【第5章】奇跡の少年 第1節:雨の森
数日間、雨が降り続いていた。
傘もテントも無い2人は、木の陰で時折休むしか方法が無く、数日の間全身ずぶ濡れ状態が続いていた。無言でひたすら歩く2人であったが、カンサは、雨の降る薄暗い森の中に、大きな影を見つけた。その影が、何であるかが分かった途端、カンサは立ち止まって呆然とした。
「あ?どうした、早く歩けよ。」
突然立ち止まって動かなくなったカンサに、レイが後ろから声をかけた。
「…家がある。」
「おお、そりゃありがてぇな。少し休ませて貰うか、数日ずっと雨に降られっぱなしだ。」
「何故、家があるんだ?」
「あ?お前何言ってんだ、家くらいあるだろ。」
「人がいるという事だ。……ありえない。」
「はぁ?何で人がいるのがありえねぇんだ?早く行くぞ、歩け。」
「こんな森の中に、一軒だけだぞ?この家の住人は人里に住めない理由があるということだ。異常者か犯罪組織の隠れ家に違いない。」
「お前、日頃どんな妄想してんだ?森ん中に家があるだけで、よくそこまで妄想できるな。半端ねぇな、すげぇなお前。どーでもいいから、行けってんだよ。」
「………。」
カンサが居た地下の世界では、地区ごとに土地の用途が厳格に定められていた。住居、商業、工業などの用途地域は、法で定められたルールに則り、区間管理が徹底されていた。計画的に無駄のない街設計が当たり前である中で育ったカンサには、森の中にポツンと存在する家が不自然に思われてならなかった。
地下では忘れ去られたことが、ここでは当たり前に今も存在し続けている。地下で習った歴史では、こんなことは教わらなかった。これまで人々が地上でどんな風に生活していたかなど自分は考えもしなかったと思い、カンサは頭を抱えた。なにか大切なものを見落としているような気がして、足が前に進まないカンサを他所に、レイは足早に家の方へと近づくと、玄関扉を引いた。
「開かねぇな、鍵が掛かってる。」
「…いきなり、開けようとする奴があるか、ベルを鳴らすか、ノックをしろ。」
2人で扉の周りを調べたが、ベルも無ければ、ノッカーも無い。まるで、訪問者を拒んでいる様な家だった。ドンドンドンドンとレイが扉を叩くが、中からの反応は無い。
「チッ仕方ねぇな。」
レイは眉間にしわを寄せながら、家を見上げた。カンサも同じ様に家を見上げながら、レイに言った。
「そうだな、仕方ない。先をいそ…」
「侵入するしかねぇな。」
カンサは、目を見開いて隣に立つ男を見た。
「何言ってるんだ?!お前さっきから、常識ってものが無いのか?!」
「住人の人格を全否定するヤツよりあると思うがな。回り込んで、どっか入れそうなとこ探すか。」
「待て!中に人がいたら、どうするんだ!」
「そん時は、少し休ませろって言うだけろ。」
「不法侵入だ!!犯罪者を休ませるわけ無いだろ!」
「いちいちうるせぇな、こんだけでけぇ家なら、朝まで隠れてりゃ見つからねぇだろ。」
何を言っても、レイはどんどん家を回り込んで行く。カンサは家を見上げながら、レイの後に続いた。
「おっ!あそこなら、どうにか入れそうだな。」
レイはそう言って、ヒョイと1階のバルコニーに乗り込むと、掃き出し窓に近づいた。カンサは不安を抱えつつ、バルコニーの手摺を跨ぎ、男の後ろから声をかけた。
「どうやって入るんだ?……割るなよ?」
バリッという音と共に、カンサは溜め息をついて肩を落とした。
「誰もいねぇよ、物盗るわけじゃねぇんだ早く入れ。」
既に家に入った男が、窓から手招きをした。中に入ると、家の中は外より暗く、人がいる気配は無かった。家の中を見渡しながら、カンサは男に言った。
「……人が住んでないにしては、あまり家が傷んでいない気がしないか?」
「空き家になったばっかりかも知んねぇだろ、暖炉があるから薪を探せ。」
レイはどんどん家の奥へと入って行き、何処かに隠れる様子は無い。カンサは、頭に手を当てながら男に言った。
「俺はお前といると、頭が痛くなってくる……。」
「そうかよ、狭いお前の脳みそ広げてやってんだ。感謝しろよ。」
カンサは何か言い返そうと思ったが、言葉がうまく出て来なかった。違和感を感じた次の瞬間、突然視界がぐらりと大きく揺れ、堪えきれず片膝を床に突いた。
「あ?何座ってんだ、薪を探せっつったろ。」
レイの言葉はカンサに届いていたが、頭がボーッとして、全身を寒気が襲い、立ち上がろうと立てた方の膝に手を掛けていたが力が入らず、頭を垂らしハァハァと苦しそうな呼吸をしていた。
「お前大丈夫か?どうした。」
レイがそう言いながら、カンサの方へと近づく内に、カンサはガタガタと震えだし、ガチガチと歯を鳴らし始めた。その様子を見て、レイはカンサの額に手の甲を当てた。
「やってくれたな、すげぇ熱だ。雨に降られたぐらいで風邪引くんじゃねぇよ。」
「……実は……地下には…雨が降らない。………こんなに…濡れた状態が……続いたのは……初めて…なんだ……。」
ガチガチと歯を鳴らしながら、カンサは両手で肩を押さえ、震える体を抑え込みながら言った。
「ああ、そりゃ雨は降らねぇだろうな、地下なんだから。お前はその辺に転がってろ、俺は薪を探す。」
そう言って、レイは家の奥へと消えていった。カンサは男が戻って来る間、壁にもたれて座り込み、ガンガンとハンマーで頭を殴られている様な頭痛と、氷の柱の中に閉じ込められた様な寒さ、意識が朦朧とする状態と戦っていた。
しばらくすると、木の床がたわむ感覚があった。
音もなく、誰かが部屋に入って来た事にカンサは気付いた。レイではないと気配で分かったが、鉛の様に重くなった身体を思うように動かすことが出来なかった。家主が自分達の存在に気付いて様子を見に来たのだと思い、現状の弁明をしようと必死に頭を働かせた。
怪しい者ではなく、少し休ませて欲しいということを伝えようと、家主と思しき存在に顔を向けたが、視界がぼやけてよく見えなかった。しかし、相手が自分へ殺意のようなものを向けていることに気が付き、カンサは両手を相手に向けて話しかけた。
「ちょっと、話を聞いてもらえませんか?俺達は怪しいものでは…」
カンサがそう言いかけた途端、部屋に入ってきた影は突然、カンサに向かって襲いかかってきた。カンサは瞬時に身をかわし、攻撃を避けると同時に刀を抜いた。カンサの身体を貫くはずだったナイフは床に深く突き刺さっており、薄暗い部屋で黒い影はナイフを床から引き抜くのに間取っているようだった。床からナイフを引き抜くと、影は再びカンサの方へ向き直った。
『戦闘経験がある人間の動きじゃない…一般人だ。』
カンサは刀を鞘に収めると、再び攻撃する意図はないことを示すために両手を上げて、影に向かって言った。
「旅の途中でこの家を見つけて、少し休ませて貰いたいのです。外はすごい雨で、数日降り続いているものですから…。空き家だと思って、勝手に入り込んでしまいました。申し訳…」
カンサの言葉に一切耳を貸さず、影は再びナイフで襲いかかって来た。何度か攻撃をかわしたカンサであったが、ガクガクと膝が震え始めていた。
『これは…ヤバい…。』
とにかくこの場から逃げようと、カンサはレイが出て行った扉の方へと走り出した。その時、右足が突然ガクリと折れ、カンサは咄嗟に壁に手をついて身体を支えたが、後ろから追いついてきた影に頭を強打され、床に倒れ込むとそのまま意識を失った。
その頃レイは、手当たり次第に部屋を物色して薪を探していたが、数多く部屋がある割りに、薪は1本も無かった。
「ムダにでけぇんだよ!この家。」
チッと大きく舌打ちをしながら、部屋を出て廊下を歩き始めると、背後に人の気配を感じ取った。影は気付かれないようにゆっくりと歩き、足音を殺しながら、物陰から物陰へと移動してレイとの距離を詰めている。レイはしばらく様子を見ながら歩いていたが、フンッと短く鼻から息を吐いて足を止めた。振り向く事もせず、前を向いたまま背後の影に話しかけた。
「俺はかくれんぼが嫌いでね、隠れるのは性に合わねぇし、探すのはめんどくせぇからな。だから、お前に付き合ってられねぇんだよ。1人、風邪と妄想癖の合併症をこじらせてるヤツがいてな、早く薪持って戻りてぇとこなんだ。」
暗がりの中で、人影は最後の物陰へ身を潜めると動きを止めた。それからしばらくの間、シンッと静かな沈黙が流れた。レイはその様子を見て、面倒臭そうにガシガシと頭をかきながら言った。
「コソコソコソコソ、暗闇に隠れて何が楽しいんだよ。俺がお前を捕まえたらゲームは終わりだからな。」
レイは影の方へと向きを変え、1歩前へ足を踏み出した瞬間、影は物陰から飛び出し、ナイフでレイに襲いかかった。
「さっきまで隠れてたクセに、捕まえようとしたら飛び出して来やがって!ゴキブリかてめぇ。」
レイはナイフを持った腕を掴むと、そのまま廊下の端の方へ投げ飛ばした。廊下の奥は更に暗く、闇の中で人影が床に倒れた音はしたが、そこから気配が消えた。
「あー、めんどくせぇのが相手になったな。まだ正面からつっかかって来る、どっかの合併症ヤローの方がマシに思えてくるぜ。」
頭をガシガシとかきながら、レイは気配の消えた廊下の隅に向かって歩き始めた。




