チェックメイトの静寂
ゴオォォ……と、限界を迎えたスラスターが虚しい排気音をひと吐きし、そのまま沈黙した。
吹き荒れていた死の雨はいつの間にか上がり、重く垂れこめていた暗雲の切れ間から、うっすらと透明な残照が差し込んでいる。
直前まで目の前に立ちはだかっていた絶望的な怪物――『カメレオン』の姿は、もうどこにも存在しない。4度目の完全撃破(完全抹殺)。細胞の一片すら再生を許されず、黒い異形は灰となって冷たい風にさらさらと流され、崩壊した街の瓦礫の中へと消えていく。
異形の完全消滅。
対擬態・特殊戦術班『ギャンビット』の完全なる勝利だった。
「……勝った……よ……」
掠れた微かな声が、焦げた装甲と血の匂いが立ち込めるコックピットにぽつりと落ちた。
限界を超えて稼働し続けたクイーンの脚部フレームが金属疲労で悲鳴を上げ、ガシャリと音を立てて膝から崩れ落ちる。
プシューッと白い蒸気を排気口から吹き出し、急速に機能を停止していく機体。操縦桿を激しく握りしめていた彼女の指先からは、とっくに感覚が消え失せていた。
全身を無数の結晶針に穿たれた傷口から、温かい血が止まることなく溢れ出し、操縦席の座面を重く赤黒く濡らしていく。
右目の網膜ディスプレイはビショップのスコープごと焼き切れ、完全な暗闇しか映し出さない。残された左側の視界も、薄い血の膜と浅い呼吸の揺らぎによって白く霞んでいた。
彼女は震える左腕をゆっくりと伸ばし、足元に倒れ伏す二人の遺体――ナイトとビショップの冷たくなった肩へ、そっと指先を重ねた。
冷たい。金属のように冷え切っている。だが、たしかにそこに命を燃やし尽くした仲間がいた。
「ビショップ……ナイト……見てた……?」
何も映らない虚空を見つめながら、クイーンの血塗られた唇が力なく綻ぶ。
「私は……最後まで……倒れなかったよ……。二人との……約束……果たしたよ……」
自分ひとりが倒れなければ、チームは負けない。
『クイーン』という最強の駒であり続けなければならないと、ずっとその肩に重圧を背負って走り続けてきた。
だが本当は、自分ひとりの力で勝ったわけなどではなかった。
ナイトが命を賭して身体を固定し、強引に作ってくれた絶対の間合い。
ビショップが脳を焼き切ってまで遺し、幾何学の死角を示してくれた照準データ。
自分はただ、仲間たちがこの命懸けの盤上に捧げた最善の手の跡をなぞり、キングを討ち取ったに過ぎないのだ。
(みんなで……勝ったんだ……)
冷え切っていく胸の奥がじんわりと温かくなるのと引き換えに、抗うことのできない強烈な睡魔と冷気が全身を侵食していく。
胸元に残された通信機からは、依然としてノイズすら聞こえてこない。本部からの救援も、他戦域からの交信も、いまの彼女にはどこか遠い世界の出来事のように思えた。どれほど過酷な指令が下ろうと、どれほど不条理な宿命が待ち受けていようと、もう彼女たちの戦いは終わったのだ。
もう、一人で背負うべき重圧も、無理に立ち上がらなければならない理由もなかった。
「……みんな……ちょっと……休むね……」
クイーンの手が静かにナイトの肩から滑り落ち、操縦桿の上へと力なく倒れ込んだ。
視界を覆っていた僅かな光が消え去り、意識が静かな闇の底へと沈んでいく。
プツン、と機体の全電源が落ち、完全な静寂が戦場を包み込む。
血の海の中に座したまま、クイーンはゆっくりと瞼を閉じ、二度と目覚めることのない深い眠りについた。
彼らの払った凄惨な「犠牲」は、人類を脅かした大異形『カメレオン』を確実にこの世から抹消していた。
黒く煤けた装甲に、茜色の夕陽が優しく降り注ぐ。
崩れ落ちた巨大なビル群の影の中、静寂だけが三人の命の残響を抱きしめていた。
冷たい風が吹き抜ける中、すべてを懸けて戦い抜いた兵士たちを、静寂と茜色の残照だけが優しく包み込んでいた。




