絶望のルール
要塞外郭の地下導水路。
カビと腐敗臭、そして焦げたタンパク質の臭いが充満する暗闇を、小隊は音もなく疾走していた。
「――来ます」
先頭を走っていたくつくが、左手を上げて隊を静止させた。
バイザーの暗視モニターに、複数の赤色熱源反応が浮かび上がる。導水路の奥、湿った闇の中から、規則正しい足音が近づいてきていた。
ギィ……ガチ……。
姿を現したのは、人間と同じ形状をした『何か』だった。
皮膚は蒼白で毛髪はなく、目は濁った灰色。服は着ておらず、裸の肉体には遺伝子操作の痕跡である奇怪な縫い目とシリアルナンバーが刻まれていた。
『異形の者』の幹部【クエーサー】が生み出した、劣化版クローン兵の群れである。
「前方、敵影六。……クローン兵だ」
「排除する。弾薬の消費を最小限に抑えろ」
わたぬきの指示が終わるより早く、あらがねの『ヘヴンズ・ピアサー』が不気味な低音を響かせた。
――ズゥン!
青白い電磁光線が暗闇を切り裂き、最前線にいたクローン兵の頭部を一瞬で蒸発させる。首から上が吹き飛んだ肉体が、ドサリと崩れ落ちた。
しかし――。
「……来るぞ! 警戒を怠るな!」
くつくが叫ぶ。
頭部を失ったはずのクローン兵の体が、あり得ない角度で跳ね起きた。
断ち切られた首の断面から、気味の悪い紫色の細胞組織が急速に増殖を開始する。肉体が泡立ち、一瞬のうちに頭部の形状を『再構成』していく。それだけではない。傷口を中心に皮膚が黒く変質し、金属光沢を帯びた『有機装甲』へと変化していく。
『異形の者』の特性――死の回避と、戦闘中の適応進化。
「ギァァァァアアアッ!」
頭部を装甲化させたクローン兵が、人間には不可能な速度で踏み込んできた。一瞬前とは比較にならない機動力。踏み出された足が足元のコンクリートを砕く。
「させるかよぉッ!」
うりわりが前へ躍り出た。
ガトリング砲が火を噴き、重金属弾の嵐が狭い導水路を埋め尽くす。
ドドドドドドドドドッ!
猛烈な掃射が装甲化したクローン兵の胸部を打ち抜き、心臓を破壊する。
二度目の死。クローン兵は膝をつき、血の泡を吹いて倒れた。
だが、倒れたのは一瞬だった。
胸の風穴が瞬時に塞がり、今度はその全身から骨のような突起が突き出す。三度目の復活。スピードはさらに増し、肉体そのものが肉弾戦用の兵器へと変貌を遂げていく。
「これが『異形の者』のクローン……劣化版でこれかよ!」
くつくは前方へ跳躍すると、右手の『Type-9 サバイバー』を連射しながら肉薄した。
頭部へ三発。装甲を打ち破り、脳髄をぶちまけさせる。これが三度目の破砕。
即座に左手に握った超振動ナイフを突き出し、クローンの喉元から脳幹へと深く突き刺し、凶悪な振動で内部を粉砕した。
四度目の破砕。
――ビクビクと激しく痙攣し、ようやくクローン兵の細胞が限界を迎え、黒い灰となって崩れ去った。
「ハッ……ハッ……!」
くつくは荒い息を吐きながら、ナイフを引き抜いた。
たかが劣化版のクローン一体を完全に沈めるために、三人がかりで連続四回の死を与えなければならなかった。この消耗率の高さこそが、人類を十年間追い詰めてきた絶望の正体であった。
「……手間取らせるな、くつく」
わたぬきが冷たく言った。だが、その戦術眼球インプラントの奥には、わずかな焦色が滲んでいた。
「劣化版でこの生命力だ。『本物』の幹部八人がどれほどの化物か、身をもって知る前に先へ進むぞ」
「了解……」
くつくが立ち上がろうとした、その時であった。
――ザザッ……ザザザッ……!
全員の広域通信インカムから、激しいノイズが弾けた。
本隊および、同時に潜入を開始した他チームの回線が強制割り込みを起こしている。
「――こちら第101特務小隊! 敵幹部と遭遇! 繰り返し、敵幹部『タイタン』と――あ、あぁぁぁぁっ!?」
絶叫。
続いて聞こえてきたのは、金属が握り潰されるような凄惨な破壊音と、人間の骨が一度に百本以上折れる湿った音だった。
「巨大すぎる……! 弾が効かない! 重戦車が一撃で――ギギャァアアアッ!」
「救援を! 第204小隊、壊滅! 敵は『プロメテウス』! 火炎の威力が想定を超えて――熱い、熱い! 助けてく――」
通信は過熱による爆発音とともに途絶した。
間髪置かずに、別の回線から悲痛な叫びが飛び込んでくる。
「ダメだ! 攻撃が全部弾かれる! 『イージス』だ! 奴のバリアは通常兵器じゃ破れない! 隊長が……隊長が握り潰された!」
「誰か! 誰か応答しろ! こちら第302――」
ブツッ。
静寂。
ノイズだけが残された。
同時投入されたはずの精鋭部隊たちが、『異形の者』の幹部たちと遭遇し、何分ともたずに次々と全滅していく凄惨な断末魔。別動隊の全滅は、自分たちが完全に孤立したことを意味していた。
要塞の奥深く――智謀の士【クエーサー】が待つ中枢へ向かって、残された道を進んでいくしかない。
「……他部隊は全滅か」
あらがねが、低く呟いた。その声に揺らぎはない。ただ、スコープを覗く指先にわずかな力が込められていた。
「幹部どもが他部隊の屠殺に夢中になっている間が、私たちの唯一の勝機だ」
わたぬきは振り返りもせず、暗闇の奥――要塞中枢へと続く一直線の通路を見つめた。
「行くぞ、第365特務小隊。……誰一人として、無駄死にするな」
五人の足音が、再び導水路の闇の中に響き始める。




