崩落する回廊
外郭ブロックを抜けた先に広がっていたのは、異様な建造空間だった。
要塞内部・地下三千メートルに位置する『中央崩落回廊』。かつて地殻変動を防ぐために建設された巨大な地下空洞を、クエーサーが改修して作り上げた防衛構造である。
幅五十メートル、奥行き数百メートルに及ぶ広大な空間。その中央を、一本の細い金属製の高所通廊が要塞中枢へと貫いている。左右と足元には、底の知れない漆黒の闇と、落ちれば肉体を骨ごと粉砕する高圧プラズマ配管の奔流が渦巻いていた。
「進め! 足を止めるな!」
わたぬきの怒声が響く。
だが、小隊の進行は最悪の形で阻まれていた。
前方からは、無数の警護クローン兵の群れ。外郭で遭遇した個体とは異なり、重装甲の外骨格を全身に纏い、高威力の電磁小銃を構えた戦闘特化型クローン兵が壁や天井を蠢きながら迫りくる。
さらに――。
ガガガガガガガガッ!
天井に敷き詰められた対地自動迎撃ガトリングタレットが、赤外線レーザーで小隊をロックオンし、掃射を開始した。
高所通廊の金属床が激しい火花を散らし、弾丸の雨が小隊の装甲を叩く。
「くそっ、キリがねえ! 迎撃兵器のハッキングはできねえのか!」
うりわりが全身の重装甲で弾丸を弾き返しつつ、ガトリング砲で天井のタレットを撃ち落としていく。しかし、破壊されたタレットの隙間から、即座に次の砲塔が自動排出されてくる。完全な自動化・無人化された要塞の殺戮システム。
「無理です! 司令AIはクエーサーの思考パターンと直結しています! 外部からの介入は遮断されているわ!」
ほずみが壁面の制御パネルにデータ端子を突っ込みながら悲鳴を上げた。
そして――絶望は、前後から挟み込むように襲いかかった。
地鳴りのような重低音が、崩落回廊全体を震わせる。
後方――自分たちが通り抜けてきたばかりの導水路の隔壁が、巨大な爆発とともに爆砕された。
煙の中から姿を現したのは、追撃のクローン兵群だけではない。要塞内部の自律防衛システムが作動し、天井や壁面の支持構造を爆破し始めたのだ。
ドガァァァンッ! ボカァンッ!
「……敵は、この回廊ごと我々を葬る気だ!」
あらがねが素早く振り向き、ライフルを構え直した。
頭上の巨大なコンクリートブロックが破砕され、轟音を立てて落下してくる。高所通廊の後方が砕け散り、プラズマの底へと消えていく。退路は完全に断たれた。
それだけではない。
前方の崩落も激しさを増していた。頭上から降り注ぐ何百トンという岩塊と鉄骨が、要塞中枢へと続く唯一の進行ルートを容赦なく押し潰し、埋めていく。
「前方のルートが埋まるぞ! 急げ、駆け抜けろ!」
わたぬきが過熱型バスターを構え、迫る岩塊を焼き払おうとエネルギーをチャージする。
しかし、追撃の波はあまりにも苛烈だった。
前方からの重装甲クローン兵が高所通廊にしがみつき、自爆覚悟で小隊の脚を掴みにかかる。くつくが『Type-9 サバイバー』を乱射し、超振動ナイフで腕を切り落とすが、泥のように群がる敵を払いきれない。
「ぐっ……離せッ!」
くつくの足に、半ば装甲化しかかったクローン兵が喰らいついた。
もたつけば、頭上から落下する数トンのコンクリート塊の下敷きになる。かといって、強行突破を図れば、後方から迫る膨大なクローン兵の波に飲まれ、小隊は全滅する。
前進も、後退も、留まることすら許されない。
高所通廊の軋む悲鳴と、崩落の轟音が回廊を支配していた。
「……くつく」
激しい硝煙と狂騒の狭間で、低く澄んだ声がくつくの耳に届いた。
あらがねだった。
彼は迫りくる後方の敵群を見つめたまま、スコープからゆっくりと目を離し、静かにくつくの肩へ手を置いた。その手には、震え一つなかった。
「……何をしてる、あらがね! 急げ、道が塞がるぞ!」
くつくは叫びながら、足に喰らいついたクローン兵の頭部を叩き割り、前方の崩落ポイントへ向けて足を踏み出そうとした。
だが、あらがねの手はくつくの肩を掴んだまま、微動だにしなかった。
あらがねは前進しようとはせず、ゆっくりと背後の追撃部隊――迫りくる数十頭の重装甲クローン兵と、頭上の支柱爆破ポイントを見据えていた。
「ダメだ、くつく。全員では渡り切れない」
あらがねの声は、恐ろしいほど平穏だった。
落ちてくる岩塊とプラズマ配管の爆発音の中、彼の視線だけが静寂を保っていた。
「後方の追撃をここで完全に食い止め、頭上の崩落天井を直撃させて通路を封鎖しなければ……僕たちは中枢に辿り着く前に、後ろから背中を喰い荒らされる。しんがりが必要だ」
「ふざけるな!」
くつくはあらがねの胸甲を力任せに掴み引き寄せた。瞳孔が異常収縮し、狂気じみた光を放つ。
「しんがりだと!? ここで死ぬ気か!」
「くつく少尉、手を離せ」
わたぬきの冷徹な声が割り込んだ。
彼女の右眼の戦術インプラントが、崩落の計算数値を淡々と表示している。
「あらがねの判断は正しい。これより先、一秒の停滞も許されん。……あらがね中尉、任せる」
「隊長、無茶言わないでください!」ほずみが悲痛な声を上げる。「あらがねさん、私……私のナノマシンを使えば――」
「ほずみ、医療資源を無駄にするな。……うりわり、隊長とほずみを頼む」
あらがねは二人を優しく制し、最後にくつくを見つめた。
いつもの、冷徹な仮面の奥に見せる、ほんの僅かな苦笑。
「お前はいつもそうだ、くつく。泥にまみれて、一人で全部抱え込もうとする。……だがな、最初の一歩を踏み出すのは、いつだって『一月一日』の役目だろ?」
あらがねは自らの愛銃『ヘヴンズ・ピアサー』の薬室を手慣れた手つきで開放した。
カチリ、と硬質な金属音が響く。
弾倉から押し出されたのは、通常の高圧電磁弾ではなかった。弾頭に複雑な極超高密度超硬合金が埋め込まれた、彼が自作した世界にただ一発しか存在しない対『異形の者』極限穿孔特殊弾。
あらがねは、その一発の弾丸を静かに抜き取ると、くつくの手に握られた『Type-9 サバイバー』の予備マガジンの最上部に、滑らかな手つきで直接装填した。
カチッ。
銃弾がマガジンに収まる冷たい感触が、くつくの指先から脳髄へと伝わる。
「……あらがね、これは……」
「僕の作った最後の弾丸だ。極超高密度のコアが、いかなる有機装甲も、再生細胞も穿つ。……僕の代わりに、そいつをクエーサーの頭に叩き込め」
あらがねはくつくの肩を強く突いた。
くつくの体が前方の高所通廊へと弾き飛ばされる。
「行け! くつく!」
「あらがね!!」
くつくが手を伸ばす。だが、その視界を遮るように、あらがねは振り返り、ヘヴンズ・ピアサーを構えた。
その銃口が向けられたのは、迫りくるクローン兵の群れではなく――彼らの真上、回廊全体を支える巨大な『中央荷重結合関節』であった。
そこに一発叩き込めば、何万トンもの岩盤とコンクリートが崩落し、追撃路は完全に永久封鎖される。
そして、そこに立つあらがね自身もまた、その崩落の底へ呑み込まれる。
「みんな……くつく……絶対にクエーサーを殺せ。任せたぞ」
あらがねの口元が、最後に満足そうに綻んだ。
ズドォォォォォォォンッ!!
ヘヴンズ・ピアサーが、本日最大の光と咆哮を放った。
超高熱の電磁光線がメイン・トラスを根元から蒸発させる。
瞬間、天が落ちてきた。
轟音。地響き。覆い尽くす巨大な岩盤と鉄骨の濁流。
追撃のクローン兵たちが悲鳴を上げる隙すら与えられず、何千トンというコンクリートの塊の下敷きとなり、潰されていく。
その崩落の渦の中心、光と煙の向こう側で――あらがねのシルエットが、静かに崩壊する床とともに暗黒のプラズマの底へと落ちていった。
「あらがねぇぇぇぇぇぇぇっ!!!」
くつくの絶叫が、崩落の轟音に掻き消される。
崩れてくる岩塊が二人の間を完全に隔て、激しい土煙と破片が視界を白く染め上げた。
ドガァァァンッ……!
静寂。
通路は完全に岩盤で埋め尽くされた。後方からの追撃音は消え去り、ただガラガラと崩れる小石の音だけが空しく響く。
くつくは血の滲む拳で、埋まった岩塊を叩きつけた。
強化外骨格の装甲が割れ、指先から赤い血が溢れ出す。だが、岩はピクリとも動かない。
「くつく! 立つんだ!」
うりわりが強引にくつくの首根っこを掴み上げ、強行軍の体勢へと引き戻した。その豪快な男の目にも、太い涙の筋が伝っていた。
「立ちやがれ! あらがねの命を無駄にする気かッ! 奴が命がけで繋いだ『最初の一発』がお前の手にあるんだぞ!!」
くつくは胸元に抱えた『Type-9 サバイバー』を見つめた。
マガジンの先頭で鈍い光を放つ、高密度超硬合金の特殊弾。あらがねの手の温もりが、まだそこに残っているような気がした。
「……あいつは……俺に……」
くつくは歯が砕けんばかりに噛み締め、血と泥の混じった顔を上げた。
瞳孔は完全に限界まで収縮し、冷徹で狂暴な殺意がその眼光に宿る。
一月一日が、己の命と引き換えに『始まり』を刻んだ。
なら、自分が止まることなど許されない。最後の一人になろうと、この身が粉々に砕け散ろうと。
「……行くぞ」
くつくは低く絞り出すような声で言い、前方の闇へと走り出した。




