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最後の一人になっても  作者: アルファベット・あき蔵
第1章:第365特務小隊_カレンダリオ

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10年目の泥沼

降り注ぐのは、水ではない。

空を覆いつくしたスモークと重金属粒子が交じり合い、粘り気のある黒い油泥となって粘土質の地表を打つ、戦場特有の毒雨だった。


荒廃した要塞都市『アーク=ゼロ』の外郭境界。

かつて数百万の都市生活を支えていた高層建造物の群れは、今や巨大な墓標のように傾き、剥き出しになった鉄骨から赤錆びた血のような水を滴らせている。


この地で人類と『異形の者』が互いの肉を削ぎ落とし合ってから、すでに十年の月日が流れていた。


かつて世界を揺るがした核兵器は、もはや過去の遺物にすぎない。

遺伝子操作の極致によって生み出された『異形の者』の八幹部――神話や伝説の名を冠された怪物たちは、核の熱波すらも己の細胞を増殖させる糧へと変えた。頭部か心臓を連続して粉砕されぬ限り、彼らは死なない。殺せば殺すほど肉体を硬質化させ、機動力を跳ね上げ、より完璧な殺戮兵器として『再構築』される。


人類側に残された唯一の選択肢は、戦術核による広域破壊を諦め、兵士の肉体を消費して局所を穿つ『汎用戦(対人地上戦)』への回帰であった。

そして、その惨憺たる消耗戦の最前線に多くの人々が動員されてきた。第365特務小隊もまた、その渦中にあった。


「……また、生き残りやがった」


崩落した高架下の陰。

低く濁った声が、硝煙の匂いに満ちた空気を揺らした。


九月一日(くつく)――第365特務小隊の突撃手(ポイントマン)である。

使い込まれて塗装の剥げ落ちた標準型強化外骨格の膝を立て、彼は己の右腕を見つめていた。外骨格の装甲が歪み、下から覗く皮膚には黒ずんだ血と泥がへばりついている。だが、戦意が極限に達した際、彼の瞳孔は猫のそれのように極限まで収縮し、異常なまでの鋭利さを見せる。


二十七歳。

徴兵制によってこの地獄に引っ張り出されてから、数え切れないほどの戦友を見送ってきた。どれほど苛烈な砲火を浴びても、どれほど肉体を叩き折られても、彼は最後に必ず息を吹き返す。しがみつき、喰らいつき、死の淵からミミズのように這い上がってくる。


「贅沢を言うな、くつく」


数メートル離れた崩れかけたコンクリート片の上。

長距離狙撃用ギリースーツのフードを被った男が、スコープから目を離さずに言った。


一月一日(あらがね)。

二十八歳。小隊の狙撃手であり、くつくがこの地獄で最も古くから命を預け合ってきた親友であった。背が高く、無駄のない所作で構えられた対『異形の者』大型対物ライフル『ヘヴンズ・ピアサー』の銃身は、冷徹なまでに静止している。


「僕たちが生きているのは、運が良いからでも、神に愛されているからでもない。単に……僕たちのカレンダーが、まだその日に達していないだけだ」

「カレンダー、か。気取った言い草だな、あらがね」


くつくは鼻で笑い、歪んだ装甲の関節部分を力任せに叩いて噛み合わせを直した。激痛が走るが、顔色ひとつ変えない。


第365特務小隊。

一年の日数――『365日』を刻むかのように、死んでは補充され、また死んでは削られていく使い捨ての精鋭部隊。彼らに与えられたコードネームはすべて『日付』であった。かつてこの小隊には、二月も、三月も、五月も、七月も存在していたはずだった。だが今、この部隊に残されているのはわずか五人。


「私語を謹め、無能ども」


冷ややかな、しかし凛とした張りのある女性の声が通信機から響いた。

後方の瓦礫の影から、ゆっくりと姿を現したのは小隊長(少佐)、四月一日(わたぬき)であった。


三十五歳。オールバックにまとめた銀髪が、落ちてくる黒い雨に濡れて額にへばりついている。戦場で失った右眼には、赤く不気味な光を放つ戦術眼球インプラントが埋め込まれていた。指揮官用の重装アーマーの背には、彼女の身長ほどもある巨大なエネルギー兵器『過熱型バスター』が狂おしいほどの熱を放ちながら鎮座している。


「敵の要塞中枢までの距離、およそ二千メートル。我々の任務は変わらん。『異形の者』の頭脳、幹部【クエーサー】の殺害だ。……くつく少尉、右膝の油膜が切れている。次の突撃で足を引っ張るようなら、私がその脚を吹き飛ばして進む」

「了解です、少佐。……手厳しいことで」


くつくは呟き、腰の『Type-9 サバイバー』のボルトを引いた。カチリ、と硬質な金属音が響く。どれほど泥を被ろうと、血を吸おうと決して動作不良を起こさない、無骨な短機関銃。


「カカッ! 相変わらず隊長は厳しいねぇ! くつく、足を吹き飛ばされたら俺が背負ってやるから安心しろ!」


豪快な笑い声とともに、地鳴りのような足音が響いた。

全身を重装甲パワードスーツで包んだ大男――六月一日(うりわり)が、ガトリング砲の銃口を地面に向けたまま姿を現す。三十二歳。顔に刻まれた生々しい縫い傷と顎髭が、彼の潜り抜けてきた死線の数を物語っていた。全身に帯のように巻きつけられた弾薬帯は、一小隊分の火力を一人で持ち運ぶ移動要塞そのものである。


「うりわりさん、大声を出さないでください。敵の聴覚センサーに引っかかります」


うりわりの背後から呆れたように溜息をついたのは、衛生兵の八月一日(ほずみ)だった。

二十七歳。小柄な体躯にバイザー付きの軽量医療アーマーを纏い、胸元には無数のナノマシン注射器と薬液容器が所狭しと並んでいる。彼女は手際よく薬液の充填されたシリンジを操作しながら、くつくの元へ歩み寄った。


「ほら、くつくちゃん。動かない。右足の装甲隙間にナノマシンを打ち込むから。痛いのは生きてる証拠だから我慢しなさい」

「……くっ」

「治療薬(これ)が無くなったら、次はナイフで壊死した肉を削ぎ落とすわよ?」


毒舌混じりのやり取り。だが、その手つきは極めて正確で素早かった。

五人の間には、長年の戦場で培われた無駄のない信頼が流れている。言葉で絆を確かめ合う必要などない。誰がどこを守り、誰がいつ死ぬか――それすらも織り込み済みの、完成された戦死者たちの静けさであった。


「……始めるぞ」


わたぬきの声が、全員の戦術バイザー内に同期された。


「作戦名『飽和の刻』。本隊の発表によれば、我が第365特務小隊を含め、計十二の精鋭部隊が同時に『クエーサー』の要塞拠点へ突入する。クエーサーは『異形の者』における戦術指揮を担う頭脳だ。奴を破砕すれば、奴らが率いるクローン兵の指揮系統は完全に瓦解する」

「十二の部隊、か」


あらがねがライフルを構え直しながら、静かに呟いた。


「贅沢な囮だ。本部は最初から、僕たちを全員死なせるつもりで作戦を組んでいる」

「当然だ」


わたぬきは一切の感情を排した声で言い切った。


「人類に後はない。10年だぞ? 10年間、我が国の人口は減り続け、遺伝子操作されたバケモノどもに領土を奪われ続けてきた。ここでクエーサーの首を討ち取れねば、来年という月日そのものが人類から消滅する。不要な感情は捨てろ。己の命すらも、ただの弾頭として扱え」

「ラジャー!」


うりわりが胸の装甲を拳で叩き、重厚な金属音を響かせた。


「要するに、俺たちが扉をぶち破って、くつくが敵の脳天にブスッとナイフを刺せばいいんだろ? 単純明快でいいじゃねえか」

「……行くぞ」


くつくは短機関銃のグリップを強く握り締めた。

命のやり取りに対する恐怖は、とうの昔に焼き切れている。あるのはただ、命じられた任務を果たすという強迫観念と、泥にまみれてでも生き残り、敵の喉元に噛みつくという無格好な執念だけだった。


「第365特務小隊、前進」


わたぬきの冷徹な号令とともに、五人のシルエットが黒い雨の降る要塞都市の闇の中へと消えていった。

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