【第5章】奇跡の少年 第2節:実験サンプル
カンサはひどく薬品の臭いがする部屋で、目を覚ました。
まだ体はダルさがあり頭痛も酷かったが、ピークは過ぎたようで、少し身体の軽さを感じた。少しずつ意識がはっきりしてくる中で、目の前に太い鉄格子が並んでいるのが見えてきた。上体を起こして周囲を見回すと、自分が大きな檻に入れられていることが分かった。
「なんだこれは??!!」
カンサはそう言いながら、鉄格子を掴んだ。
「おはよう。君は、僕の実験サンプルだよ。」
カンサは声のした方へ顔を向けると、そこには夢の様に美しい人物が立っていた。
肌は透けるように白く、髪は本物の金を糸にした様に輝いていた。瞳は右目がサファイア、左目はエメラルドをはめている様で、とても自然に産まれてきた人間とは思えないような美しさだった。身長は165cm程で、体つきもしなやかで女性の様であったが、ピンク色の艶めいた唇から放たれた声は、自らを“僕”と言い、その声も男性のものであった。
カンサは一瞬、青年の姿に見とれたがハッと瞬時に我に帰ると、眉間にしわを寄せて質問を投げた。
「サンプルとは何だ?何をするつもりだ。」
「人の家に無断で入って来たんだ、何をされても文句は言えないでしょ?」
青年は笑みを浮かべながら、座っているカンサを見下ろして言った。
「無断で入った事は確かだが、何をされてもいいという訳にはいかない。ここから出してくれ。」
「それは無理だよ、ここに来る人間なんて稀だもの。貴重なサンプルは失えないよ。」
「だから、何のサンプルなんだ?」
「今日はいい日だ、1度にサンプルが2つも手に入るなんて。」
そう言って美しい青年はカンサの質問には答えず、嬉しそうに目を瞑って上を向いた。
「2つ?あの男も捕まったのか?!」
レイが捕らえられた事が信じられず、カンサは目を見開いて青年を見た。
「そぅ、君の仲間。物凄い怪力の持ち主だ、実に興味深いよね。もうすぐこの部屋に気付いてやって来ると思うよ。」
「…という事は、まだ捕まってはいないんだな。」
カンサはそう言ってホッとしたというより、納得したという様な気持ちで落ち着いた。
「時間の問題だよ、君がそこにいる以上、相手は自由に動けないだろうからね。」
カンサはその言葉に、首を傾げて青年を見ながら言った。
「どうだろうな、俺が捕まってるくらいで、あの男の自由が奪えるとは到底考えられない。」
「ここまで一緒に来た、仲間じゃないの?」
「ここまで一緒には来たが、互いに仲間とは思っていない。」
カンサの言葉に、青年は顎に手を添えながら首を傾げて言った。
「変な関係なんだね、まぁどうでもいいけど。」
「君が、もしあの男を捕まえられるなら、俺は是非見てみたい。」
カンサの言葉に青年は両眉を上げ、アハッと笑って言い放った。
「確かに怪力だけど、それ程脅威には感じないな。だって、あまり賢そうには見えなかったし。君だってとても簡単に僕に捕まったじゃないか。」
青年の言葉に、カンサはニヤリと笑っている自分に気が付いた。
レイはその頃、影が消えた辺りまで辿り着くと、闇の中でうっすらと見える地下へ降りる階段を発見した。
「こっから下へ降りたって事か。」
下を覗くと、更に深い闇が広がっている。
「俺は陰気な所が嫌いなんだよ。ことごとく、ここのヤツとは気が合わねぇな。」
レイはそう言って、腰に手を当てて階段を見下ろしていた。
1時間経っても、レイはカンサ達の所へはやって来なかった。
「どういう事?!なんであいつは来ないんだ?」
青年は眉を寄せて、信じられないという風に声を上げた。
「何故って、薪を探しているんだろう。この家は広い。全部の部屋を探し回っているなら、これくらい時間は経つだろう。」
カンサの言葉に、青年は目を見開いた。
「僕と会ったのに、僕を追って来なかったって事?!」
「あの男にとって、優先順位が君より薪の方が上だったというだけだろう。」
「……僕を、無視した?」
青年の顔色が変わっていく様子を、カンサは見ていた。
「もういいだろう、あの男を待つだけ無駄だ。一体何をするつもりなんだ?」
「………許せない、僕を無視した奴を放っておくなんて、出来ない。」
カンサが、この青年との会話で気付いた“違和感”は、青年が見た目以上に中身がとても幼く感じられる事だった。それは、こんな森の奥にたった1人でいるからなのか、何か別の理由があるのか、カンサはつぶさに青年を観察しながら考えていた。
部屋の中を見渡すと、壁は全て棚になっており、びっしりと薬品が並んでいた。覚えのある物もあれば、知らない物も数多く、棚の他は何かの機材で部屋中埋めつくされている。
『この青年1人で、ここで何かの研究をしているのか?』
あまりに本格的な研究室で、全ての機材は忙しく稼働している。カンサにはこの青年1人で、ここを切り盛りしているとは考えられなかった。ふと、カンサは壁の向こうに何かの気配を感じた。人というよりは、何か植物の様な、静かな生き物の様に感じられた。もし、人であるとすれば高齢な老人なのではないかとカンサは思った。
「隣に部屋があるのか?」
カンサの質問に、青年は驚いた顔をした。カンサはその青年の表情を見て、更に加えた。
「隣の部屋にいるのは、“何”だ?」
青年は戸惑いを隠せず、3歩カンサから後退りをした。やはり、隣の部屋にいるのは“人”ではない。そして、露骨に感情を出してしまうこの青年の様子は、10歳にも満たない少年の様だ。見た目は若く見積もっても20歳は過ぎている、明らかに異様だ。カンサはそう思い、精神的に青年に踏み寄って行った。
「隣の“もの”の為の、俺は実験サンプルなんだろ?」
「……何故分かった?」
「大体分かるよ。君の事もな、君も普通じゃないだろ?」
青年の顔がみるみる青ざめていくのを、カンサは見て取った。動揺は激しく、唇も震えているようだった。やはり、何かある。カンサはそう思い、更に注意して観察する事にした。青年の後ろに扉が1つ見えるが、多分あれは上の階への階段で、自分はあそこから運ばれて来たのだろう。隣の部屋へは、別の入り口がどこかにあるはずだ。カンサはそう考えながら、くるくると周りを見たが、機材が阻んでよく見えなかった。気配からして、恐らくカンサの右側にあるのだろうと、カンサは右側ばかりを探り始めた。青年は落ち着き無く、ソワソワと部屋を歩き始め、カリカリと爪を噛んでいた。
「何だよあいつ!いねぇじゃねぇか!!どこ行きやがった。」
薪を探して、家中歩き回った挙げ句、結局薪を1本も見つける事が出来なかったので、代わりにタオルや毛布を持って初めの部屋へ戻って来た紅毛の男は、カンサの姿がない事に気付いて言った。
「ここにいろっつったのに、あいつ妄想癖がある上に放浪癖まであんのか?!ボケたじじぃだな。俺は介護する気はねぇぞ。」
タオルと毛布を部屋の中に放り投げると、男は地下への階段がある方へと向かった。
「遺伝子や細胞について、詳しいみたいだな?」
カンサは棚の薬品や、床に散らばるメモ、機材の種類等から察して、そう青年に質問した。うろたえながら、何も答えない青年を見て、カンサはふと何かを感じ取った。
「……もしかして、君自身が既に細胞や遺伝子をいじっているのか?」
カンサの中で、不明な複数の点の内の1つが線で繋がった気がした。青年の心と身体のアンバランスさは、これで説明がつくのではないかとカンサは思った。青年はカンサへの脅威の表情を、だんだんと殺意の表情へと変え、爪を噛みながらカンサを睨み付けて言った。
「………お前は危険だ。サンプルにしようかと思っていたけど、やっぱり殺して庭に埋める事にする。」
青年の言葉にカンサは両眉を上げ、事も無げに言い返した。
「図星か。何故、俺を殺す必要があるんだ?バレても言いふらす様な人間は、周りにいないだろ。」
「お前は、僕を人間として見てない。僕を見下してる。」
カンサは真っ直ぐに青年を見据え、ゆっくりと、相手が確実に聞き取れる様に、ハッキリと言葉を放った。
「生きた人間を、実験サンプルにしようという時点で、最初から君をまともな人間としては見ていない。それに、君が最初に俺達を見下して、人として見ていなかったはずだ。俺達を“2人”ではなく、“2つ”と言っただろ?」
青年はわなわなと震わせながら両手の拳を強く握りしめ、床に座っているカンサの頭上の鉄格子を力任せに叩いた。叩かれた鉄の音が大きく響く中で、青年はヒステリックな声を上げてカンサに向かって喚き立てた。
「うるさいっっ!!僕より頭の悪い、下等な人間のクセに!僕を無視したり、見下したり。この僕に向かって!僕より劣る生き物のクセに!!」
カンサは立ち上がって青年の正面に立つと、青年の拳の位置より少し上の鉄格子を静かに握り、青年の目線に合う様に身を屈め、彼の目を見据えながら言った。
「俺達が君より下等な人間で、劣った生き物かどうかは置いておくとして、君のその"被害者意識"は、俺達とは関係ない。それは君の"劣等感"が生み出したものだ。」
カンサの言葉を耳にした後、青年は正気を失った様な顔をしていた。美しい顔は歪み、見開かれた瞳は光を映していなかった。何をして来るか分からない状態となった青年を見て、カンサは涼しい顔をしていたが、直ぐに動ける準備をしていた。部屋中に、痛い程の緊張感が満ちたその時。
「おいゴキブリ、薪をくれ。」
そう言って部屋の緊張を破り、レイが突然扉を開けて入って来た。青年は弾かれた様に紅毛の男の方に向きを変え、混乱した様子で男を見た。
「………ゴキブリ?」
取り乱した青年を他所に、レイは正面の奥にいる檻に入れられたカンサを見つけると、ニヤニヤと笑って言った。
「あーぁ、とうとう檻に入れられたか。まぁお前の精神状態を考えたら、仕方ねぇかもな。」
「ふざけてないで、出してくれ。」
そう言うカンサを見ながら、レイは腕を組んでニヤニヤと笑い、面白そうにカンサを眺めながら言った。
「いやいや、お前の放浪と妄想癖は俺の手に負えるレベルじゃねぇ。よかったじゃねぇか、ここで面倒見て貰えよ。」
「何を言ってるんだ?いいから早く出せ。」
「しかしクセぇな、ひどい臭いだこの部屋は。鼻が曲がるぜ。」
レイはわざとらしく鼻を摘まみながら、部屋を見渡した。するとその時、一瞬の内に青年はナイフを掴み、レイの背後から切りかかって来た。レイは青年の手首を掴むと、青年の体を振り回し、部屋中の棚にぶつけ始めた。棚は揺れ、薬品の瓶は床に粉々となり、様々な薬品が床の上で混ざり合い、更に臭いは酷くなった。
「お前バカか?!何の薬品かも分からないのに、全員死ぬぞ!!」
袖で鼻と口を塞ぎながら、カンサはレイに叫んだ。しかしレイは聞き入れず、ナイフを持った青年の手首を掴んだまま、次は青年を機材にぶつけ始めた。機材は様々なアラームや異音を出して、ことごとく緊急停止状態になっていく。
「………。」
カンサはレイの行動に口を閉ざした。この男は、青年と戦っているのではない。青年を使って、意図的に部屋中の物を破壊している。カンサの目には、非常に乱暴ながらレイが青年に対して、"お仕置き"をして叱っている様に見えたのが、自分でも不思議だった。
「……でも、あいつは何も知らない筈だ。」
カンサはそう呟いた。
ぐったりとして、動かなくなった青年はナイフを手放し、ナイフは音を立てて床に落ちた。レイはナイフを拾い上げると、青年の腕を放してカンサに言った。
「で?何なんだ、ここは。」




