【第4章】男の正体
カンサは、地面を見つめたまま呆然としていた。
ずっと心の内に秘めていた、自分との約束。誰にも明かさず、ただひとつのことだけを目指し、見つめ続けた人生だった。他のことには目もくれず、この願いが叶えられるなら、他のことは何も望まないと心で言い続けた。神の存在を信じていないカンサにとっては、自分に向けた呪いのような願いだった。
「………。」
あれからレイは一言も言葉を発さない。自分の言葉を聞いて、目の前の男は何を思ったのだろうと、カンサは気になった。顔を上げた時、そこにどんな表情の顔があるか予想がつかなかったカンサは、ずっと顔を上げることに躊躇していた。見下されるのか、軽蔑されるのか、或いはバカにされるのか、誰にも明かしてこなかった自分の想いに対し、他者がどんな思いになるものなのかカンサには分からなかった。
しばらくして恐る恐る顔を上げたカンサの目に、真摯に向けられた琥珀の瞳が映った。カンサは驚きで目を見張った。レイの顔に感情の色は見えなかったが、それでも確かに深い何かの想いが込められた瞳を見て、カンサは何とも表現しにくい、感動のような気持ちが心に湧いた。計り知れない琥珀色の瞳の奥にあるものが、何であるのかカンサには分からなかったが、会って間もないこの男に、不思議と告白して良かったと感じられた。
「それだけか?」
長い沈黙の末に、レイが言った。優しげではあったがどこか淡白な声の響きに、カンサは戸惑いながらも小さく頷いた。
「……それだけだ。その願いが叶えられるなら、俺は他に何も望まない。」
「そうか。」
レイはそう言って、口を閉じた。その表情からはやはり何も読み解けず、カンサは何故か焦りのような気持ちが胸に湧き、不快な表情を浮かべてレイに言った。
「お前がどう思うか知らないが、俺はそのためだけに生きてきたんだ。お前にとっては取るに足りないひとりの人間の命かも知れないが…」
「取るに足りない命なんてもんがあるのか?」
レイの言葉にカンサはまるで、自分が責められているような落ち着かない気持ちになり、強く自分の胸元の服を握りしめた。込み上がってくる気持ちが一体何なのか分からない、名前のつけようがない感情にカンサは困惑し、再び顔を地面に向けた。とても不安で心細い気持ちになり、まるで小さな子供が迷子になった時のような、そんな顔をしていた。
「おい、そろそろ行くぞ。顔を上げろ。」
「え?」
レイの言葉に驚いてカンサが顔を上げると、レイは既にカンサに背中を向けて歩き始めていた。
「い、行くって何処に?!」
カンサはそう言って、慌ててレイの方へ駆け寄った。
「お前の用事はひとつじゃねぇのか?」
レイは振り向かず、歩きながらカンサに言った。
「塔の場所を知っているのか?!」
希望に目を輝かせ、声が明るくなったカンサの言葉を耳にして、レイは立ち止まり、ニヤリと笑ってカンサに顔を向けて言った。
「あぁ。だが、“それが正しい情報だという保証はねぇ”。どうするかはお前が決めろ。」
「……。」
カンサは自分がからかわれていることに気付いた。自分が言った言葉を返されて、ムッとするだろうと思っていたが、心のどこかで気恥ずかしいような、自分が何かを見誤っていたような気持ちになっていることに驚いていた。
見ず知らずの、出会ったばかりの男から、何故こんなにも胸を掻き回されるのかとカンサは考えた。これまでどんな相手にも冷静に対処し、パーソナルスペースに踏み込ませた事など無かった。たとえどんな相手であっても、他者というものはいずれ離れる存在だと思っていたカンサにとって、自分のことについても相手のことについても深く知ることに意味などないと考えていた。
そんな風に生きてきた自分に対して、飄々と自分の過去の領域に、難無くスルリと入り込み、好き勝手に掻き回して来る目の前の男に、カンサは何故か自分が負けたような気持ちになっていることに気が付くと、ふつふつと怒りが湧いてきた。
「お前が嘘をついていることが分かった時点で、お前を殺して別の道を探すだけだ。」
悔し紛れに言ったセリフであったが、半分は本気だった。物心ついた時から、規則でがんじがらめの環境にいたせいで、自分を含め、周囲の人間というのはどこか画一的で、生真面目な人間ばかりだった。これまで会ったことがないキャラクターに初めて接したことで混乱が生じているだけで、レイという人間に対してカンサは信用したわけではなかった。
「好きにしろよ。」
自分に向けられている殺意を気にも留めず、レイはフッと笑って再び歩き始めた。レイの背中を睨みつけながら、後ろに続くカンサは、首を傾げながらこの先の旅の行方に不安を感じていた。
『地上では、こういう奴ばかりなのか?掴みどころがない、何とも喰えない奴だ。ただの変人なのか、意図的であるなら計り知れない。……油断できないな。』
地下の上層部からの情報では、地上は文明的に地下よりも劣っているという風に知らされていた。各部門での教育や科学技術においても、50年は遅れていると聞いていたが、目の前の男が地下の教育を受けて来た自分より、どこか優れているような気がして、地下の情報に対して懐疑的な気持ちになった。
『いや、もしかしたら俺が知らないだけで、この男も軍の人間で、秘密裏に地上調査に来ているのかも知れない。……でなければ、俺を追跡するために派遣された奴か、可能性としてはそのどちらかが一番高いはずだ。』
カンサはそう思いながら、しげしげと自分の前を歩く男を観察した。頭から足の先までつぶさに観察したが、地下で似たような人間は見たことがなかった。独特な雰囲気やその人間が纏う匂いのようなものは、どれ程変装しても簡単に変えられるものではない。むしろこの男の圧倒的な雰囲気は、これまで見てきたどの人間よりも異質で、類を見ないほどだった。
『軍で実力があれば、必ず名前が上がってくるはずだ…。俺が見たことも聞いたこともない人間で、実力がある存在だとすれば…。』
カンサはその時ハッと気が付くと、レイの後ろから慎重に声を掛けた。
「お前、特殊調査員だな?上長からの命令で、地上調査に来ている、そうだろ?」
そう言った途端に、レイの足がピタリと止まった。カンサはその様子を見て、やっぱりと確信を持った。
『やったぞ、相手の尻尾を掴んだ。出会ってこれまで、ずっとやられっぱなしだったが、今度は俺が先手を打ってやった!』
心の中で小さくガッツポーズをしていたが、顔には出さず、冷静にレイの方を見ながら横に並んだ。
「何処の所属だ?特殊部隊だろう?441部隊ってところか?モリヤ少将とは顔なじみだ。」
カンサはゆっくりとレイの顔を覗き込みながら、あの勝ち気な表情が影を潜めて、青ざめているところを見てやろうと思っていた。
その時、正面を向いていたレイの顔が、くるりと横にいるカンサの方へ向いた。予想に反してその顔は、呆れ返ったような様子で片眉を上げ、はぁ?という声が顔から聞こえてきそうな表情でカンサを見下ろしていた。
「お前さっきから何言ってんだ?妄想すんのはお前の勝手だが、その妄想を人に押し付けんな。上だの下だの命令だの所属だの、お前は縛られんのが大好きなのかも知んねぇけどな、俺はまっぴらだ。俺は地面の下なんか興味ねぇんだよ。お前みてぇに根暗になりたくねぇからな。」
レイはそう言うと、ハッと吐き捨てるように声を上げて再び歩き始めた。カンサは唖然としてレイの様子を見ていたが、冷静さを取り戻して小さく首を横に振った。
『騙されるな…策略だ。特殊部隊は人を欺くのが仕事だ。少し突かれたくらいで、本性を現すはずがない。』
カンサはそう考えると、自分を納得させるように深く頷き、再びレイの後に続いた。




