見えない影
焦土と化した都市のビル街に、冷たいノイズが響いていた。
崩落した高架下、ひび割れたアスファルトを灰色の雨が濡らしている。かつて数十万の人間が暮らしていたはずの街並みは、いまや巨大な墓標の列でしかなかった。
「……こちら第四中隊! 応答しろ、救援はまだか! 敵は――敵は味方の顔をして――っ!?」
通信機から吐き出された悲鳴は、鋭い肉裂く音とともに突如途切れた。直後、通信の奥から聞こえてきたのは、先ほどまで助けを求めていたはずの男の、軽やかで艶やかな「声」だった。
「あら、残念。もう全滅しちゃった。ねえ、そっちの小隊も早く助けに来て――」
ノイズが混じり、合成音のようにバグる声。
通信を聞いていた特殊戦術班『ギャンビット』の面々は、誰も動じない。
「通信遮断。ID照合不能。……完全に『奪われて』いますね」
崩壊したビルの三階、影に潜む男――ビショップが、長大な高精度スナイパーライフル『アーク・ビショップ』のスコープ越しに呟いた。薄いレンズの奥で、彼の冷徹な瞳が視界を分析していく。
「光学迷彩、および熱源偽装。さらには声帯模倣による心理誘導。……不快な敵です」
「フン、味方のツラしたバケモノか。胸糞悪い真似をしてくれるぜ」
瓦礫の陰で大型の近接砕岩斧を肩に担ぐのは、巨漢の兵士ナイト。粗暴な口調とは裏腹に、その視線は細かく周囲の死角を警戒している。
「……惑わされるな。敵の狙いは我々の連携を乱すことだ」
小隊の先頭に立ち、二丁の汎用高出力サブマシンガンを構える女性――クイーンが、低く静かな声で言い放った。
『ギャンビット』の隊長であり、この部隊の絶対的エース。全方位への機動力を誇る強化装甲を身に纏う彼女の背中は、どんな絶望的な戦場であっても決して揺らがない。
「我々は『ギャンビット』。盤上を支配するのは我々だ。……カメレオンを炙り出す」
その瞬間、雨の音に混じって、路地裏から小さな足音が聞こえた。
「た、たすけて……! 誰か、誰かいませんか!?」
泥にまみれた救護兵の制服を着た少女が、胸を押さえながらよろよろと姿を現す。恐怖に怯え、涙を流すその顔は、どう見ても過酷な戦場に取り残された無力な人間にしか見えない。
「待て、ナイト!」
ビショップの制止を聞くより早く、少女が救援を求めてクイーンたちへ手を伸ばす。
「助けて、隊長さん……!」
少女の唇が笑みを形作った――その一瞬前。
ドンッ!
閃光と爆音が炸裂した。
クイーンの脚部推進ノズルが爆音を上げ、彼女の身体は直前までいた場所から消失していた。縦横無尽、全方位への超高速跳躍。旋風のごとき踏み込みとともに、少女――カメレオンの擬態の目前へと肉薄する。
「なっ――」
「甘い」
クイーンは一切の躊躇なく、二丁の銃口を少女の眉間へ叩きつけた。
ズババババババンッ!!
至近距離からのフルオート掃射。少女の頭部が砕け散ると同時に、その肉体がドロリと黒い粘液状の細胞へと解け、幾重もの刃を備えた強靱な『異形』の姿へと変貌する。
「チッ、見破られたか……!」
男とも女ともつかぬ歪んだ声を上げ、カメレオンは背中の光学迷彩を展開。一瞬にして風景の中に姿を消し、クイーンの死角――真上からの急襲を試みる。
「逃がすかよっ!」
不意に、障害物を飛び越えるような不規則な軌道で、ナイトが死角から跳躍して割り込んだ。大型の斧の一撃が空気を切り裂き、不可視となったカメレオンの刃を強引に弾き返す。
「死角から襲えば安全だと思ったか? 俺の軌道は読めねえよ!」
ガキンッ!と金属音が響き、姿を乱したカメレオンの影がわずかに空中に浮かび上がる。
「ビショップ!」
クイーンの鋭い号令。
「言われずとも――斜角射撃、完了しています」
遥か後方、ビショップの放った高エネルギー貫通弾が、建物の壁を貫通し、計算し尽くされた角度からカメレオンの右脚を正確に撃ち抜いた。
「グアァッ!?」
姿を現し、アスファルトへ転がり落ちる異形。
変幻自在の擬態と偽情報で人類を追い詰めてきた怪物『カメレオン』の前に、完璧な陣形を組んだ『ギャンビット』が立ちはだかる。
クイーンは着地し、冷徹な眼差しで銃口を敵へ向けた。
「我が小隊の前に、偽りなど通用しない。……チェックメイトの準備を始めよう」




