほずみの瞳からは光が消えていなかった。
彼女は溢れ出る血を撒き散らしながら、両腕で『偽あらがね』の首と刃を抱きすくめるように力任せに拘束した。
「ギ……ガァァッ!?」
擬態クローン兵が異形の咆哮を上げ、刺さった生体刃を無理やり引き抜こうと蠢く。だが、ほずみは血塗れの歯を剥き出しにし、小柄な身体の全筋力を振り絞って怪物に喰らいついて離さない。
「迷わないで……っ! くつくちゃん、撃って!! 私と一緒に……このバケモノを撃ち抜いてっ!!」
「やめろ……やめろほずみッ!!」
くつくの視界が、血と涙で激しく歪んだ。
『Type-9 サバイバー』の銃口が激しく震える。
その射線の上には、擬態クローンの核だけではなく、それを死に物狂いで押さえつけるほずみの背中が重なっていた。撃てば、彼女の命を確実に奪う。
「お願い……撃って!!」
ほずみが吐血しながら、血走った眼でくつくを睨みつけた。
「私たちは……カレンダーの数字じゃない……! あらがねが、わたぬきが、うりわりが繋いでくれた命なの……! ここで立ち止まったら……みんなの死が……ただの無駄死にになっちゃうよッ!!」
「ガ……ガアァァァッ!」
擬態クローンの腕が変異し、ほずみの背中をさらに深く抉る。ほずみの顔から急速に生気が失われていく。
時間がなかった。あと数秒迷えば、ほずみは殺され、怪物は再びくつくへ襲いかかる。全員の死と、作戦の失敗。
「くつくちゃん……最後の一人になっても……絶対に……殺して……!」
ほずみの悲痛な叫び。
あらがねの最期の言葉が脳裏に重なる。
「……あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」
くつくは喉が引き裂けんばかりに絶叫し、サバイバーの引き金を叩きつけた。
ズババババババババンッ!!
高貫通弾の全弾バースト射撃。
至近距離から放たれた弾丸の奔流が、ほずみの薄い胸甲を穿ち、その肉体を貫通して後ろの擬態クローンの核を直接内部から破砕した。
グシャァァァンッ!
緑色の異形器官が爆ぜ、擬態クローンは悲痛な断末魔とともに急速に灰褐色へと崩壊していく。
そして――拘束を解かれたほずみの身体が、力なく糸の切れた人形のように床へと崩れ落ちた。
「ほずみ! ほずみッ!!」
くつくは銃を放り投げ、血の海の中へ飛び込んだ。
抱き起こしたほずみの体温は、驚くべき速度で失われていた。腹部と胸部に開いた凄惨な破砕孔から、命が休むことなく流れ出していく。
「……ほずみ、おい……! ほずみッ!」
くつくは己の手で傷口を強く押さえた。だが、傷口からは温かい血が容赦なく溢れ、くつくの両手を赤く染め上げていく。
「……くつく……ちゃん……」
ほずみはかすむ視界の中で、震える手をもがきながら伸ばした。
彼女の血塗れの指先が、くつくの手に「何か」を強く握り込ませる。
それは、彼女が衛生兵として肌身離さず持っていた特殊医療用ナイフ――『ハーベスト』。
本来は組織切除に用いられる超振動刃だが、彼女が密かに改造を施した、対象の細胞再生機能を一過性に完全不活性化させる『対・異形の者再生阻害ナイフ』であった。
「……クエーサーは……どんなに傷つけても……再生する……」
ほずみの声は、いまにも消えそうなほど掠れていた。
しかし、彼女の唇は――最後に、優しく、満足そうに綻んだ。
「これ……使って……。みんなの……仇……取ってね……」
「ほずみ……もう、喋るな!」
「……行って……くつくちゃん……。……先に……みんなのところで……待ってる……から……」
ほずみの手が、力無く床へと滑り落ちた。
瞳から光が失われ、その小さな身体から完全に脈動が消え去る。
八月一日。
小隊の誰もが傷ついたとき、その手で命を繋ぎ続けてくれた最後の同僚が、自らを盾として息絶えた。
「……あ……あぁ……」
静寂に包まれた重厚な扉の前で、くつくはほずみの骸を抱きしめたまま、静かに涙を流した。
声にならない慟泣。
一月一日。
四月一日。
六月一日。
八月一日。
カレンダーから、また一つ、愛すべき仲間の名前が消えた。
振り返れば、残されたのは自分一人。
血と硝煙と肉片が散乱する地獄の路の果てに、ただ一人取り残された『九月一日』。
くつくはゆっくりと立ち上がった。
泣き顔はもうなかった。感情は完全に削ぎ落とされ、その瞳には暗黒の炎のような、死すら超越した絶対の殺意だけが宿っていた。
右手には、あらがねの残した特殊弾を装填した『Type-9 サバイバー』。
左手には、ほずみが遺した再生阻害ナイフ『ハーベスト』。
ポケットには、死んでいった仲間たちの四つのドッグタグ。
カチャリ。
サバイバーのボルトを引き、薬室に最後の弾丸を送り込む。
くつくは血塗れの靴で、ほずみの血で染まったアクセスキーを拾い上げ、クエーサーの居室の重厚な扉の認証システムへと叩きつけた。
プシューッ……。
重苦しい駆動音とともに、最後の扉がゆっくりと開き始める。
白濁した蒸気の向こう側――冷酷な知性を宿した怪物【クエーサー】が待つ最奥の闇へと、くつくは躊躇なく足を踏み入れた。




