連星の限界
「ズズ……ズズズズズズズズ……ッ!」
大地が、空間が、そして大気そのものがミシリと不気味な悲鳴を上げた。
三度の死と暴走を経てなお再生を繰り返したタイタンの細胞は、もはや生物という枠組みを完全に踏み外していた。
かつてマーズが命と引き換えに穿ち、吹き飛ばした右腕も、アースとルナの精密狙撃によって穿たれた胸部の重力核も、もはや再生されることすらない。増殖を重ねた異常生体細胞が過密な自己崩壊と超高密度圧縮を極限まで繰り返し、直径数十メートルに及ぶ「漆黒の重力塊」へと変貌を遂げていたのだ。
歩く超質量。生きた疑似ブラックホール。
ただそこに存在するだけで、周囲の何重もの岩盤が消し飛ぶように削れ、空気の屈折率が異常に狂い、空から注ぐわずかな光すらも歪んで黒い渦の中へと吸い込まれて消えていく。
「ガ……ギギ……ガガガガッ……!!」
タイタンの核から発せられているのは、もはや生物の咆哮ではなく、空間そのものが引き裂かれる凄絶な軋み音だった。
周囲に転がる巨大な瓦礫、へし折れた鉄骨、そして先に散っていった仲間たちの機体の残骸までもが無差別に渦へと引き寄せられ、逃げ場のない高重力の密室の中で砕かれ、粉々に噛み砕かれて死の質量へと変換されていく。
完全なる暴走。世界を平坦な焦土と死の星へ変えるまで決して止まらない、歩く超質量の災厄。
「はぁ……はぁ……っ……!」
アースの駆る重装甲機『アース・シールド』のコクピット内は、鳴り響く赤い警告表示と散らす火花に包まれていた。
誇りであった重装甲バリアの大部分は微粒子となって砕け散り、機体フレームは目に見えて歪み、脚部を固定していた油圧アンカーシステムは完全に沈黙。操縦桿を強く握りしめるアースの全身の骨が、迫り来る超重力干渉の前にミシミシと激しい悲鳴を上げていた。
一人、また一人と倒れ、姿を消していった大切な仲間たち。
真っ先に逝ったマーズの威勢の良い怒号も、ネプチューンの冷徹な毒舌も、ジュピターの包容力に満ちた言葉も……もう、どこからも聞こえない。
残されたのは、自分と、そして己の背後に身を寄せるルナだけだ。
「アース……! 機体のシステムが……もう……っ!」
通信機越しに途切れ途切れに聞こえるルナの声は、激しい怯えと絶望に震えていた。
遠方で狙撃体勢を取る彼女の機体も、すでに限界を遥かに超えていた。アースの重力場という「絶対の防波堤」が削れて弱まったことで、タイタンの発する超重力波がルナの機体へと直接襲いかかり、細身の機体フレームがギギギと壊滅的な音を立てて撓んでいる。
「ルナ……落ち着け……! 息を整えろ!」
「嫌……嫌だよアース! 私一人じゃ……私一人じゃ、もう二人の軌道を維持できない……! アースの重力がないと、私は……狙撃なんてできないよ……っ!」
半狂乱になって泣き叫ぶルナ。
地球と月。潮汐ロック(潮汐同調)という絶妙な重力バランスによって強く結ばれた二人の関係は、どちらか片方の軌道が欠ければ一瞬で崩壊する。
アースが限界を迎えて倒れれば、ルナはタイタンの重力に呑み込まれて一瞬で押し潰される。だが、ルナが撃てなければ、アースはタイタンの圧倒的質量の前にいずれ押し潰される。
互いを深く想い合っているからこそ、互いの命が目に見えて削れていく残酷な現実が、二人の心を容赦なく苛んでいた。
「ルナ……俺の重力場は、もう長くは持たない」
アースは血で染まった顔を上げ、前方で黒い渦を巻きながら迫る巨大な災厄を見つめた。
胸の奥深く、燃え上がるように灯る熱い決意。それは隊長としての責任感や義務感を遥かに超えた、一人の男としての、愛する女を死んでも守り抜くという絶対の覚悟だった。
「だけどな……お前を……ルナを死なせるくらいなら、俺の命なんていくらでも突っ込んでやる」
「やめて……! そんなこと言わないでアース! 二人で一緒に帰るって……言ったじゃない……!」
「ああ、帰るさ。……二人で、この地獄の焦土を終わらせてからな」
アースは力尽きかけた機体の重力制御ユニットの全セーフティを叩き割り、限界を超えたオーバードライブモードへと切り替えた。
機体全域が限界突破の蒼い光を放ち、破砕された装甲の隙間から激しい火花とスパークが舞い散る。
太陽系最強の巨獣にして、人類を絶望の淵へ突き落とす『タイタン』の最終変貌。
残された二人の命を懸けた、最後の決戦が始まろうとしていた。




